ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

おんなじ名前の男子女子②

家庭環境が違う同じ名前の男の子と女の子だけでなく、受験を控えたお子さんたちと話をする機会に恵まれた時、私が一番強く感じたことがあります。それは、自分の両親や学校の先生とはまた違った価値観の大人と話してみることが、そのお子さんたちにとって、別の意味で刺激を受けているように感じることになったのです。自分の知らない世界や価値観を知ることが、子どもたちの価値観の世界を広げることにもなるのかなぁーといったことを思ったことにもなりました。

ただ、まだ自分軸ができあがっていない子どもたちですので、子どもをコントロールして何かを得ようとする大人だっていますし、ネット社会だからこそ、自分自身の身を自分で守りながら、家庭や友だち又は学校以外で、気軽に相談できる場所や相談できる人がいる場はあるといいのかもしれないよなぁーと思ったりもします。なんでかというと、主体性のあるお子さんであれば、大人がなんといっても自分のやりたいように自分の人生を選び、突き進んでいけるとは思うのですね。ただ、大人にとって良い子の場合には、ジレンマを抱えながら、我慢し、仕方がないとあきらめてしまうお子さんも中にはいると思うのです。未成年だからって、家庭の事情で大人が勝手に子どもの進路や処遇を決めてしまい、仕方なく敷かれたレールにのっかるお子さんもいるとは思うのです。それと、保護者によっては、保護者の価値観でお子さんの人生を決めつけたり、ダメダシしたりして、本人のやってみたいことを潰してしまう人たちもいますし、中学卒業した後の進路は高校に行くことがあたりまえになってしまったことからの不具合も起きているように思うのです。

以前、知人のお子さんの一番大切な時に、そのお子さんの本当の気持ちを知ることもせず、一部分の情報だけで決めつけてしまい、助けてあげることができませんでした。後に、結局せっかく進めた道は閉ざされることになってしまいました。その後に、ご家族や本人で模索して、今現在は自分で選んだ道に進めたとのことだったので、よかったなぁーと思っています。本当に良かったです。

私たちが高校進学していた時代と今は少し違っていると思うので、私自身も大人になっていろんな生き方があることも知ったことと知人のお子さんのことがあって、中学卒業後はすぐ高校に行かなければならないといったことが、子どもたちの生き方の選択肢をかえって狭くしているのではないのだろうかと思うようになりました。その件から、私はどうしてあげたらよかっただろうと思い、自分の子どもだったら…と考えてみたことがあって、「中学卒業後は高校進学があたりまえ」といった固定観念が私自身にあったことに気づかされました。

確かに、中学卒業後そのまま高校進学したほうが良いのかもしれません。でも、家庭環境やお子さんの状態によっては、普通学校だけではなく、定時制だってあります。どうしても行きたい高校があるなら、一浪してもいいのかもしれません。大検をとる道もあります。それに、進学する時点で、将来の仕事が決まっている場合には、高卒の資格が必要なく、それよりも専門的なことを若いうちから学ぶことのほうが大切なこともあると思うのです。家庭環境や子どもたちの立場によって、選択肢は1択だと思い込んでるのって、誰なんでしょうか? 多分、学校の先生や親だと思うのですね。もちろん、お子さんによっては、大人になったらやりたい職業を決めているからこそ、高校・大学進学って人もいるでしょう。ただ、人生何があるかわからないし、人との出会いで、やりたかったことが変わってしまうこともあると思うのです。それを一番わかっているのはって私を含めた大人だと思うのですが違うのでしょうか? 無難な道を選ぶことだけじゃなくて、いろんな選択肢があるんだと教えてあげることが大人の役目なんじゃないかって思ったりします。

うちの息子は支援学校ですし、知的な遅れがあります。だから、このままだったら、福祉作業所や施設の生活になるだろうと思います。ただ、少なからず彼がより良く発達をして、本人が勉強をしたいと思った時には、塾などに通ったりして普通小学校のレベルから学ばせるとか、家庭教師の方にきてもらうとか、自宅で自主学習などをして、定時制の学校へ行くレベルまで引き上げ、大検の資格などもとろうと思えばとれる道もあるんじゃないかと思うのですね。本当に本人が学びたいといった気持ちがあって、経済的な余裕があれば、可能なんじゃないか?といったことも少なからず想定はしています。たとえ確率は低くても。

そして、高卒や大卒又は資格があることで職の選択の幅が広がることは確かにあります。ただ、そこで活躍できるのかは自分次第です。どんなにすごい成績を収めようが、どんなすごい進学校を卒業しようが、本当に幸せになれるのかも、自分が満足するのかさえわからないと思うのです。遠い親戚の叔父で国公立の有名大学に進学したけど、結局ノイローゼになってしまって、それからは死ぬまでニート状態の人がいました。高校の時の担任は全国区の某有名大学卒なのに田舎の高校の先生でした。当時の私の価値観が幼かったこともあって、全国区の有名大学の人はエリートっていう意識が強くて、地方の公務員も地方ではエリートになりますけど、もっと違う道はなかったの?先生?と思ったことがありました。それとは別に、学校の成績はよくなかったけれど、卒業後仕事について家庭をもって幸せに暮らしてる人もいたりするので、大卒とか高卒とか中卒とかはあまり関係ないのではないか? むしろ、そういった固定概念が生き方を迷わせることになっているのではないのか?と思うにいたっていますがいかがでしょうか?

私も大学進学や専門学校への進学に憧れたこともありましたが、一旦はあきらめました。これから、もし、チャンスがあればチャレンジしてみたいなーとは思っていますが、今の所は予定は未定です。それと、本当に勉強したいなら、自主学習でもできますし、本人のやる気の問題なんじゃないかって思いますし…。だから、私はが大学に行きたいという気持ちは実はダミーかもしれないなーとも思っています。

それに、誰にダメダシされようと、勉強したければ勝手に勉強すればいいだけですよね。それを他者に疎外されるから勉強できないってのは、ちょっと違うんじゃないのかなーと私は思ったりもします。本当にやる気があるならチャンスがくるまで自主学習すればいいことですし。そのチャンスが来る日までは自分なりの方法で実行できる日まで、自己満足できる方法を模索し、モデルケースがなければ自分なりの方法をみつければいいだけだとも思うのです。なので、ダメダシされたり疎外されたりして、できないと地団太踏んでるなら、実はそれらを望んでいないことになるのだろうと思うし、やる気ある人はウダウダいわないでもうやってますものね。。。

あーなんだか話がそれてしまったかもしれません。すみません。ということで、その時期に出会って関わってきたお子さんたちは、もう高校を卒業し社会人になっています。どうか自分の人生を楽しんでいるといいなーと思います。そんな私は再度ドロップアウト中ですが…。トホホ。 それと、あの子たちは私にとって、2人で1柱の童神様だったのではないのだろうか?(笑)そんなことをふと思いました。

【完】