ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

行動障害と向き合う⑤

 ある行動障害のあるお子さんがトリガーとなり、不適切な行動を起こしてしまうようになったのには、息子自身の問題だけでもなく本当はとても簡単なことなのに、様々な問題を問題視していたことから巻き起こっていたのだと今なら思える。そして、学校や施設といった団体生活では、どうしても1人1人へきめ細やかな支援を行うということは正直いって難しいとも感じる。特に、心理面のケアは親の私であろうと難しいと思うのだ。だから支援者であったとしても、状況をこと細かく把握していたとしても、傍から見た様子とその状況下において本人がどのように感じているのかは、いちいち本人と対話をすることでしか知り得ないように思うし、何がそうさせてしまうのかまでは、わからないように思う。

 うちの息子の場合には、知的な遅れが伴っていることなどから、心が捻れてしまってはいないと思われるが、知的な遅れを伴っていない発達障害の人の場合には、自己矛盾を抱えながらも自分の頭の中だけで自己解決させてしまったり、生活の中で保護者を含め自分以外の他の誰かとすれ違ってしまうことから、素直だった人も少しずつねじ曲がってしまったり、拗ねたまま成長してしまう人もいるだろうと思う。だからこそ、いつの頃からか掛け違えたボタンの価値観の服を脱ぎ着し、どんどん自分自身の主体性を見失っていくのだろうと思う。

 私自身コミュニケーションが苦手だったこともあり、コミュニケーション事態を誤解して受け取っていたなとここ数年で気がついた。どんなことを誤解していたのかというと、コミュニケーションは〝交渉〟ではなく〝やりとり〟なのだということだ。発達障害がある人たちの場合には、本人の特性柄なのこともあり、どうしても〝交渉〟になってしまうように思う。要は、その場をやり過ごすために約束をして、約束が守れたらご褒美が待っている。といったことや、ギブ&テイクになってしまうように思う。不適切な行動を適切に変えるためのご褒美システムは単なる対処法だけだったりする。他者とのやりとりの中での〝交渉〟ができるようになることが望ましいことだとは思うが、コミュニケーションがしづらいことから〝交渉〟することで〝やりとり〟を行ってしまうことが、その本人をコントロールすることになってしまっているのではないかと私は考えるようになった。要は、正しい行動や失敗をしないような行動統制を行うために言葉を使っていないかということだ。行動統制をするということは、認知行動療法のようなものにもなるのだから、主体性の芽生えを摘んでしまう事にもある。

 思春期という時期は、2者関係からの卒業を期に、自我を確立させつつ、周囲との価値観の違いや自分の価値観の違いをなんとなく折り合いをつけ、統合されていく時期でもあると思う。そういった時期に、大人や何かの価値観の枠にはめようとするためのコミュニケーションが〝やりとり〟ではなく〝交渉〟になってしまうことは、誰かや何かの支配されている状態でもあるように思うのだ。だからこそ、自分の主体性の芽を摘まれないような抵抗となりネガティブな行動へすりかわってしまうのではないのだろうか?とも思ったりする。そして、発達障害など障害がある場合には、保護者だけではなく当事者を取り囲むすべての人が間違えを起こさないようなコミュニケーションになりがちのように思う。

 そして、それらが抵抗となり更なる本人の捻れや拗ねを増幅させていくように思うのだ。それに、障害が重くなればなるほど、その人自身の内面は〝ない〟ことにされてしまったり、その人の中で起きていることを否定し、刷りかえてしまう対応をしたり、推測や想定をされてしまうように思う。認知面が凸凹だからといって、それが間違っているとはいえない。だけれども、三次元の日常生活にそぐわないから、それらをイチイチ書き換えてあげなければ…といったことを、イチイチ大げさに考えたコミュニケーションを行ってしまうことが当事者の〝不満や不安〟を増幅させる要因にもなっていくようにも思う。要は、障害の有無に限らず、一般的に考えればわかることを複雑化させてしまっている原因が家庭教育や教育現場などでおかしなことになってしまい、それらが〝障害〟となってしまっているようにも思えてならない。

 息子が落ち着いたことで、言葉や認知面が伸びていたからこそ、施設や学校だけで他者との関係性を育むことをきめ細やかにできるのは、家庭生活でなければできないと思ったことが息子との関係性をやり直すことにもなるし、母子ともに愛着のヌケを埋めるのではなく、育めるのだと思うようになったのだった。

 

行動障害と向き合う⑥へつづく