ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

閉じた心の蓋

閉じた心の奥底にある

たくさんの想い

苦しみも辛さも

楽しみと嬉しさに

すり替えたから

今大人になって

私は自分の想いを

きちんとアプトプットできず

今更思春期を迎えた。

お母さんもお父さんも

私を大切にしてくれたけど

私は勘違いもいっぱいして

大人になった。

お母さんの思い描いた

子どもになりたくて

いや、なりたかったワケじゃなく

誰かにきちんと

『頑張ってるね』と

言って欲しかっただけ

私の辛さや苦しみを

認めてもらいたかっただけ

だけどお母さんは

私のような子どもは

『ノイローゼとか

 胃潰瘍とか

 ストレスなんてない』

そういうふうに

切り捨てられた。

その時、私の心は閉じた

だからいつも

おバカさんで笑ってる

そんな私が誕生した

生きてるような

他人事のような人生を

生きてきた今だから

私がワタシを生きていくために

閉じた心の蓋を開けて

手放そうと思う

自分らしさと向き合いながら…。

 

(2009.04.10)

※多少の修正をしています。

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この当時は、まだ2次反抗期で思春期のやり直しだと思っていました。昨年からのすったもんだ劇場で私は胎児性の愛着障害だったんじゃないか、そして、第1次反抗期も第2次反抗期もやりきることなく成長してしまい、認知の捻れや誤学習によって、更に私は拗れてしまったのだと気がつくことになりました。

そんな私だったからなのか運命の悪戯なのかわかりませんが、過去を振り返ってみると私は案外サイコパス系の人かジャイアンタイプの人に意地悪されたり、いじられたりしてきたように思います。

もちろん、私だって他の人を傷つけてもいたと思います。言葉を大切にしてこなかったし、言語体力低すぎたし、真直ぐすぎたし…。

心の蓋を閉じた時は中学生の頃でした。自分の部屋の外ではおバカなキャラクターを演じて、部屋の中ではネガティブ全開で日記に吐き出していました。

映画『インサイドヘッド』の主人公ライリーの頭の中のカナシミやクルシミのようにネガティブな思いを受け止める係とポジティブな思いを受け止める係と分けて、ネガティブなことがあった時はネガティブの係にまかせて思考停止の状態にしていました。それだけ、なにか刺激をうけた時に自分の中で上手く噛み砕けなかったのだと思います。

その当時から、いくら考えても自分で解決できないことは保留事項にするようにしました。きっと、大人になれば私にも解る日が来る日と思って…。だから、その当時の私は早くおばあさんになりたくて仕方がありませんでした。で、昨年末の死ぬかと思った荒治療とそれからのすったもんだ劇場やら謎のシンクロ攻撃やらでどうやら私は『治った』ようです。

きっと、観察者の皆さまはわかっているはず(ブ)なんて、いうかやるべき時期にやってたほうが本人の苦しみは軽いでしょう。でも、本人が受け止められる状態でしかも周囲のサポートが整ってはじめて治療に臨んだほうが本人にとって負担が少ないんだとシミジミわかりました。

自己開示を促すことはなくても自己開示したい人には勝手に開けるものなのだと思うのです。だから、治療を早めようとか早く治すためにこじ開けようとするから、なんだかおかしな事態になるのだろうとそう思いました。

刺激がある度に殺意が芽生えることも少なからずはあったし、人に向けてはいけないと思いながら自分を責めるしかなかった時は、本当に苦しくてしかたなかった。自分の中に鬼が住んでいるとそう思ったくらいです。百会から指3本分あたりの両隣から角が生えたと自分でも思うくらい、怒りに震えました。あー、今私の顔が般若になってる。と感じたくらいでした。角が生えるって例えを体感できましたが、もう、いい加減勘弁してほしいです。みえないところからの猫パンチ治療。。。乙。