ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

自閉症スペクトラムについての個人的見解

随分前に受講したTEACCHの基礎講座の講師がメジボフ先生だった。

基礎講座の最初のほうは、自閉症スペクトラムの人たちの特性の説明だった。当時、自閉圏の人たちの特性の一つである『細部に注目する』ということを日本の諺で『木を見て森をみず』と例えられることが多かった。(英語での直訳だと『can't see the wood for the trees』←定かではない)

その様子をメジボフ先生は小さな懐中電灯を使い、薄暗いスクリーンに向かって光を近づけたり遠ざけるなどして『細部に注目する』ということを視覚的に表現された。まだTEACCHを学び始めたひよっこな私だったからか、印象深く覚えている。

同じ自閉症スペクトラムの人たちでも、その1本の木の見え方さえ随分違う。その『木』の大きさによっては、更に細部に注目することになると思う。例えば、葉っぱに注目する人、幹の皮の模様に注目する人、木に咲いてる花に注目する人、木全体の醸し出す雰囲気に注目する人、木の傍に落ちている一枝に注目する人、もしかしたら、木の妖精や神様が視えている人もいるのかもしれない。『細部に注目する』という特性は、同じ自閉症スペクトラムでもそれくらい違いがあると思っている。

ただ、自閉症スペクトラムに関わる人たちでさえ『細部に注目する』という意味をきちんと汲み取れていない人もいるから厄介だなと思っている。そんな特性のある人たちだからこそ、この世界の切り取り方に不具合が起きていることをわかってもらえていないなと思うことが多々ある。それは、支援者だけでなく保護者もだ。細部に注目してしまうことは弱みでもあるが強みでもある。それを、普通の感覚に近づけていくことは確かに便利なこともあるし、一般的な情報として知っていることに越したことはないと思うが、細部に注目しすぎるがゆえに全体をみることができないことで、必要な情報をうまくつかみとれず、1人おいてけぼりになっていくように思う。そういった状況が、知的な遅れを伴いやすかったり、孤独感やコミュニケ―ションの不具合にも繋がっていくのだと私は思っている。

自閉圏の人は、どちらかといえば、視覚的な情報を好むといわれており、視覚的なアプローチが有効ともいわれてきた。ただ、自閉症の認知の特性以外にも、色弱色盲、LDなど、見え方の違いが伴っている場合には、いくら視覚支援が有効だといわれても、認知しづらいことでの弊害が知的障害をさらに重症化させてしまっているかもしれないなと思うこともある。知的な遅れがあるから認知できていないのではなく、視覚的な認知がしづらくて認知できず、知的な遅れを伴ってしまうのかもしれない。そういった視点も大切にしてもらえたら、本人にとってどういったアプローチが有効なのかは自ずとわかる気がする。

それに加え、視覚的な情報を整理統合する役目を担っているのが脳の役目になると思う。その脳が常に情報処理しづらく混沌としているところに、目新しい情報をインプットさせようというのはいささか負担がかかってしまうと息子の成長を通して思ったし、私自身にも負担がかかることは成人支援を受けた後に気がついた。

私たち親子は、脳みその容量のキャパが少ないタイプなように感じている。それに合わせて、体調の良し悪しで脳みその情報処理が格段に下がってしまう。日頃のストレスだけでなく良質な睡眠がとれているかどうかはとても左右されやすいと思う。

自分自身や息子を通して感じるのは、やはり身体が整うことで脳の情報処理が格段に向上するのだということ。本人にとって良質な睡眠はどんな薬を飲むより一番の薬だということ。そして、脳が楽になってくると、些細なことまで、細部に注目していたことが、なんだかどうでもよくなることになったりもする

そういったことを踏まえつつ、細部に注目するということをネガティブに捉えず、強みにした支援の方法を考えてみてはもらえないだろうか? 家庭だけでなく学校や施設などでも、日中活動でどのように活かせるのかを考えてもらえたらいいのになぁと思うことが多々ある。それは何故かとというと、自閉症スペクトラムの人は真面目とは決していえないが、律儀で合理的な人が多いと私は思っていてリスペクトしている。だからこそ、その特性を活かせるような、誰にでもできる援助の方法を社会全体でも考えてもらえたら良いのではないか?と思うことがある。そんな私も息子を通して現状にとどまることなく、様々な方法を模索していきたいと思っている。

 

今日はこのへんで。