ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

発達援助と自助努力のマリアージュ④

はてさて、シリーズものと化しています。ブログを読んでいるとまるで聖人君主な雰囲気?を醸し出している???いない?まっどっちでもいいのですが、決して私は出来る人でもないし、良い人でもありません。真面目でもありません。めんどくさがりだけど律儀ではあります。どちらかといえば、ドジで気がきかなくて、干物系女子です。片づけることが一番苦手です。未だに片づけることだけは苦手とです。そこで、①~③までは努力努力の積み重ねオンパレードでしたが、今回は片づけらない言い訳とか出来ない言い訳も記事にしてみたいと思います。努力が好きな人たちは、読まないでくださいね。突っ込みどころ満載でしょうし、良い子のみんなもオバサンのことマネしたら、君たちのご両親に申し訳ないのでね、読んでも頭にいれちゃだめよ。。。オバサンが怒られちゃうんだからね(懇願)

私はそれなりの自助努力はしてきたのですが、部屋の片づけなどに関してだけは今だに苦手だし嫌いです。それなりにどうすればいいのかは気がつくことができました。とにかく、どこに置いたのか忘れてしまうことなどから巻き起こる、同じ物がたくさん家の中にバラバラと置かれている状況はどんなに片づけても片づけても、日々気をつけないとすぐ後戻りします。今やってるのは、とにかく『捨てること』。何年も使っていないものや必要な物以外は捨てたり、人に譲渡したり、アウトレットで引き取ってもらったり…。そういうことで部屋のスペースを空けておくことや、部屋の片づけや掃除がやりやすい構造化をすることが、私のような体質の人には必要だということまでは解りました。断舎利といえば、こんまりさん。こんまりさんのお話を参考にさせてもらって実践してみて、物欲に関してはかなり意識的に変えることができました。なので、洋服は本当に欲しい洋服しか買わなくなりました。というか買えなくなってしまいました。それまでは同じ形の色違いとかよく買ってたし、バーゲンの時になんとなく買ってしまっていたけれど、そういったものはほぼ買わなくなりました。買う時は目的を持って買うし、買うためにいっても欲しいと思わなかったら買わずに帰ることもあります。実は洋服はこだわりが強く好きなので、コントロールしづらかったのですが、これは確実に治りました。そして、『物を捨てる』ということに対して躊躇なく捨てられるようにはなりました。昔は贈り物の包装紙やリボンをとっておいたりしていましたが、今はすぐ捨てることができるようになりました。それか息子の紙ちぎりアイテムと化しています。

地震があったことで強制的に片づけなければならなくなった時、片づけられない私と違い片付けが鬼のように早くて上手い母に手伝ってもらいました。でも、この時、母に伝えたことは、

「何をどこに置いてあるかわからなくなるから、棚の中に片づけるのはやめて。棚に片づけることは自分でしたいから。」

といいました。なので、使うものと使わないものにわけてもらったり、使わないモノは箱詰めしてもらったり、棚などを置く場所などの大きな構造化を考えてもらうことはお願いしました。それと、物を片づける時の工夫とかを教えてもらうことと、苦手な掃除はお願いしたという感じです。

この時までの私は、母に片づけてもらうことが当たり前になっていました。母は勝手にしてくれるけれど、実は有難迷惑でもあったのです。でも、自分では上手くできないし、綺麗に片付くならと思って断れなかったというのもあります。主体性をとり戻しはじめた頃から、母に片づけられることに対してイライラすることが増えていきました。そしてその理由がわかったけれど、どんな風に伝えれば母はわかってくれるだろうとずっと考えました。なぜイライラするのかの理由はわかっても、断る勇気がなくていえないままでした。いうタイミングも難しかったですし…。そして、その母にいえるタイミングがやってきた時、母に電話をかけ「この間片づけた時○○どこに片した?」ということを伝えました。そういったヤリトリを2~3度した時だったでしょうか『お母さんが片づけてくれるのはありがたいけど、どこに何があるのかわからないと、こうやって電話かけないといけないでしょう?』という私に対し、母は『片付いてないより片付いたほうがよいでしょ?』だったかそんなやりとりを電話でしたことがありました。その時はちゃんといえたのですが、それでも、母にはあまり伝わっていないような気がしました。

