ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

問題にするのが好きな人はダミーだからむしろ好き

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世の中の大抵の人がブランドを好んだり貴金属が好きな方が多いみたいですが、私はあまりそういったものに興味関心が薄く、ブランドとかそういうことよりも、形や色デザイン又は機能性など、自分の好みなのかどうかの方が私には重要案件なので、一般的な人たちの選ぶ感覚とちょっと違うなぁーと思うことが多々あります。ブランド物でも買う事はありますが、今現在の私には手に届かないので買えない品が多いだけでもありますが、だからといって、貯金してまでそれらが欲しいのかといったらそこまではないので、本当は欲しいとはいえないのだろうなーと思います。

昔、知人の中に偽物のブランド物をワザワザ買う人たちがいました。違法なハズなのにそれらを手に入れ、喜んでいる人たちの気持ちが当時の私にはまったくわかりませんでした。何十万とするブランド財布を数万円で手に入れ、それらで身を固めている人たちがいて、その当時からずっと違和感を感じていたのに加え『問題は全てダミー』だということが私の中でうまく繋がり言語化できそうなので、今日はその事を記事にします。とりとめないお話で毎回すみませんが最後までお付き合いいただけましたら嬉しいです。

私は、持ち物だけでなく服もバックも食べ物もなんでもなのですが、偽物で満たされる人たちの気持ちがあまりわかりません。本物を知るためにはその本物を買ったり身につけたり、食べたりするなどで体験しないと、それらは私にとっての好みなのかさえわからないのはどんな人もわかっていることだと思います。

例えば、秋といえば松茸。私は松茸の風味は知っています。でも本物の松茸を椎茸ばりに食べたことがないので、松茸が私にとって美味しいと感じるのかもわかりませんし、松茸を食べて私の好みの味だったなら、次回から、少々値がはっても購入して食べたり、飲食店に食べにいったりするとは思います。が、今現在の私は、少量の松茸しか食べたこともなければ、松茸の風味を知っているくらいなので、自分でお金をだして松茸を買って食べようとも思わなければ、わざわざ飲食店にでかけて食べようとも思わないわけです。

これは、ブランド品なども同じで、偽物だと解る人にしかわからないブランド品は本物より格安で手にいれられる場合もあり、違法だとわかっていてもそれらで身を固め満足している人たちもいますよね。偽物だとわかってるのは購入した自分しかわからないのだから、安いほうがいいってそれで満足している人もいて、それは人それぞれ嗜好が違うので、いいのですけど(ブランド偽装は違法ですよ。確か購入するのも違法だったと思う。)私は偽物はできれば避けたい人なので、買うなら本物を買いたい派です。それは偽ブランドは違法でもあるし、やっぱり本物をつくっている方たちへの仕事に対するせめてもの敬意だと私は思うからです。それはさておき…

偽物だとしらずに本物の価格で買っている場合もあったりするようですが、そういう人は別として、偽ブランドでも安ければいいといってそれらで満足している人たちの心理って、どこ目線でそれを選んでいるのでしょうか? 偽ブランドでもいいからブランド品をもちたいと思うのは、どういう心理なんでしょう? 私は偽物だったらイラナイって思う人なので、“偽物でもいい”と思う人たちの気持ちがよくわかりません。ただ、偽物を見た時に『よくできているなー』って関心したことはあります。お土産で買ってきてくれた人がいたのですが、私は偽物ならイラナイっていって返したことがあるくらいです。ほぼ本物だけど、偽物っていいわれた品だったのですが、偽物っていわれただけで、私は醒めてしまいました。なので、そういう心理が働く時って、本当はそのブランド品が欲しいわけではないんだなーって思ったのですね。“偽物ならいらない。本物ならいる”っていった時の私の本音はそのブランド品が欲しい訳ではなかったということなんだと、20年くらいたった今ようやくわかりました。(遅すぎるよー自分(汗)

偽物でもなんでもいいから、形だけでもブランド品を持っているということで満足している心理って、実の所本当はそのブランドが好きでもなんでもなくって、見栄とか、周囲のみんなが持っていたりしてことや、優越感を得るためのものと化している場合もあるように思うのですね。自分の場合には、本当に好きで欲しいなら中古でも本物が欲しいと私は思う人なので、価値観が違いすぎて正直わかりません。価値観が違う私からすると、他者と自分を比べ優越感を得たり、ブランドだから好きなのかそのブランドのスタイルが好きなのかでは大きく価値観が変わると思うのですよね。私は後者の価値観なので、デザインや機能性を重視したいので、自分の好みでなければいくら好きなブランドから出ている品であろうと、手に入れようとは思いません。だから、正直いって、前者の方の価値観がわかりづらいです。

それとは別な話になりますが、『問題はすべてダミー』ということを、よく心屋さんはブログなどで発信されています。で、それを理解するまでに相当苦しみました。でも、最近ようやくなんだかうっすらですがわかりはじめたように思っています。(本当にわかってるのかは定かではない。。。)で、ですね、その『問題はすべてダミー』と『偽ブランド』がなぜだか結ばれ、ぽっと頭に浮かんだ数式が下記です。

『 問題 = ダミー = 好き 』

これってですね、『問題にするのが好きな人はダミーだからむしろ好き』ってことに繋がる気がするのですね。私はなんでもシンプルに物事を考えてみることも大切にしているのですが、ものすごくシンプルに上記の二つを切り取ると、この『問題=ダミー=好き』という図式を仮定すると、ものすごく面白い現象だなーと私は思ったわけです。

本物ではなくて、偽ブランドでもいいっていうことはですね、ある意味自分の『好き』を誤魔化していることになるように思うわけです。より良くいうなら、『好きの範囲が広い』私からすると、それは『好き』とはいえないけれども、本人は『好き』だと思っている。

それとは別で『問題はダミー』といわれている。でも、偽物でもいい人は、見えている問題を『本物』だと思っている。というか思いたいんだと思うわけです。つまり、それは『問題が好き』ってことになると私は思うのですね、こじつけですけど。でもだってですね、好きなブランドなハズなのに、人にいわなきゃ偽物でもいいって思う心理っていうのは、自分を誤魔化しているってことになるような気がするのですが違うんでしょうか? で、そういう人って、おそらく、それ以外の様々なことも誤魔化しその場しのぎの解決をしている人な気がするのですよね。ようは、一時しのぎでも問題が解決できればそれでオッケー。だけど、『問題はダミー』なのだとすれば、何にも解決できていない。だから、別のカタチで何かしら問題がずっと続いていくのだと思うのです。よって、そういう人たちは、本当は『問題が好き』だからその場しのぎの解決法で満足しているって図式が成り立つように思うのですよ。みえてる表面の問題だけに着目して取り除こうとする。その場しのぎで誤魔化して解決するだけで満足しちゃうのは、とりあえずその瞬間の溝を埋めているだけとになる。そして、その一瞬のための解決法で満たされているように感じている。だからこそ、問題は解決しない。なぜなら、ダミーでもいいという心理が無意識に働くから。そういう人って、自分の本当の気持ちを知らないのか、人生経験の中でそぎ落とされたり、刷り込まれたり、思い込みだったり、みないようにしてきた事柄なのかもしれない。だから、本物と偽物を入れ替え、すり替えているのは自分自身だと仮定もできる。するとですね、あー世の中の『問題がー』が好きな人たちは偽物が好きということに至りました。

世間は台風モード、我が家はホンワカモードな現場からは以上です。

※また、なんだかまとまりないごちゃごちゃ図式な記事ですが、どなたか私の記事読んでスマートな文章化へ変えていただけましたら幸いです。ではではー。