ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

お天気悪いはずだったのでは?

本日晴れています。

寒さもやわらいでいるし

本当にまた寒くなるのでしょうか?

 

今日は自宅でゆっくりDAYです。

お休みの時はなるだけ自宅で

グダグダするようにしています。

今インフルエンザも

流行っているみたいですし

一石二鳥でございます。

そんな今日は

Facebookの記事を過去を遡って

読んでいました。

振り返るとその時感じていた

いろんな気持ちを思い出しながら

今の私はまた違った感情が

溢れてくるので

少しは癒えているのかもしれません。

その中で下記の記事をみつけ

思わず笑ってしまいました。

 

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2016年5月3日

 

生きづらさの正体は
私にとって
嘘も方便とか
社交辞令とか
日本人の美しいといわれる
教育とかあり方の枠に収まらないし
理解できない事からの
不具合が起きてしまうって事も
あったのかもしれない
どんな生き方や価値観を持って生きても
私自身が周囲の意見に惑わされず
気にならない人間であれば
変人を極めれば
普通になろうとしなければ
よかったのだろうなと思う
誰かや何かと比べたり
あの人みたいになりたい!とか
他者への憧れが
逆に自分を戒めてきたのだろうとも思う
私は誰かになろうとしてたのかもしれない
私を極めればよかっただけなのに
誰かの人生の主役に
なりたかったのかもしれない
自分の人生の主役だという事が
いつの間にか抜け落ちてしまった(~_~;)
のかもしれない…
勿体ない事したなぁ20年。。。も

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思春期の頃は、

自分はずっとわき役だと思っていて

自分の人生の主役だと気がついたときに

心の底から喜んだことがありました。

それでも、私は自分の人生を生きようとせず

誰かの人生の中で輝きたいと

思っていたのだと気がつくことになりました。

そんな自分に気がついた時は

顔から火がでるほど恥ずかしくて

自分自身が嫌になりました。

もうどんだけ私おバカだったんだろう

そんなことも思いました。

わたしみたいな人は

世の中にたくさんいるのだということも

気がつくことになった昨今ですが

自分の人生だから

誰かに決めてもらう生き方より

たとえ失敗しても

自分で選んだほうが

後悔は少ないように思います。

私が辿り着いたのは

『主体性』という言葉でした。

その『主体性』の芽をつむことになっていた

そもそもの要因が私の場合には

愛着の不具合でした。

でも、それは誰のせいでもなく

たとえ親子といえども

1対1の人間同士です。

だからこそ互いの尊厳をみあやまり

共に生きている中で起きてしまった

掛け違ったボタンのようなものだと

思うにいたっています。

私は、それに気がついたから

一旦全部そのボタンをはずし

掛け違えたボタンを正しいだろう場所に

かけかえるような作業を

この2年弱の間行いました。

失くしてしまったボタンもあるけど

それはそれで、許せている

今日この頃です。

 

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