ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

優先順位①

息子と暮らし始めてあっという間に年が明けてしまい、今年の3月で1年になります。

息子と暮らせるようになったのは、奇跡だと思っていらっしゃる人もいるのかもしれませんが、私は奇跡だと思っていません。ただ、ごく普通のあたりまえにやってこなかったことを、ただ淡々と自分のできる範囲でできることを積み重ねてきた結果が、今現在に繋がっていると思っています。

相方と息子と3人の生活では、様々な不安や葛藤を抱えながら、それでも希望を捨てずに自分でやれるだけのことはやってきました。私の行きたい道を閉ざす人たちが周囲にいるだろうことはわかった上で、本来なら「ない」であろう、“みえない壁”をつくってくださる“見えない敵”と闘わずにすむ方法を考えながら、どうすれば普通の生活を手に入れられるのか試行錯誤してきました。

ありとあらゆる“みえない壁”のお陰で、私も息子も不安定になりながらも、それを回避するような方法を自分で考えたり、病院受診したりしてケアをしたり、学校やデイサービス先にお願いしてきました。私が学校や施設などへ事細かに本当のことをいわないのは、それは私の考えるべきことではないからですし、学校や以前お世話になっていた施設と新しくお世話になっている施設間で引き継ぎのようなことはあっていると思いますので、書面上だったり、書面を囲んで私や息子をサポートすることを行ってくださっていたと思って、あまり口を出すことはしないように努めてきました。(あっそれでも口は出してますが、私としては半分もいってないです。。。)書面上を挟んでの引き継ぎは、それらが本当の意味で役にたっていたのかな?と思うような数か月を過ごしました。

この数か月の間に、学校やデイサービス先に行くことを拒むようになったりして、その原因はなんなのかもつきとめることができたのは、コミュニケーションはまだ幼児に満たない息子を信じ、その気持ちを大切にしてきたからです。そして、息子がいわんとすることが何を意味するのかを、いろんな方法で担任の先生やデイサービス先の方、そして自宅でも息子に尋ねてきました。息子は片言やホワイトボードにかかれた文字を選ぶなどして、自分の不快な気持ちを伝えてくれました。ただ、彼が何をいわんとしているのかは、彼におきていることを想像し、それらが学校の環境に適応できてないから起きていることなのか、自宅での生活に戸惑っているのか…など想定されることを考え、病院受診を行ったり、余暇を充実させたり、自宅で行える心身のケアを行ってきました。

1学期には、生活の変化が大きかったことから不調になっているのかと思っていたら、実は意外なことが原因でした。それは、一般的には気がつかれにくいことだったのを、学校やデイサービス先の方に観察していただいた結果、原因を追究することができました。でも、その原因となることは、通常の学校生活でもどんな場所でも当然あっていることなのです。ただ、原因がわかってもその原因をとりのぞいただけでは、何も解決にはなりません。何故なら、その原因を排除したところでまた同じようなことは起こるのが、社会の中で生きるということだと私は思うし、その原因になっていることは、私や息子だけではどうすることもできないことだったからです。ありがたいことに息子は、息子なりに考えて行動が出来る子に育っているようで、自分なりの工夫をしてその原因から遠ざかるようなことを行っていました。私が彼に応えられることは、その彼の行動を受け入れてあげることと、その彼の行動を学校や施設の方たちへ理解してもらえるように彼の代わりに代弁することに努めました。時には嫌味を交えながら…。彼の気持ちを理解し、応えていただいたお陰で1学期の終わりごろは、やっと学校へ行けるようになりホッと胸をなでおろし、夏休みの間に鋭気を養えば、2学期の学校生活ではなんとかすごせるようになるだろうと思っていました。この頃からまた別の問題が浮上していたのに、この頃には気がついてあげられていませんでした。

②へつづく