ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

子離れ-2015年9月20日のfacebookより

入院を機に保護という形で息子を施設に預け

(書類上“保護”と記載されてました(汗))

離れ離れの生活を始めて間もない頃は

また、今のように息子と暮らす事はないだろうと

そんなことを思っていました。

それも一つの家族の在り方かもしれないと思い

私と息子が安定して暮らしていけるなら

それでもいいと思っていました。

でも、身体のことを大切にしはじめてから

私も息子もなんだか知らないうちに

落ち着いた生活ができるようになったので

また、一緒に暮らせるならと思っていたら

その願いは叶いました。

何が良かったのかなんて

正直わかりません。

でも、明らかに変わっていったのは

 

◎身体アプローチ

◎自分自身を大切にすること

◎子離れ

 

この3つが柱になったように思います。

子離れは私はできていると思っていましたが

正直ちゃんとはできていませんでした。

息子を一人の人間だと思ってはいても

心が彼を離していなかったのだなって

そう思います。

それは、私自身が親離れを完全にできてなかった

そういったことも原因になっていただろう

そういった推測もしています。

それがいつだったのかなーと思っていましたら

facebookの記事にしていましたので

下記をご覧ください。

 

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2015年9月20日 20:07 UTC+09

子どもがどんどん成長していく姿を

すぐそばでみれないから 寂しかったり、

罪悪感を感じたりする事もあるけど

息子は私と離れていても成長していくし

成長できるとただただ信じている

そういう風に思えるようになったのはここ1年くらい

それまでは、誰かに預ける事も

気になって気になって信用できなくて仕方がなくて

息子が不憫でたまらなかった

ある日、天候が悪く私の体調も悪かったので

帰省の予定を急遽中止にした事があった

その時、いつもどおり

私は不安と罪悪感でいっぱいだった

ごめんね…とか

せっかく息子が調子がいいのに崩れるかなぁとか

そういう思いでグルグルになった時

気持ちを切り替えた

「ああ、とにかく何かわからんけど

 彼を信じよう。

 もう、帰省できない理由を伝えれば

 理解できるようになってるのだし… 」

少し不安だったけど

気持ちが切り変わったら

もうワクワクしてたまらなくなった

帰省できなかった日からしばらくたって

施設に連絡したら

いつも通り元気ですよー…だって。

ああ、もう、私が息子から

離れる時が来たのだなぁ

1人の人として振る舞うように

心がけようと思った日となりました。

彼が好きな歌は 『ひまわりの約束

このうたの歌詞のの登場人物を私にしたり

自分の両親に置き換えてみると

私にはとても響きました

そんな息子が昨日ネギを

キッチンバサミで粗みじん切りからの

ハンバーグ成形

こんな事もできるようになって

母ちゃんとっても嬉しいです\(^o^)/

 

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記事には息子が親離れしたと書いてるけど

私が子離れするって覚悟決めた時でした。

二次成長が始まったくらいでしたので

体毛が生えたりしたら

つるつるぷよぷよのほっぺたが

髭面になったり

体中に体毛が生えはじめるのを想像した時に

その当時まではなんていうか

受け入れられませんでした。

この日を境にして、私はあえて何もしなくても

息子はどんどん成長して

自分でできることも増えていったし

言葉も増えたりしました。

メキメキと発達したのを

私だけでなく家族も感じていました。

体毛が濃くなりはじめた息子をみても

なんといいますか

最近は何も感じません。

むしろ、男子の気持ちがわからないので

相方に聞きまくっていますが

相方も成長が遅かったらしく

覚えてないっていわれ。。。

うーんな日々を送っています。

イヤハヤなんとかなるよ。たぶん。

あの時感じていたなんともいえない気持ちは

思い出せません(笑)

当時の私のほうがお母さんになれてなくて

私がどこか時間がとまったまま

だったのかもしれません。