ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑩-原始反射と愛着障害-

原始反射もいくつかあるようだったので、コーチにはなる予定もなく、ただ、全過程の講座を受講しようと思っていましたが、散々なことがあったことと、反射の勉強をする前に自分自身をまずしっかり治さないといけないと思うにいたったことから、初級の講座で土台となる反射でもある〝恐怖麻痺反射〟と〝モロー反射〟の学びで得たことだけになってしまいましたが、初級の講座だけでも参加できたことで気がつくことがたくさんありました。講座で学んだことで、統合ワークに関することだけでなく周囲の人たちに感じていた不可解な行動や意味がないようで意味があるように感じてしまう言語化できなかった物事が、何故そのように感じてしまうのかがわかるようになれたことが、自己理解だけでなく他者理解に一役かってくれることとなりました。本当に受講してよかったそう思っています。

私の場合には〝モロー反射〟というより〝恐怖麻痺反射〟の残存率が高いと思っていましたが、最近思うのは、私の場合には〝モロー反射〟のほうが、実は統合できていなかったのではないか?と思ったりしています。要は、この反射に不具合があったからこそ、〝第一次反抗期〟も〝第二次反抗期〟も不発のままでもあったのだろう。そう思ったりもします。

『人間脳を育てる』の著書の中に〝動きの四発達〟ということが記載されていますが、この四発達のどこかにヌケがあったら、そのヌケを埋めるには一段階下の〝動き〟をやり切れば、次の段階へ進むらしいのです。ただ、私の場合には、講座を受けた時や神田橋先生への受診時に教えていただいた〝進化の体操〟を行った後、車酔いのような身体症状が起きました。不具合が起きているように感じますが、おそらく何らかのアプローチとなったから、不具合が起きたのだと思います。統合ワーク後はしばらくその状態が続きましたが、進化の体操の後は、翌日には治っていましたので。

子どもの頃は大丈夫だったブランコも大人になってしばらく乗ってなかったら車酔いはしないけれど酔っていましたし、金魚体操の縦揺らしでも酔ってしまっていました。でも、最近何気にブランコに乗ってみたのですが、酔わなくなっていました(笑)確か、数か月前の時はブランコを軽くゆらしただけでも、気持ち悪く感じていたのであんまりブランコをこげなかったのですが、いつの間に酔わなくなったのかがわかりません。が酔わなくなっています。と、私の場合にはこのような感じで〝なんか知らんうちに治っている〟ということで治ったんだなぁーと体感することが多いのですね。なので、一回のワークでよくなってしまう人たちもいるかとは思いますが、神経だからこそ、一回で良くなってるということはないように私は思うのですね。とりあえず、ワークを行うことで〝新しい回路ができた〟といった感じでしょうか。なので、その新しい回路が定着するまでにはそれなりの経過を経て、今まで繋がっていた回路とは違う、新しい〝より良い場所〟に繋がっていくのだろうと思ったりするのです。ですので、一回のワークで治ったように思うことは私も体感したことがありまが、それはお呪いにかかった状態でもあるのではないのだろうか? もし1回のワークでできるようになるのだとすれば、そういう人たちはいわゆる健常域の人たちになるの? といった新たな疑問が湧くこととなりました。

何故、そう思うに至ったのかと申しますと、私は以前、10年くらい整骨院に通院していました。その時の先生には『弛める』ということをずっとアドバイスしてくださっていたのに、私はよく理解できてもませんでした。聞いてなかったみたいなのです(苦笑)。その当時の私には受け入れがたいくらいに都合が悪かったのでしょう(苦笑)整骨院に通っていたのに、数年に一度のペースで起こっていたぎっくり腰が1年単位で起きるようになりました。自覚のない疲れが溜まっている時は、必ずブレーカーが落ちる状態として起きていたこともありました。そして、やっと『弛める』という意味が自分自身にとってどのような効果をもたらしてくれるのかを気がつきはじめてから、ぎっくり腰になる確率がぐっと減っていきました。

