ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

ひさしぶりの講演会

2年前の2月。南雲明彦さんの講演会が開催されるということで、久しぶりに講演会に参加することにした。うる覚えだが、ザ・世界仰天ニュースで南雲明彦さんのことが放映されたばかりだったように思う。南雲さんとは面識はないが、ご本人の著書を読んでいたこともあり、発達障害の当事者の中でも、修行系でご自身の意見を持った方だったし、思春期のお子さんたちのサポートもなさっているとのことだったので、参加することにした。

会場には保護者や当事者らしき人達も参加しているようだった。講演会の内容はもう2年も前のことなのでほとんど覚えていない。ただ、私はあの時、南雲さんのお話を聞きながら泣いたことは覚えている。そして『個性と障害の違い』についての考えを聞き『激しく同意!』と心の中で唸った。後『親以外に誰か一人でも信頼できる人がいることは大切』といったようなことも、その当時の私の胸には響いた。

講演会の最後は大抵講師への質問タイムがある。この時の質問が、まるで心理相談みたいな質問をしている保護者の方がいらっしゃって、正直がっかりした。しかも、それを、主催者の相談センター誰も止めにはいらない。そんな質問してる保護者だけじゃないよ!ということを知ってもらいたかったこともあり、わが県もICT導入がささやかれはじめていた時だったので、そのことについて質問させていただいた。自分が質問した内容は忘れたけれど…。なんていうか、せっかく貴重なお話を聞いたのに、意味不明な質問するなよ。勿体ないなコノヤローぐらいな気持ちになった私のエゴがそうさせたのだと思う。今思うと、私自身もその意味不明な保護者と変わらないなんだかなな人にはなるよなと思う…(反省)

私はその時久しぶりに講演会に参加したのだが、あいかわらず行政関連の講演会の質問の質の悪さにはあらためて呆れることとなった。保護者や当事者から講師への質問の質の悪さは行政関連にとどまる事はないことは承知しているが、質問の時間にプライベートなことを講師に質問し相談の枠を越えた問いかけをする保護者も多かったことが思い出される。確かに今問題だと思っているから、少しでも早く解消したいというのはわかる。ただ、それだったら近くの病院や相談機関を頼るなどできることはあるでしょうよ。なんで、頼らないの? こんなとこで解決させようと思うワケ?と思うような場面は如何なものだろうか? プライベートすぎるお子さんの尊厳を無視した質問をなさる方、その場で診断や判断を仰ぐような場面も何度も目のあたりにしてきた。行政関連ではない講演会の場合には、質問の内容次第では、司会者が断わることもあるが、行政関連だとそういった介入がない場合もあり、そういうのを目にするたびになんだかなーと思うことが多々ある。

この日の南雲さんへの質問もなんだかなーだっただけでなく、講師の南雲さんから主催者の方へ『なぜ、僕を講師に呼んだのか?』といったご質問に対し、主催者側が講師としてお招きすることになった意図を話せない場面をみることになり、本当に恥ずかしい話だよなーと思った。講師に対して失礼なことしているよなぁと。障害者を支援する立場の人たちが、お招きした講師の方を大切にできていない場面もみることになるわけで、こんな場面をみると、人を大切にできてない人たちが障害のある人たちのことを支えていけるのだろうか?と疑問に感じることにもなった。

それに、講師の先生が有名になればなるほど、おそらくその場で確定してもらいたいのだろうといった心理も働くのからこその質問なのかもしれない。が、講演会は診断の場所ではないのだ。そして、その場で一発解決したいなら、しかるべき場に出向いて解決させたほうがよほど早いと思う。なんていうか、誰かに判断してもらうことで、どこか他人任せの決断が、目の前の子どもの人生を迷わせたり狂わせることになっているのだということわからないのだろうか? ましてや我が子や自分自身に対して向き合えていない人が多すぎることを久しぶりに目の当たりにして、悲しくもなった。

この日の講演会で刺激を受けたことで、私は大きなことに気がつき、車の中で涙を流しながら家路に着いた。ただ、何だったのかは全く思い出せない。その日とても大切な何に気がついたから泣いたのだと思うのだが…。覚えているのは、とめどなく流れてくる涙とフロントグラスの向こう側に見える曇り空。全く、自分が向き合えてなかったことを思い知ったような気はする。誰か一人でも自分自身を理解してもらえる存在がいるということが救われたといった話が、私の中でくすぶり続けていた何かを動かしてくれたような気もした。そして、その2日後丸2年務めた会社を退社するにあたり、些細なことで私の怒りが溢れ、自己コントロールできない自分を止めるために数回目のODを決行することとなった。そんな経緯も私の治す覚悟を決めることにも繋がったのかもしれない。体験を通した人の話だったからこそ、私のどこかでくすぶっていたことが炙り出されることになったのだろうから…。

 

今日はこのへんで