ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

前世と体内記憶を忘れている件について

たまにはスピなお話でも…ということで、最近気が付いたことがあり疑問に感じていることがあるので、覚書程度にブログに残しておこうと思います。そういうお話が苦手な方はご遠慮くださいませ。

 

 さて、以前、過去記事で『時には前世話でもしようじゃないか』ということを記事にしたことがあるので、そのブログにも綴ったように、前世の夢らしきものは何度もみたことはあるし、フラッシュバックをした時に太古の昔くらいまでフラッシュバックしたことがありますし、行ったこともない景色を夢にみたこともあることから、おそらく前世はあるのだろうとは思ってはいます。

 ただ、私は出産時、仮死状態で生まれたからか、体内記憶はもちあわせておりません。で、些細なキーワードや一コマからフラッシュバックを使って、過去画像がエンドロールのように流れる不思議な脳みその持ち主なので、そんな記憶が残っているなら、私にだって体内記憶とやらはあるんじゃないのかしらって興味が湧いたわけです。胎内に宿る前に神様とどんな約束をしてきたんだろうって…。スピが好きだからこそ、やっぱりそういうこと憧れてないといえば嘘になるので、私にもあったなら、思い出せんだろうか…。って思うわけですが、どうでもいいような過去データはいくらでも遮ぎれたりするのですが、どうしても体内記憶のデータは思い出せないのですよね。逆に不思議におもっちゃいませんか? 太古の昔の記憶までフラッシュバックででてくるなら、体内記憶のほうが新しいハズなんだけど??? そんなことを思って私なりに考えてみたんです。なので、仮説です。個人的見解なので、面白いって思ってもらえたら嬉しいです。体内記憶を大切にしていらっしゃる方たちのお気を悪くさせてしまうかもしれませんが、こういう考え方の人もいるということで、読んでいただけましたらと思いますし、途中むかついたら、読まずにこのブログを閉じていただいてかまいませんので…。

 では本題です。私は出産時、吸引分娩で仮死状態で生まれました。この〝仮死状態で生まれた〟ということで、それなりに脳がダメージを受けたのか、私自身がLD体質なことから、出産時にそんな事態にみまわれたのだろうと思われますが、これもタラレバなんでございますけど、もし、普通に何事もなく私が生まれてこれたとするなら、胎内記憶は覚えていたんじゃないかって思ったんです。でも、私はどうしても思い出せません。なんか損してる気持ちなんです。(私だけかしら?)ただ、胎内記憶のあるお子さんでも大抵そのうち忘れてしまうものでもあるらしいので、ようはお子さんとそういった話をしなければ、胎内記憶を持って生まれたかどうかなんてわからないわけですよね。で、私の場合には、幼少期は覚えていたかもしれないけれども、私の母はそういうことを私が口走ったとするなら、多分覚えているはずだと思うし、逆にそういうことだから、母は大切な記憶として覚えてないのかもしれないという考えにいたりました。

で、それとは別に、私は自分がバカだと自覚がありますし、田中ビネーの検査では、私の知能指数は境界域なんです。実はこれでも。ただ、人よりも無駄に覚えられていることが多いことから、それが現在、こうして身を結びブログを書いたりすることに役だつこととなりました。それに、私にとって、こうして頭に浮かんでくること言語化し整理をすることで内省言語を外側にだし、脳内に溜めないようにもしているのです。留めるから滞るワケですし…。で、記憶力があるほうだとしても、その記憶も凸凹があるので、私自身にとって都合のいいこと又は興味関心次第で覚えられていることと覚えられていない事の差があります。そして、魂って古い魂とか新しい魂とかがあるって昔聞いたことがあります。で、私は波乱万丈な生き方だったので、魂が若いからこんなことになってたんだろうなぁ。だから修行をしないといけないのかもしれない。と思っていたことがありました。でも、今回、このことを考えている時に、イヤ、逆に私の魂は古くて特殊かもしれず、現世の自分は記憶力が特異だから、逆にそんくらい前世の記憶まで思いっきり忘れてしまうくらいの状態で生まれなきゃ、現世の私にとって課題をクリアする時間が短すぎたら、早死にしちゃったのかも。それだと色々な絡みがあって早く死ねないように、お腹の中にいる前までの近い記憶まで、全部忘れることになったんじゃないんだろうか? だって、そうじゃないと、いろいろ覚えてたら、私がクリアしたい今世での課題をクリアできないからだったんじゃなかろうか…。なんて、思ったわけです( 超絶都合がいい私(笑))覚えていることで、私自身の人生がくるってしまうからなのかも。ということは、実は私の魂は古いんじゃないんだろうか???トドのつまり、魂が古いからこそ覚えてないんじゃないんだろうか? といったそんな尊大な気持ちがでてきたので、そんな自分に驚きながらも、魂が若いも古いも関係なく、魂レベルの成長にもヌケがあるわけでしょうから、そのヌケを埋めるために、輪廻転生というものがあるのかもしれないなんて思うと、なんていうか、凪の人生を味わうための荒波を体験し、ヌケを埋める作戦を神様と約束してきたのかもしれないと思ったら、どんだけ私ドМ設定で生まれてきたんだよーーーーって思い笑っちゃいました。

 胎内記憶も前世の記憶も輪廻転生に関しても、いろいろな説がありますが、それはどれが真実かなんて知る必要もなく、人生の節目節目でその考え方を書き換えていくくらいが私にとっては丁度いいのかもしれないなんて思うこととなりました。自分のことだからこそ、型にはめず気楽に考え楽しむのもアリだよなぁと思ったら、なんだか、いろんなことがどうでもよくなってきている昨今です。

薄味の人生サイコ―!

٩( ᐛ )و

 

きょうはこのへんで