ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

2者関係とエネルギーの循環

ずっと晴れ間に恵まれていましたが昨日からお天気が崩れ、花粉やPM2.5、黄砂などと同時に私の中でも混沌としていた物事を整理し洗い流してくれるような雨です。雨脚は強いけれどもなぜだか優しさを感じ心地よい春の雨音に癒されます。 

昨日、石井ゆかりさんの著書『月のとびら』を購入しました。読み進めていくうちに、〝太陽と月〟や〝母性〟というキーワードから、気がついたことがありましたので、今日はそのことを記事にしたいと思います。

自分自身や息子の心身の状態を整えるために学んできたこの数年で得た知識は、私の生や性に対する意識を大きく変えてくれました。ここ2週間ほど過去を振り返って様々なことを見直していたのですが、この数年前で積み重ねてきたことが、過去の罪悪感を払拭させてくれたり、新たな視点から自分自身を眺めることができるヒントが沢山あることに気がつくことになっていました。昨日、石井さんの著書を読んでいましたら、ふと自分自身の母性や母親としての罪悪感が浮かんできて、すると、それとはまた別に愛着障害や原始反射の学んだことや先日出かけた先でまだ歩き始めたばかりのお子さんを抱っこさせてもらったことなどを芋づる式に思い出すこととなり、ハッとしたのです。

うちの息子がまだ療育をはじめる前までは、抱っこが大好きな子でした。ですから、いかなる時も〝抱っこ〟か〝おんぶ〟をしていました。なので、私の右手は腱鞘炎になったこともありました。腱鞘炎になるということは腕だけで抱っこしようとしていることだということで、抱っこの仕方も工夫したことを思い出しました。あの当時はスリングなど知りませんでしたので、私の母が手作りしてくれた〝おんぶ紐〟をつかったりしていました。

うちの子は多動ではなく漬物石のようにその場から動かないタイプの子どもでしたが、大抵のお子さんは自分1人で歩けるようになると、目を離せない多動な時期が必ずあると思いますし、この世に生まれて間もないからこそ、小さな身体から溢れんばかりのエネルギーがコンコンと湧いてきて、そのパワーを放つべく動き回っているのかもしれないなぁと思うにいたりました。それとは対照的に母親の場合には、体中のエネルギーを振り絞って痛みに耐えながら出産します。(私に場合には帝王切開でしたが、それなりにエネルギーは消耗しました。)それから、赤ちゃんを育てることにエネルギーを注ぐ日々がはじまります。そんなの当たり前のことなのですので、今更何言ってるの?と思われるかもしれませんが、これってとても大切なことを物語っているのではないのだろうか?と昨日気がつきました。

それはどのようなことかといいますと、母子分離前の間は2者関係の期間になります。母親のおなかの中からこの世に生まれることで、確かに1対1になりますが、2者関係の時期というのはまだ2人で1人のようなものだと思うのです。生まれて間もなく自分自身ではどうにもできない時期だからこそ、コンコンと湧きあがってくるエネルギーを母親と循環させる時期でもあるのだなぁと思うです。エネルギーが有り余っている赤ちゃんとは逆に出産後の母親はエネルギー不足でもあるし、育児をすることでもエネルギー不足になりがちです。なので、赤ちゃんを抱っこしたり、おんぶすることで、母親は子どもからその有り余ったエネルギーをもらえることとなるのではないのだろうか? そして、エネルギーの有り余った子どもはそれらを母親に分け与えることで、自分自身のエネルギーの調整をすることになるのではないか? そうやって互いに補いあう期間が2者関係の時期なのではないか? だから、抱っこやおんぶや添い寝などはその時期の母子にとってとっても大切な時期になるし、母親に限らず子どもにとって、有り余ったエネルギーを自分自身で解消できるようになる前の準備期間の時期だからこその抱っこやおんぶや添い寝だとするなら、子ども自身から離れるまでは、抱っこもおんぶも添い寝もしてやり切ることが大切なんことなのではないのだろうか?と思いますし、その抱っこやおんぶをすることで、前庭覚や固有受覚を育てる役目もあると思われるので、現代の育児の失敗が子どもたちの成長を妨げている要因にもなっているのではないのだろうか…?そんなことを思い、過去の自分を振り返りながら切ない気持ちになったのは言うまでもありません。

※あくまで個人的な見解です

 

今日はこのへんで…