私の場合には、過集中すると変な体制のまま仕事を行い、それらが身体の不調になってしまっていました。仕事中の身体の使い方も気をつけるようになりました。無意識にとっていた体制を意識的に整えたりすることと、自宅でゆるっと整えることを行うようになった事で、ぎっくり腰になる確率がさがりました。というかぎっくり腰が起きそうな身体の状態に気がついたら、整え方を変えるなども行ってきました。ですので、私の場合には『弛める』ということがどういったことなのかを理解するのに3年以上かかったと思います。そして、どこをどのように『弛める』のかでも身体への響き方って違うのだなぁと思ったりもするし、人それぞれでも違いがあると思うのです。『弛める』という言葉の受け取り方も、教科書通り受け止めている間のうちは、本来の身体の働きへとは変わっていかないのだとおもったことがあり、私はきちんと理解できていなかったのだなぁと反省したことがありました。そう思うきっかけとなったのが〝恐怖麻痺反射〟のことを知ったことや3回目の自主企画の時、そして、野口整体の活元運動の講座を受けたことから、なんとかやっと『弛める』ということへの扉が開いたと思えたのでした。
こういった体験があることから一回の施術で劇的に治ることはあっても、これまでに身体に染み着いてしまった癖が残っているのであれば、またある一定の期間を経て元に戻ってしまうのが身体の働きでもあると思うのです。それは、自己啓発や心理学方面の人たちからもお話を伺ったことがありました。意識的に変えようとした場合、頭は〝陽〟に対し、身体は〝陰〟になる。だから、頭ではわかっていても身体が元に戻そうとする働きがある。そして、その身体の働きがあることで、一次的にメンタルも落ちてしまうことになる。といったことを教えてもらったことがあります。そういったことからも、一回の施術や指導や自分なりの体操を行うことで一次的に治ったように感じても、なんらかのきっかけがあれば、元に戻ってしまうのは、人だからこその身体の働きになると思いますし、意識が変化するということは、神経がこれまでとは違った〝より良い場所〟へ繋がろうとするには、それなりの時間は必要な気がするのです。ですので、施術や指導で1次的に不具合を回避はできてもそれを常に保っておくためには、日々整えることが望ましいのだと思い現在に至ります。

それと、整え方は身体アプローチをとりいれはじめた当初からしたら、自宅で行っていることは年々変っていきました。折に触れて神田橋先生の受診をすると、新しいアプローチの方法を教えていただいていたので、それらを行ったりもしてきましたし…。なので、最近思ったのは、私がLD体質だから1回の指導や施術で身体の変化を感じても劇的に治るということとならなかったんだろうか? それは体感の差なのだろうか? そういったことを考えるようになりました。ああ、またずれてしまうなぁ。。。話を戻します。
上記のことを踏まえて考えみると、意識的に変えることを行ったり日々整えることで、ある一定の期間、身体が適応することができていても、身体が元に戻そうとする働きがあるからこそ、何かのきっかけがあれば、一度埋まったヌケも、何かのきっかけで再度元に戻ってしまうことになるのだと思うようになりました。それは、人がその時々の環境により良く適応していくためでもあると思いますし、神経が離れてくっつくことを繰り返しながら発達していくからでもあると思います。(違ってたらすみません。)といいますのも、私の場合には感覚過敏が酷かった頃からすると一度鈍感になり(それでも人様より敏感)、身体を整えはじめたことで逆に敏感体質に戻りました。それも一度過敏な状態が悪くなり、日々整えていると何か知らんうちにその過敏が体調さえ整っていれば気にならなくなる。という具合になりました。
それに、息子の場合には一時期おさまっていた皮膚の過敏が環境や生活の変化があったことで、後退しました。洋服に関しては敏感になってしまったし、服の好みや着やすさなどもあるので、こだわりが酷くなっているように感じますが、一度自立していた排泄が生活の変化など様々な事情が重なり、本人がおむつが良いというので、本人の主体性を尊重しておむつに戻ることになりました。で、幼児期の頃はおしっこが1滴おむつについてもおむつを変えたがるくらいだったし、オムツは全く濡れておらず、湿度でオムツが湿っているだけでもオムツを履きたがらないくらい、それくらい敏感でした。が、久しぶりにオムツ生活に戻ったら、オムツが濡れても、すぐオムツ替えをしなくても、オムツのままでいられるようになっています。そういうことが良いとかではありませんが、彼なりに布のパンツと紙パンツの違いを感じてるのかもしれません。ですので、今後どうなるのかを見守っている状況です。
それとは別に聴覚過敏に関してはイヤーマフを外せる時間も少しずつ増えていますし、テレビ等の音量に関しては意識的に数値を決めてきたこともあり、油断すると音量を大きくしがちでしたがそれらはなくなりつつありますし、大音量で聞きたい場合には、幼児期からヘッドフォンで聞くことを行っていましたので、ヘッドフォンをして大音量で聞いたリといったこともできています。他にも変わってきたことがありますが、また別の機会に記事にできればいいなぁと思っています。

私自身もですし息子も、時代が移り変わっていくのと同じように、その時々の生活環境の変化に応じて、今までできていたことが出来なくなったり、できなかったことができるようになったり…。そういったふうに変体しながら発達しているのだなぁーと思う今日この頃です。

ああ、また長くなっているけど…。まだまだ続きまする。。。


LD体質な私の身体感覚について⑪-原始反射と愛着障害-へ続く