ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

越えられないと思うその根拠はどこからくるのか?

「人間脳を育てる」の著書である灰谷氏の説得力ある説明は、講座を受講した時にとても感動しました。本当にわかりやすいのです。わかりやすく言語化して話せる方に共通しているのは、ご自身の中で噛み砕いて説明できるように言語化しているというところにつきるのではないか?と思ったりします。ただ、気をつけないといけないのは、心身どちらにもいえることですが、エビデンスはあてにならない場合もあるということはどこか頭の片隅に置いておかないといけないよなーと思います。なぜなら、大人は思い込みや刷り込みに支配されている生き物だからです。

その灰谷氏が顔本でペンギンの写真と共に、発達に関する記事を時々アップされるのを、個人的には楽しみにしているのですが、時々私は「?」となることがあります。ただ、コメントをみると、ビックリするくらい共感の嵐で、疑いを持ってるようなコメントをする方がいないのはいつも不思議に思っています。顔本の場合にはそれが普通なのかもしれませんが、批判ではなくて、疑問をぶつけるっていうことがないのは、なんだかアレレ?とジャッジマンの私は不思議に思うわけです。(私ジャッジマン(ー_ー)!!)みんな本当に不思議に思う事ないの?って。共感する内容のこともあるし、ああ、そうだなぁーと腑に落ちることもあるのですけどね、個人的になんでもかんでも共感したり腑に落ちたりしているわけでは私の場合にはないで、皆さん灰谷さんの感覚を信じていて、大好きなのだなって思ったりします。(超個人的な意見ですみません。)その灰谷氏が以前ブログか何かの記事の中にあったことで、最近自分なりにまとまったことがあります。

「親の発達以上に子どもは発達しない」

だったかな? それですね、その時は私も『ああそうかもー』と思ったわけです。でも、何かモヤモヤとするものは残っていたのですね。で、今年の春から息子と暮らし始めて毎日彼の成長を観ていて思うのは、氏がおっしゃるように、確かに親が発達しなければ子どもは発達できないなーと思う場面はたくさんあります。親次第で子どもはいくらでも発達していくものだと毎日毎日痛感しています。そして、親次第で子どもの成長は阻まれてしまうことも身をもって感じます。よその家の子育てを見聞きしてもそう思います。で、実際『親の発達=子どもの発達』なのか?というと、答えは『NO(等しくない)』と思うようになりました。

お子さんがどんどん発達いくご家庭の親御さんの場合、親御さんがお子さんの可能性の枠を決めたり、コントロールしたり、潰してないなと思うようになりました。そういうご家庭のお子さんは伸びしろがだだっ広いんですよね。制限がない。保護者の方に制限がないから、お子さんもどこまでも飛躍する。そんな気がしています。あくまで個人的な意見にすぎませんが。ですから、障害や持病があろうとなかろうと、本人の意思を尊重し、それらに付随する知恵を親が援助したり、助言したり、本人が自主的にやろうとしていることに口を挟まないことかな?と思うのですね。犯罪に繋がるようなことは、それはどうにか別のカタチで考えないといけないとは思うのですが、例え、我が子が万が一間違いを犯したとしても、それを受け入れられるぐらいのどんと構えた肝っ玉の大きな親であるかどうかは大切なことだなーって思うのです。

子どもたちにとって一番の味方でいてあげられることは、大切なことなのではないかと思うのです。時々、学校の先生や周囲の顔色を伺いながら、お子さんの問題を他人事のように問題視する親御さんもいたりして、その問題を自分の頭で考えて解決しようとしない保護者の方多くないですか? 毎日一緒にいるはずのお子さんのこと、なんで他人のほうがよくわかってると思うのだろう? なんで、他人事なんだろう? そんな風に思うこともあります。 

思春期になる頃は、親の価値観の枠から自分の価値観の枠に切り替わる時です。お子さんそれぞれに親離れの時期は違いますが、大抵の親御さんが“愛する”あまり心配しすぎて、お子さんにみえない鎖をつけて間違わないような生き方を選ぶように仕向けてるご家庭多いなぁーと私は感じることがよくあります。それじゃあ、これから自分で選んで生きていくために選べなくて当然だと思うのです。

子どもには子どもの人生がある。どんな生き方をしようが、親の物語ではなく子どもの物語です。だから、傍からみたら、そのお子さんの物語の主役を親がはってるようなことをしているということです。私たち親は子どもたちの物語の中で、わき役なハズです。どの役にあてはまるのかさえ、子どもが決めるものだと思うのですね。そういう親御さんは自分の物語を生きていないので、某界隈でいわれる『生まれているのに生まれてない!』ってことになるので、恐怖麻痺反射残存率高し!ということになるのだと思います。それと、子どもを使って主役になろうとする親御さんもいる。自分の経歴に子どもの経歴を入れる親もいる。それって承認要求なんですけど。。。って思ったりもします。

私自身、そういう承認要求がなかったわけでなないので、自分の価値を埋めるために子どもを利用していた時もありました。だから、親の在り方だけでなく生き様の見せ方は大切なのかもなーと思ったりしています。で、私は、できているのか?といったらできてはいないのかもしれません。ただ、私が大切にしているのは、何でも一度はチャレンジして楽しんでいる姿をみせることかなーと思っています。私が息子にできることって、親であること以外、それ以上でそれ以下もなくって、ただ、この世に生まれて〇年先輩なだけで、この世にちょっと詳しいからナビゲートするくらいだなーと思っているし、彼から離れていくのは喜びたいと思うし、今からでも私を越えていいよって思っているし、私よりも賢くなってもいいよーって思っているし、そういった、子どもをライバル視しないことも大切なことだなーと思う昨今です。

あっ。何書いてるか意味不になってる。まっいっか。

ということで、『親次第で子どもが発達する可能性はそれ以上にもなればそれ以下に阻まれる』ということが私の今の着地点です。

 

あっ、灰谷さんの悪口ではないのです。推定〇万人?の灰谷さんファンを敵に回してしまっていたら、すみません。文句あるなら、コメントどーぞ。