ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

問題行動は会議室じゃなく現場でおきている

踊る大捜査線の制作の方におこられちゃうかな?ダメでしたら、タイトル変えますので関係者の皆さま、ご連絡くださいm(__)m

 

はてさて、最近の大雪で、レインボーブリッジが雪で封鎖されたとTwitterのTLで知りました。レインボーブリッジ封鎖といえば、踊る大捜査線。青島刑事の台詞が頭の中でコダマし、ブログのタイトルを思いつきました。関係者の皆さま、著作権の問題などございましたら、ご連絡くだされば幸いです。(どこまでパロッていいのかわからず…。)

では、本題です。私や息子は国の制度をたくさん利用させていただきながら、たくさんの皆さんのいろんな意味でのご協力で、なんとか毎日を暮してきました。多分、私たちのような母子は珍しくはないと思うのですが、研究する方たちからすれば、興味深い症例なのだろうと予測しています。(傲慢でしょうか?)ただ、あなた達を研究していますって言われたことはないので、ただ単に私が勝手に想像の範囲でいってるだけです。

それでですね、もし、研究されるとするなら、本人には黙って監視すると思うのですよ。何故なら、監視してますよーっていって監視されているなら、意味がないですよね。ただ、私は監視されてる前提で毎日生活してきて、気持ち悪くて仕方ありませんでした。で、ここ数年で閃いたのです。あー、有名人でもないけど有名人ごっこみたいなものだなって。いわゆる、毎日がドッキリカメラみたいなもので『大成功!』といったプラカードを持った人が現れないだけです。だから、自宅でも外出先でも常にみられているだろう、聞かれているだろうことを前提して生活してきました。私は意地悪なので、時々、観測者の方たちを想定し、その方たちに纏わる妄想全開の話をしたり、悪口を言ってきました(ブ)もし悪口や妄想全開おとぎ話が聞かれていたり、その人たちが自分たちの悪口を聞いたり不快になったとしていても、自分たちの中だけで解消しなければいけません。もし、それらを知っているするならある意味立派な犯罪です。もしかりにその情報を使い、本人を苦しめるようなことに情報が利用されていて、それらが証明されたら、犯罪になると思うのですが、そういったことを誰がやってるのかはなんとなく想像はついてますが、それ、いっちゃったら面白くないのでいいません。それに、それらを使って、私を脅したりすることがあるなら、それも立派な犯罪だと思うので、そんなことやめれば、治る人が増えるんじゃないのだろうか?と私は思っています。

個人の生活を垣間見ることで、誰が得するのかはわかりませんが、盗聴盗撮されているようなことを匂わせるような行為が、統合失調症のような症状になってしまうと思うのです。これ、立派な人権侵害であり、誤診になってしまってるとするならどうなのでしょうか? 

とりあえず、証明も証拠も掴めないので、どこにも相談ができない現状です。病院へいえば、気のせいといわれたり、病気が重くなったと思われるでしょう。なので、私はそんな生活を楽しむしかないなーと思って、普通に生活をしています。だって、そういったことがあっても、ぶれることなく生活することがおそらく最終ゴールなのでしょうし。それと時々、見てるだろう聞いてるだろう人たちを揺さぶるようなことやってはいました。私の想定があってるなら、身震いしていらっしゃる人もいたかもしれませんね。あーまた話がずれたなぁー。

息子の障害の関係で成育歴のようなものは当たり前のように届けないといけませんし、自分の場合も障害などを証明するために、成育歴を書類に残すことはあったと思います。障害があることで将来的に就労が難しいと思われる人たちは、年金を支給してもらうために、成育歴はとても重要だということを聞きました。だから、しっかりそれらを記載し残しておくことが望ましいというのは、なんとなくわかります。それはそうでしょう。国の税金を使って支給されるものですから、本当に働くことができないのか、といった証明がなくてもいいなら、それらを悪用する人たちも少なからずでてくるわけですから、本人の状態を書面上に残しておくことは、必要なことなのだとは思います。

ただ、福祉施設や学校生活などを利用するにあたって、本人の成育歴や特性などは、一部の切り取られた情報でしかありませんし、手帳の判定が重度だから、軽度だからといって、本人の問題行動や資質はイコールとはいえないと思うのです。

施設入所を利用しながら学校生活を送っていた息子は、確かに認知面は重度です。環境によっては、問題行動が多発する場合もあります。書面上にかいてある情報はあくまでも、目立っていることだけや、支援する人たちが気がついていることだけしか、残されていないのだということをふまえて支援にあたってもらえたらいいなーと思うことが時々あります。

本人の心身の状態や環境によって左右される場合、できていたこともできなくなることが適応障害といわれることだということなのだと最近知りました。そして、手帳の判定が重度だから『できない前提』で本人の支援がなされていたり、軽度だから『できる前提』で、本人の特性や資質を支援者がきめつけてしまっていることが現場では起きているなーと思うのです。障害の軽重関係なく、本人が『どんな環境下なら落ち着いて自主的に活動したいと思うのか』という視点が大切なように思うのですが、なかなかそういったことに気がついてもらえなかったんだなーと思うことを感じています。ですから、本人にとって、学校生活や社会生活をより良くすごせる環境調整や支援グッズを使うなどといった工夫があれば、自主的に楽しめるということが合理的配慮といわれることにもなるでしょうし、それらがあることで、現場の先生やスタッフの皆さんが楽にお仕事できたり、利用者や支援者が互いにストレスを感じることが少なくなるなら、それにこしたことないと思うのです。

もし、現場でなかなかうまくいってない場合に、書面上や会議室での本人の行動特性を鵜呑みにして対応してないだろうか?と思うことがあった時は、障害の判定や書面上だけで決めつけてないか一度疑ってみてもらいたいのです。

そして、問題行動は本人からすれば問題でもなんでもない場合もあると私は思います。やみくもに、その問題を分析し、方程式のような関わり方や行動統制を行う事がかえって本人の問題を大きくし、わけわからない状態におちいってしまってないかなーと思うのです。ちょっとしたやり取りのミスで、本人を不安にさせてしまうこともありますよね。

うちの子は合理的で律儀な人だと思っているので、なんでも律儀にうけとってしまうから、整合性のない伝言ゲームにならないように注意しています。それらが災いして、普段できることもできなくなってしまうということもあるし、無理して自分なりにその場を過ごしてしまうということも起きているからです。将来的にはそういう自体にみまわれても、保護者や支援者の言い回しの違いでパニックになったり、不安にならないようになるといいなーと思いますが、そこまで成長するまでに私たち親や支援者ができることとって、なるだけ一貫性のある関わり方や言葉かけが大切なことなのではないかと思っていますが、言葉のやりとりって本当に難しいなーと痛感する毎日です。

 

追伸:発達支援業界には、青島刑事っぽい人は全国各地に存在しているのかもしれないけど、室井さんのような偉い人はなかなかいそうにないなーと思ったりします。もし、いたら誰か教えてください。生意気いってすみません。

今日はこのへんで。