ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

積極奇異から孤立へ②

息子が生まれたことで1人遊びはしばらく休戦していた頃に、息子の障害がわかり、それからしばらくの間、発達障害関係の講座を受講し学んでいました。自閉症関連の講座の中では、ブログタイトルにしている『積極奇異』と『孤立』というワードを使われることがありました。それらは自閉症スペクトラムのタイプを大きくわけると『積極奇異』『受動』『孤立』といった3タイプになるということで、タイプ別の支援の方法などもされていました。その話は私たち親子にとって、とても必要な情報だと思いながら聞いていました。その話を聞きながら、息子は『孤立』私はその当時診断は受けていませんでしたが、自己診断ではグレーゾーンだと思っていたので『積極奇異』だなぁーと思いながら、話しを聞きながら身に覚えがありすぎて笑っていたような気がします。

(この3タイプに関しての詳細は、私が受講した時期が10年以上も前の話なので、次今現在は少し違った見方をされているのかもしれませんので、割愛させていただきます。ご存じない方は著書を読まれるなり、ネットでお調べください。)

10年以上前に聞いた古い話になりますが、『積極奇異』は衝動性が強いためトラブルに発展しやすいことから、障害の発覚がされやすい。『受動』は女子に多く、他者の指示に従い、扱いやすいことからトラブルになりづらいことで障害の発覚がされにくい。『孤立』は集団が苦手。排除されても本人にとっては都合がよかったりもする。周囲が気がつくことで障害だと発覚することとなる。といったことだったような気がします。うる覚えで申し訳ないです。はい。

で『積極奇異』の場合、周囲とのトラブルを回避するには『孤立』を目指す方向が望ましいといったことをお話されたように思います。で、この時に私自身がなぜ集団生活がか苦手だったのか? 数々失敗してきたことなどに改めて気がつくことになりました。私の本質はそんなに良い子でもなかったと思うのです。本当は自分をしっかりもった正直で素直な子だったのに、家庭から一歩でた所では、“みんな仲良くしなければならない”といった固定観念が、本質的にはみんなと合わせることができない個性を持った子どもだった私を縛る結果となっていたのだろうと思います。いつの頃からか、私はみんなと仲良くしたいけれど、なぜ仲良くできないのかなぁ。と思うことが多かったのです。そして、それらの意味がわからないまま思春期を迎えました。小学校高学年になった時には、周囲のみんなとの価値観のズレがあるなぁーと思いながらも、正直意味がよくわかりませんでした。身体はみんなより早く大人になっていくのに、精神的には成長ができないままだったのだと思います。今思うと心と身体の成長の乖離を自分自身で上手く受け止められていなかったような気がします。周囲の人も私がそういった心情だったと気がつかなかったのでしょうし、私自身言語化できなかったことが大きかったのかもしれません。それに、みんな違っていいことや、みんなと仲良くできなくても大丈夫だって、その当時は誰も教えてくれなかったし…。だから、クラスの友だちと仲良くしたいけれど、みんなのペースには合わせられないし、みんなの感じ方や考え方と違う自分に気がつくばかりで、その違いは自分が異質なんだとしか思えませんでした。“みんな仲良くしなければならない”といった概念が誤学習となり、私の本来持って生まれた資質を一時的に閉じ込める結果となったのだと思います。あの頃は、みんなのようになることが望ましいんだ。私が変われば、どんな人にも嫌われずにすむし、私も他の誰かを嫌いにならずに済むのかもしれない。という大きな勘違いをしていたこともあったくらいですから…。

ただ、中学2年になった頃でしょうか? 私の中で心の声(本音)が内側から私へ問いかけはじめるようになりました。ある日、私はみんなと違ってもいいんだと思うようになった時期がありました。そんな時期から更に葛藤が始まります。みんなの前での自分と本来の自分との違いを私自身が受け入れられず罪悪感を持ち続けていました。そういうことでも、私の中で負の感情が育まれることになったわけです。あっなんか、積極奇異の話からずれてますね。すみません。

とにかく、みんなと仲良くするにはみんなのペースや折り合いをつけることで和は保たれるわけですよね。仲良くできなかったら、別に仲良くしなくてもよかっただけですよね。みんなの中で与えられた役割さえ果たしておきさえすれば、よかっただけだったんだよなーとアラフォーすぎてやっとわかりました。思春期まっただ中なお子様たちに教えてあげたい! が、逆におばちゃんが知らなかっただけかもね。。。orzと、振り返りすぎてしまいました。が、とどのつまり、こういった事情もあり、私はその講座を聞きその当時気がついたことが、思春期時代に『積極奇異タイプ』から『受動タイプ』に変えたことが私が病んだ原因で『孤立タイプ』を目指せばよかったのだと気がつくことになり、休戦していた『おひとりさま活動』を改めてはじめようと思うことになるわけです。そして、息子が『孤立型』だったことが、人の中で上手く立ち回れない私の身を援けることにもなっていたことにも気がつくことになり、それらは上手く利用していこうと思う事になり一筋の光がみえたわけですが『孤立タイプ』を目指すと覚悟は決めたものの、やはり寂しさはつのる一方でした。今思うと、結局ヌケを埋めるだけの作業だけになるわけですので、『孤立』することが良いとはわかっても心はついていかなかった。何故なら、それはなんの問題でもなくただのダミーだったのですから…。

 

③へ続く