ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

ダメダシ…それも愛

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本日の今日の空を綴っていて思い出したので、今日はそのことを…。

高校卒業後の希望の就職先を決める際、私の希望する企業に対して就職のアドバイスする商業科の先生に反対されたことがありました。

なぜなら、私は成績が悪かったので『絶対落ちるに決まってるから無難なところに変えなさい』というようなことをいわれたか、母が呼び出されて『本人に希望先を変えるように言ってください』だったかどちらかは忘れましたが、そんなことがありました。

その先生に母は

 「試験を受けて受かるかどうかもわからないのに、なんで、希望先を変えないといけないのですか? 落ちたら落ちた時に本人が考えればいいことです」

だったかなー? そういうこと言ってくれて母は私を守ってくれました。

先生の予想をはずし、私は無事その希望先に落ちることなく受かりました。なぜなら、就職試験の面接時、就職先の応募内容にはないことを尋ねられ、私はその尋ねられたことにYESと答えました。何がよかったのかはわかりませんが、おそらく、その面接時企業の求める人材の内容には記載されていなかった、質問があり、それに対し応じられると手を挙げたことが多分よかったのだと自分では思っています。

私だけじゃなくて、うちの弟も高校や大学の志望校に対して、学校の先生たちはワンランク下の学校に志望校を変えるようにと言われたらしいです。が、母は本人の人生だから本人の希望のままでたとえ失敗してもいい、今のうちに挫折も経験しといたがいいというようなことを先生方に言って、先生をビックリさせたようです。さすが私の母だなーと思います。で、無事弟も先生たちの想定をはずして高校も大学も一発合格しちゃったりしたのですね。えへへ。

本日の『今日の空』にも綴っていますが、無難な答えを選ばせることは、先生自身の問題であって、生徒のことちゃんと考えてくれてるようで、実際には自分のことしか考えていないよなーって思うんですね。学校って、そんな場所ならなんのために学校で教育を受けるのだろうか?って思うにいたっています。

身内の子どもや知人のお子さんたちが高校を選ぶ時、子どもたちと話す機会がありました。その当時は、まだ私も主体性のない頃だったし、うっすら主体性に対して気がつきはじめていた頃でした。子どもたちの親との関係性を垣間見て、気がつかされたことがきっかけになり、『愛着の土台と主体性』について、私自身も問われたように思い、それらに向き合うことになりました。母は最終的に私の選ぶことに口出しはしませんでしたが、そんな母でも、ダメだしはされてきたこともありました。その当時は、自己否定の材料にしましたが、いろんなことを越えることができた今の私には、それも愛だったのだと思えるようになりましたが、その真っ只中の時には、ダメダシもまた親の愛だなんて思えませんし、どんな人もそうだと思いますが、他者へ与える愛がど真ん中であることは果たして幸せといえるのだろうか?と思うこともあります。チグハグだからこそ、互いを知るために試行錯誤するんじゃないのかな? 互いの距離を縮めたり、離れたり、深めたり、スル―したり…折り合うって互いの心地いい距離感を模索しあうためだったりするのかもなんて思いますが、いやはや、頭で想像するのは得意だったりしますが、実際にはできていない私です。トホホ。