ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今日のこちらの空模様は

半分は曇っていて

もう半分は雲の切れ間から

青空がのぞいています。

そして、久しぶりにかなり

身体がしんどい日です。

温泉にでも行こうかなぁー。

 

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実は先日

心屋のオープンカウンセリングに初参加しました。

今の自分ではない時に参加していたら

もっと違った意味で感動をしたのかもしれません。

今のワタシは今だに拗ねているからか

包囲網にひっかかった気持ちが半端なく

それでも、それを想定しての参加でしたので

途中、笑けてしょうがなく

主催者の先生には申し訳なかったです。

そんなこと引き受けてくださったって

すみませんって心の中で思ってました。

ウエメセですみません(苦笑)

私は悩みを相談することはしませんでしたが

申し込んだ時に悩んでいたことは

既に解決してしまってたので

そういった席にいくことが

半分ひきこもっている私にとって

リハビリだと思って参加しました。

イヤー、全ての方のご相談内容が

どこかで聞いたことのある話ばかりすぎて

ニックネームやお名前も

どこかで聞いたことあるお名前やニックネームで

個人的に突っ込みどころ満載でした。

で、ご相談されていた方たちのお話を聞いたり

カウンセラーの方のお話を聞いていて

可笑しくて可笑しくて

ぷぷぷっって笑ったりして

とんでもなく後者丸だしな私でした。

どーもすみません。←反省はしてません。

でも、流石だなーと思ったのは

お人柄がやわらかい方だからか

普通ならざわざわするようなアドバイス

全く嫌味に聞こえないのですね。

すごいなーって思いました。

声色とか間合いとか毅然とした態度とか

そういった雰囲気ってとっても大切だなーって

そう思いました。

(私は他者をざわざわとかモヤモヤとかさせるの

とっても得意だと思われます!)

で、皆さんのお話聞きながら

自分に照らし合わせましたが

すでに私の中では

一度越えてしまっていたことばかりで

そのお話とは別のことがひっかかって

お持ち帰りすることになりました。

で、お持ち帰りした内容はすぐに紐とけました。

が、それとは別に

無意識のどこかの蓋が空いたようで

訳の分からない悲しみが溢れました。

訳の分からない悲しみに襲われて

嗚咽を出しながら泣いたのです。

でも、私からは感情が何も溢れなくて

ただ、ただ、悲しくって泣いた感じでした。

(あれ、なんだったんだろう)

久しぶりに自分を閉じ込めそうになったのですが

相方に電話をし、その後に泣きながら

日本酒飲んでたら元に戻りました。

不思議な体験でした。

で、次の日の朝、振り返りのために

オープンカウンセリングで相談された方への

私から相談者の方へのアドバイスを書いていた

用紙を読み返してみました。

すると、あの時はしなかった

ざわざわやモヤモヤがこみあげてきて

『これ、なんだ?』って思い

過去をさかのぼって照らし合わせてみたのです。

で、で、で、結局

私はやっぱり人と

感じ方がズレてる人だと思う

大きな気づきを得ました。

相談者の方の話を聞いて

私からのアドバイスを紙に書くことで

自分の過去の体験が浮き彫りになります。

ただ、その経験は紙面の中では

時系列ではないのですね。

元々私の脳みそはパラレルワールドなので

感情がごちゃまぜになってることが多々あって

多分私だけではなくて

大抵の人がいつのどんな時の感情かなんて

時系列で覚えているわけではないので

紙面にアドバイスが書き出されると

過去の感情の歴史がごちゃまぜになってしまうようで

終ったことなのに終ってないように

感じてしまう摩訶不思議な気持ちになりました。

つまり、アドバイスした内容は

自分のどの時期のどんな時だったかを

書き出す事が私には必要で

それらを紙面上でも並べ替え

年表のようにしたほうが

パニックにならないのかもしれないということ

そして、心屋の『前者・後者』の後者にあたる私は

脳内で組み立てが下手くそなので

紙面上でも年表化することは必要なことなのかも…

なんて思いました。

で、それをやろうとしたのですが、

私はもうすでに、全部卒業している内容がほとんどで

完全に感じ切ったとはいえないかもしれませんが

なんていうか、俯瞰して眺められるくらいまでには

なってはいるのだということを

感じられたので、

それは、とても大きな気づきでした。

もう、改めて穿り返す必要なくて

何か事が起きた時に溢れてくる感情を

これから感じ切っていけばいいだけだと

思うことになりました。

自分のわからない部分の蓋が空くのは

とても負荷がかかるので

元気な時じゃないと

危ないなーとも思いました。

 

 

正直申し上げますと

つまらない仕掛けは

私にとって正直つまらない現実にしか

感じないのです。

それに参戦している人たちは

自分たちの行いをどう捉えているのでしょうか?

私からしたら、誰かの役にたちたい

そして、誰かを必死で守っている

そんな姿が垣間見えました。

本当に守りたい人は一体誰なのでしょうか?

そして、何を守りたいのでしょうか?

人の無意識の感情の壁は

熊本城の武者返しより高くて頑丈なのだと

思い知ることにもなりました。

(↑ わーいやなやつだわー私(=_=))

ということで、今日もグダグダしまーす。