ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑥-意識と無意識-

LD体質な私の身体感覚について⑤の記事の中に〝ボディイメージ〟の感覚が薄いといったようなことがありますが、ボディイメージの感覚が薄いとハッキリわかることとなったのが、アロマオイルでマッサージしていただいたことで自覚することになりました。(詳細は過去記事をご覧ください)その時、マッサージしてくださっている方の手が背中の腰の部分におかれているのに、その手の存在を感じることができていないことが発覚しました。

「晴さん、今、手で触っているよ。」

と声をかけてくださったのに、私はその施術してくださっている方の手を感じることができませんでした。ええ。自分でもビックリしました。全身マッサージをしていただいたのですが、なんだか私は相当渇いていたようで、途中オイルが足りなくなって何度かつぎ足したんだそうです(苦笑)なので、『結構渇いているよ』と教えていただきました。自分では渇きやすいとは思ってはいたので、なるだけ常温のお水を飲んだり、白湯を飲んだり、汁物を摂ると良いことを知ってからは汁物も積極的に摂るように心がけていました。なので、人より水分は多くとっていると思われます。なのに、身体の表面が乾いているということは、腎臓とかの機能が弱いということになるのでしょうか? そのことと関連するのかはわかりませんが、寒い時期に車に乗っている時、私や息子が乗っている席のガラスは、何故かガラスがくもりやすいのです。もしかして、私たちの場合には身体からお水が蒸発しちゃってしまうのかしら? 運転手の元相方側のガラスは全くくもることがなかったのです。それがいつも不思議に感じています。私はトイレにもマメにいくし、息子もそれなりにおむつをかえるので(息子は現在紙おむつです)それだけは今だ謎だなーと思っています。ああ、なんだかズレタな。。。
シテ、そのオイルマッサージを受けた後、オイルで全身がコーティングされたからか、ワイドパンツ的なステテコを素足で履いてみたら、レギンス履かなくても脚のイメージがわかるーーーー!と感動することになりました。ただ、それはしばらくしか続くことはありませんでしたが、私のようにボディイメージがわかりづらい体質の人の場合には、他者に身体を施術してもらうということが固有受覚を発達させてくれるようにも思ったりします。だったら自分自身でボディーローションでも塗ればいいじゃん!と思われるかと思いますが、そもそも、ボディイメージの感覚が薄いということは、インプットする力が弱いからこそ他力を使うことが望ましいように思うのです。なぜかというと、それなりに意識をしたとしてもインプットする力も弱いがゆえと、自分でマッサージするということは、入出力が同時処理されることになると思うのですね。だからこそ、どちらか一方しか集中できない状態になるだろうから、なかなか無意識へのアプローチとはいかないのではないか?とそんなことを思ったりしています。で、他力で入力する時は自分は情報を受け取るすることに集中できますよね? そういったことから意識と無意識が繋がりづらい体質の人たちには、身体アプローチの内容によっては、うまくいかないケースがあるような気がしています。そして、おそらくそういう人たちの場合には『生まれているのに生まれてない』2者関係のままな人たちでもあるのかもしれませんよね。ですから、そういった意味でも他者から施術を受けることが望ましいのかじゃないかと思ったりするのです。つまり、外部刺激は他力を使うほうが、インプットされやすいのではないか? そんな風に私は思っています。だって、自分でやるより誰かにやってもらうほうが気持ちよくないですか? それに、感覚を育てるのは自分だけでもできることと他者との関係性でも得られることと集団から得られることとありますよね。自分以外の誰かに施術してもらうことは、2者関係のやり直しができることにもなります。そして、感覚が育つキーワードは『気持ちいい』とか『心地よい』です。プロに頼めばお金はかかりますが、自宅でもできないことはないですよね。そういうことがアタッチメントの不具合を抱えた人たちには有効になるのだろうと思ったりもします。ただ、相手は選んだほうがいいと思うので、この人なら大丈夫というそういった感覚は大切にしたほうが良いと思っているので、私は人は選ぶようにしています。うちの息子は正直な人なので、私の心身の状態が悪いと触らせてくれません。それくらい敏感な人もいることは知っておいてもらえたらいいなぁーと思います。それと、鈍感になっている人は、自分自身が人に触れられることは大丈夫って思っていても、身体が緊張しているなぁーと思う方もいらっしゃるので、そういった緊張感を感じた時は、そういう人には触れないようにしています。多分、ご自身では気がついてないけれども、なにがしか働くからこその身体からの拒否反応だと思うのです。これは私だけの独自の感覚かもしれませんので、あしからず…。
で、ボディイメージが薄いことから、私はいい大人ですが、廊下などを歩くとき壁から自分の距離を知るためなのか、無意識に指先を壁にあて、しばらくすぅーっとなぞったりすることがあります。これは息子にもよくみられる行動ですが、息子のその姿をみて、自分でも無意識にやっていたことだと気がつくことになりました。以前、療育の学びの中で発達障害の人たちへのパーソナルスペースの指導法なども少しだけ学びましたが、それらは言葉でのアプローチができる人たちには有効かもしれません。ただ、私はスピリチュアル方面で似たような方法でバリアの貼り方を習ったことがあり、一応やってみてはいますが、実際にはなかなかうまくいっていません。それと、以前友だちの1人で

「頭でイメージすることが苦手だから、言われることは解るけどできない。」

という人がいました。私にはその感覚が逆にわからないので、そんな人もいるのだなーと思ったことはあります。私の場合大抵のことは一度映像化される仕組みなタイプなので。ただ、今思うと、ようはそれってブロックになるよなーと思うし、思い込みでもあるんだろうなぁと思います。それか、変えられることを無意識が拒否していたのかもしれないなぁーと思いますし、ああそういえば、あの人は思考停止組だったわ。。。とそんなことも思い浮かびました。
ただ、私は映像化する力はあるけれども、歌の場合には、一度音声言語を視覚化しないとただ聞こえているだけだったのだと、1人カラオケをはじめてからわかりました(苦笑)それくらい、私の脳みそは〝インプット力〟と〝アウトプット力〟の凸凹があり、でその凸凹な体質を〝悪〟とみなし、とにかく出来るようになろうと挑んできましたが、ムシロそんなことしなくてもよかったことがわかったのがここ最近の話です。
そうやって自分の凸凹の持ち味を活かし、楽しんで取組めるアプローチだと、三日坊主で済むこともなく、というか三日坊主という概念さえぶっ飛んだことが、私を楽にしてくれました。そして、それらが好をそうしているようで、一時期描きたくても描けなかった絵が描けるようになり、苦手だった色塗りが、何故か苦手ではなくなっていて、自分が思ったように色が塗れるようになったのですごくビックリしています。それと、写メの撮り方もなんだか力をいれなくても、自分の納得いく瞬間を撮れてしまうので、もう何がなんだか自分でもよくわからない事態になっています。ただ、楽しいです。一時期は絵を描くことが苦痛で仕方なかったこともありました。それでも描かずにはいられませんでした。何度か描こうと思ったけれど、どうしても描けなかったんです。だから、ずっと描きたくなる日が来ることを待っていましたら、その日は来ました。『身体が楽になれば脳も楽になる』という神田橋先生の言葉は、本当だったと身に染みる毎日です。

 

LD体質な私の身体感覚について⑦-原始反射と愛着障害-へ続く

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