ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

発達援助と自助努力のマリアージュ⑦

久しぶりに社会復帰した職場は、障害者枠ではなく一般就労で入社しました。短時間の早朝パートでしたので、短時間激務だとしても週5日継続して働けそうだと思ったのと、出勤時間が早朝なのことが通勤ラッシュにあわずにすむこと、平日の昼間の勤務より時給が少し割高なことが私にとって魅力でしたし、我が家の家庭の事情は察してくださるということでしたし、優遇していただきました。

一般就労でしたのでジョブコーチははいることもなく、ほとんど自助努力で仕事を行っていました。ただ、おそらく配慮はしてくださっているのだろうなぁという雰囲気を感じることはあったので、ナチュラルサポートをしていただけていたのかもしれませんが、実際にはどんな配慮をしていただいていたのかわかりません(苦笑)そういった状況でしたので、仕事の効率が下がったり支障があるような時は、自分から職場の上司に相談するようにしましたが、そんなに配慮をお願いしたことはなかったように思います。

1つだけ覚えているのは、私はパートだったので、自分の席がないに等しい状況でした。ですので、その日空いてる席で入力作業を行うことが、負担になることはありました。入力するテンキーが違うだけで入力作業が遅くなってしまうこともありましたが、そういったことはしょうがないことだったし、自分がそのキーボードに慣れるか、あまりにも入力しづらい場合には、その席のキーボードを変えていただいたことはあったように思います。ただ、一度だけ蛍光灯の真下にある席で伝発作業を行わないといけなかった時だけは、眩しすぎて画面がみずらく仕事にならず、席を変わってもらったことがあったように思います。そうじゃないと、文字がみえずらくて入力できないだけでなく、体調が悪くなってしまう事態に見舞われましたので。。。

後、入力事務に慣れてきた時から電話受注もすることとなり、営業の方やお客様とのやりとりをすることになった時は、毎日が怖くてドキドキしながら対応していました。電話の受け取り方の指導は、職場のリーダーの方や周辺の方たちが丁寧に教えてくださっていたのですが、忙しい時には、教えてくださる方たちも現場でバリバリ仕事なさっていましたのでなかなか聞くにきけないこともあり、電話対応で困ることが多い状況の時は、自分では解らない時の対処法は覚えておいたり、メモに控えるなどして、後で暇な時間に質問するようにしていました。私は、元々電話応対が下手だったので、上手くなりたくて、入力をしながら電話応対が上手な人たちを観察し、私にもできるやり方の作戦を考えることが日課な時期もありました。

まだ不慣れな時には、電話で聞き間違うことも多かったりして、お客様へ何度も聞き直す羽目になったりもしましたし、入力するより何よりも、電話対応しながら受注表などにメモをとる作業が一番苦手でもありましたので、復唱しながらメモに書くようにしたり、お客様によっては受話器から聞こえる声が聞きづらい場合には、失礼のないように『あいうえおの“あ”の〇〇ですか?』といった尋ね方をするなども行いました。電話対応に関しては、プライベートで商品をお取り寄せしたりする際にコールセンターの方たちの対応の仕方を参考にしていました(笑)私自身が損したくない人だったからか、どんな経験も仕事に活かせることなら一度は職場で行うなどして、スキルアップしていくのも楽しみの1つとなっていました。このほかにも工夫していたことはありますが、全部あげるとキリがありませんので、今回は私自身が一番苦労していたことだけ抜粋しています。あらかじめご了承ください。

仕事の内容に関する以外での私にとっての課題は、休んだり遅刻することもなく、毎日出勤をすることでした。体調管理も仕事だと思い、日々身体を整えるということはかなり気をつかっていました。早朝覚醒をしていたので自然に夜9時代には眠くなってしまうので(←小学生かっ(苦笑)夜10時までには寝て、翌朝4時までには起きるといった生活をしていました。その当時までは、まだまだ仕事とプライベートのオンとオフの切替ができない体質でしたので、お休みの日はきちんと休むように努めましたし、外出したり人に会うことも極力おさえるようにしました。なぜかというと、人と接することが私にとって一番体力を消耗し、ストレスが溜まってしまうことにもなってしまいがちだったので、家族以外の人たちと会うことや出かけることも調整したりして、日々の疲れを溜めないようにすることを日課としていました。その当時は息子は1か月に1・2回帰省するといった状況で、1人で過ごす時間が多く自分のことだけを考えれば良い生活であったことから、基本的に仕事を優先的に考えた生活をしていました。ただのパートだったのに(苦笑)…。

私は元々そんなに器用ではないので、仕事も生活も遊びも全てにおいて全力を出し切るようなそういった生活だと、体力の使い方がアンバランスで自己コントロールができないものですから、鬱が再発するトリガーになってしまうことに陥りやすかったので、そういったバランスをとることも当時は気をつけていました。今思うと、ただ単に私自身に主体性がなかったことが体力を消耗させていたことと、仕事をする時の脳みその使い方が人と違っていたことが原因だったんだろうと思うにいたっています。なんせ、入力作業しながら事務所の人間観察も同時に行い分析なんかしちゃって自分自身をたしなめたりしていましたのでね。。。そういった脳みその無駄遣いが私のエネルギー切れを起こしたり、この当時はまだエンパスだとわかってない時でしたので、そういった意味でのエネルギー漏れだったのだということがハッキリしたのが退職をする数か月前のことでした(苦笑)そんな努力と工夫のてんこ盛り生活を行いながら、2次障害の鬱や人格障害のような症状を仕事しながら治せるだろうと思っていたし、一時期は治っていたと自分でも思っていました。でも、やっぱり時々折に触れて人格に不具合があることがありましたので、それは、霊的なモノなのかなぁ?と思ったりもしましたし、もう別にそのままの状態でも、相方と一緒にいる時だけだからいいかなーとも思っていましたが、結果的には職場を退職するにあたり、トラブルがあったことが原因で私の怒りはおさまりきれず、4回目のODをしていまい2日目に目が覚めた後、自分自身の2次障害が全く治っていなかったんだと改めて気がつくことになりました。

 

⑧へ続く…(完結編)