ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私が大切にしていること④

『私が大切にしていること③』からしばらくあいてしまいました。ネタはあるはずなのに、出てこない時は書かない主義なのであらかじめご了承ください。

はてさて、最近様々な方のブログなどを読むことで自分をみつめる作業になっているのですが、ありがたいなーと思う反面、過去の自分の子育てというか療育に対する懺悔のようなものもジワジワと湧き上がってくることにもなることはあります。時々はその当時のいたらなかった自分を振り返って、涙が溢れてきて自分責めをしそうになりますが、私という人間は完璧なワタシで生まれてきたわけでもなく、完璧な人間になるために生きているわけでもないわけですから、過ぎてしまったことに対して、あの時感じられなかった痛みを昇華し、あの当時に感じることのできなかった喜びを今手にしていることで、一つずつ楽になっています。で、本日は過去の失敗体験をふまえて『魔法の手になっていませんか?』ということを思い出したのでそれを記事にしたいと思います。毎度ながら乱文ですが、読んでいただけましたら幸いです。

 

『魔法の手になっていませんか?』

 

療育施設の勉強会で学んだことの中に『魔法の手になっていませんか?』ということをいわれました。私は思い当たる事がたくさんあったので、気をつけてはいるのですが、これが中々できずに苦戦していました。今でも苦戦しています。

旧ブログを読んでいただけましたら事情はわかると思いますが、聴覚障害のある伯母と一緒に住んでいたことがあり、息子に障害があるとわかるまでの子育てで困ったことはほとんどありませんでした。とてもよく寝る大人しい赤ちゃんでした。夜泣きなんてしたことはほとんどありませんでした。昼間に散歩している時にいつもなら外遊びをさせるところを何かの理由でさせてあげられなかった日の夜中に、激しくなかなか泣き止まない夜泣きをしたことが一度だけありました。その時は元旦那が出張する度に実家に帰省していた時だったので、母たちもびっくりしていて、熱がでているわけでもおしっこでも便でもなく、何だったのかを母と二人で考えた時に昼間に彼の動きを汲み取れたのにさせてあげなかったことが夜泣きの原因だろうとなって、それからは、本人がしたいことはできるだけさせてあげたり、ストレスを感じないように手をかけていました。

息子に障害がわかり療育をはじめてから、子どもの成長を妨げているのは親の場合もあるということに気がつくきっかけになったのが、本日のタイトルである『魔法の手になっていませんか?』ということでした。

私や母は息子の気持ちを汲み取りすぎて、ついつい息子にとって便利な人になっていることに気がつくことになりました。言語の発達が遅れていたので、コミュニケーションボードを使って、絵カードで要求するように当時は行っていましたが、それでも私たちは彼が何を要求しているのかも彼がカードで要求する前に気がついてしまうこともあったし、人差し指やクレーン動作、視線や顔の表情だけで彼の気持ちに気がついてしまうことになってしまっていたり、幼児園の時から周囲のお友だちが彼のお手伝いをしてくれることが、彼が自分のことは自主的にしなくてもよい環境に自然になってしまったりしていたので、自宅ではなるだけ私たちが気がついても我慢して、本人から要求するまで見守ったりしていましたし、幼児園や学校生活の中でお友だちが自主的に彼のお手伝いをしてくれることはとても有り難いとは思っていましたが、そのことが息子にとって、自主的に行動することができなくなったり、誰かに手伝ってもらうと要求することや言語の発達に関しても、発達の妨げになってしまうこともありました。

うちの子はめんどくさがりだったりするので、「手伝ってください」の要求はとても上手です。ただ、自分でできることもあるのにしない環境をつくっていたのは、私自身もですし、学校生活でもそうなりやすく、授業参観やデイサービス先などで、息子をサポートしてくれるような場面をみかける度に、先生へは、自分でできることも周囲の子が手伝うことが彼の成長の妨げにもなってしまうので、お友だちには敬意をはらいながらも、手をださない方向で先生方へはその都度伝えてきました。

最近は、自主性も出てきているので、誰かがよかれと思って注意をしてくれたり、サポートしてくれることも彼のストレスになっていたようでした。正直言って、まだ完璧にこなせているとはいえません。例えばお風呂はしっかり髪や身体を洗ったり、身体を拭いたりすることもきちんとできてはいません。だからといって、私たちがそれをサポートしようとすると、本人が嫌がるようになっているので、私たちは一切手をださないことにしています。時々確認するために、相方に一緒にお風呂にはいってもらったりして、身体や髪の洗い方をみてもらったりすることはあります。そういう状況になっているし、学校生活やデイサービス先でも、自分でできることをサポートされたり、自分のペースが乱されるようなことがあると、憤慨したり、行きたくなくなったりするようなのです。ですから、自宅では本人がしたがることは見守りながらさせるようにしていますし、洋服はまだ私が買う事が多いですが、持ち物などは自分で選ばせるようにしています。

息子が何を考えどう感じているのかなんて、なんとなく想像はできますが、確実にあたっているのかどうかなんてわかりません。ただ、障害がある子だろうとプライドはしっかり持っているということはわかります。彼が出来ないことを周囲が手伝えばそれが一番早いし間違いはないとは思います。親の私でも、時間がない時は私がやったほうが早いと思いますし、実際時間がない時は私がやってしまっていることもあります。だから、彼自身のやる気がある時は、完璧にできなくても彼の意志を尊重してあげて、やらせることにしてあげます。それが自主性も育てることになると思うからです。それに、彼がもしかしたら上手くできなくても『やってみたい』という気持ちがあるのに、周囲がやらせてくれなかったり、お友だちがお手伝いすることがいい事だと思っている先生や保護者の方もいたりするので、正直いって、そういったことが障害のある子どもたちの成長の機会を奪ってしまうことになっていることに気がついて欲しいなとも思うこともあります。なので、私はそういった場面をみかける度に、先生やスタッフの方にはその都度伝えてきました。そして、言語が発達しない場合には、保護者の方の声掛けの仕方の不具合だけではなくて、言葉で要求しなくても様々な願いが叶ってしまう状況をつくっていないかどうかでも言葉をださなくなる原因になる場合もありますし、逆もしかりで、本人は本人の言葉で伝えているのに、言っても伝わらないと思うと、子どもって伝えなくなってしまうと思うのです。大人でもそういったことあると思うのですが、いかがでしょうか?

子どもの発達は自分自身の力だけで発達するだけでなく、環境にとても左右されるなということを身をもって痛感しています。こんな立派なこといってますが、本当に危なっかしくてみてられないこともありますので、肝を冷やしてばかりの怖がりな私の恐怖反射麻痺の統合に役だっているのかもしれないと思ったりもします(笑)