私の記憶は凸凹があるので、長期にすっと結びついてしまうことと、結びつかないことの差が大きすぎるので、他者からみれば、なんでそれくらいのことができないの?と不思議に思われると思うのですが、仕事より何よりも、そんなことが私が一番苦手とすることだったりします。忘れないように気をつけないと忘れる体質だからか、自分で片づけてもその時の体調次第では物をどこに置いたのか、どこにしまったのかさえ忘れてしまうこととなり、自宅で使用する消耗品を買ったつもりで買ってなかったとか、買ってなかったと思ったら、なんかよくわからないところから出てきたりとか、目の前においてあるのに気がつけないとか…。そういうことで二重三重に同じ物を買ってしまうこともあったりもします。それと、定位置に置くようにしても、ハサミやカッターなどは、その場所から移動して使ってしまうと、その移動した場所に置きっぱなしになったりしたままになりがちで、定位置にないことから、失くしてしまったと思って、再購入してしまうといった体験から、一部屋に一つずつ買って置いたりしたこともありました(苦笑)そうしたら、どの部屋に置いたのかあちこち探さなくてよいと思ったことからでした。そんな工夫はしてみたものの、結局定位置に置いていた時と状況は変わらなかったので、今は定位置に戻すという癖をつけました。それは、どんなこともやったのではなくて、自宅の鍵や車の鍵だけで練習をしました。そして、覚えているうちに元の位置に戻す。そういったことが他の物を片づけるのにも役にたつことになったように思います。

忘れることが得意なだけあって、定位置から迷子になったさまざまの物が部屋にバラバラに置き去りにされていることが通常運転だからこそ、家の片づけをやってしまうと、こんどはその物を探す時に、過去の画像を巻き戻し辿って物を探すということを行う場合に、その過去の画像と違う部屋の状態になっていると、失くしものが探せなくなってしまい、あげくのはてには再購入になる場合もあるし、探すことに労力を使い果たしくたびれ果ててしまい、他のことができなくなってしまう、2次災害まで起こってしまう率が高くなることが多く、片づける時はある意味その過去画像をリセットする勢いで片づけ、新しい部屋情報に書き換えてあげるくらいじゃないと、私みたいな体質の人の場合には2次障害じゃなかった、2次災害から3次災害となり、探し物からの遅刻だったり、探し物がでてこなくて申し込めないとか…。そういったことになるので、片づけたほうがいいし、自分も片付いた部屋のほうが気持ちいいとはわかっていても、片づけることが億劫になってしまうのです。。でも、この『探す』という労力がいかに体力を奪うのか、そして、自己否定の材料になってしまうのかはいうまでもありません。

とりあえず、何をどうすればいいのかはわかっていても、できない理由や言い訳めいたものはたくさん思いつきます。で、そんなできなかった理由や言い訳を私も何十年て言い続けてきたので、同志の人たちの気持ちは少しはわかっているつもりです。(つもりなので、わかってないかも…)で、ですね、これ、数年前に気がついたのですけど、できない言い訳をする人たちの共通ワードが『めんどくさい』なだけなんじゃないかだと思うにいたったのですね。興味のあることはめんどくさくてもなんとかできるのですけど、そこに好きな気持ちがなかったら『めんどくさい』ことは過去の失敗体験の積み重ねがなされすぎて更に増幅していることになりますし、『なくなった!』と思った時点で様々な展開が頭に浮かんでしまいます。ぐるぐるぐるぐる。そんなことを考えながら、失くしもの探索する訳ですから、そりゃメンドクサイだけじゃなく、体力も奪われるわなー。。。と思ったりもしています。なので、私はもうそういう時は探しません。あきらめることにしました。そして、ちゃんと謝罪したりするようにしました。すみません。ちゃんと片づけてなくて失くしました。と小学生かっていうようなことをいうようにしてみました。で、失くしちゃヤバイものは案外失くさないっていうことにも気がついたし、文書などは読み間違ったり読み飛ばしていたりして、捨ててしまったりすることもあったりしたので、日付をちゃんと確認するようにしています。

一番簡単なのは、食事は外食したり、買って食べたりして、必要最低限の物だけおいて、寝たりくつろぐためだけの生活をしつつ、物を増やさない。後、収納に対する物量が多いと絶対片づけられない。そして、『みえないものは認識されない』タイプの人の場合には、みえる形で収納するか、物を置く場所を一か所に決めてその場所を構造化し収納するかになるだろうとは思います。うん。どんな工夫をすればいいのかのアイデアはでるのですが、実際には動けません(苦笑)とこればかっりは、なかなかできないですね。で、片づけられないと掃除も上手くできない。。。ワタクシ。トホホ

 

⑤へつづく