ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

ヌケてるのは頭だけじゃなく“愛着”もヌケてた件 【頭のヌケ編】

息子にカランんだことを最近記事にしていましたが、それはまた大切にしていることが浮かんで来たら記事にしようと思います。

実は私、AD/HDや鬱だけじゃなくて、それとは別に20代の頃から、酷い痙攣をすることがあったりして、それはずっと霊障だと思って何度かお祓いまで受けたこともありました。

発達障害の検査の時には脳波もとりましたが、その時は脳波に異常があるとはいわれなかったように記憶しています。ただ、自分では検査の時に赤色の点滅の時は痙攣が起きたんだけど、なんだったんだろうと思っていました。

産後授乳が終っても絞ればおっぱいがでてしまっていたけど、絞れば出るくらいだったのであまり気にしていなかったのですが、授乳後3年以上たっているのにおっぱい出るのはおかしいらしく、知人曰く、なんか魔乳とかいう人もいたから、すごく恥ずかしいことなんだと思ってて躊躇していたけど思い切って主治医に相談しました。(先生その時、ふいたんですよね。今思えば失礼な態度ですね(-_-))

主治医に相談したことで、産婦人科で検査することになって、高プロラクチン結晶だとわかったのが6年くらい前になると思います。高プロラクチン結晶の場合、脳腫瘍が疑われるといわれて、その時びっくりして不安で泣いたことを覚えています。その後、血液検査や造影剤をいれてのMRIの検査などの結果で脳下垂体腫瘍の疑いが出ました。その当時飲んでいた薬がリスパダールとバブロプサンナトリウム、パキシルトレドミン、セデコパンといったものを飲んでいたのですが、リスパダールが時折副作用で悪戯して下垂体が腫れてしまったり、ホルモンの値をあげてしまうこともあるということで、リスパダールがエビィリファイに変わり、半年後に再検査となりました。プロラクチンの値は通常値より少し高いということで心配することはないということになり、腫瘍らしきものも大きくはなってないが、まだ影があるようでしたので、ハッキリしないまま一年後再検査となりましたが、メンドクくさかったし、大丈夫だと思っていきませんでした。一年後検査にいかずにほっておいていたら、本当にシンクロなのかわかりませんが、数年前からやたら、テレビ番組などで脳腫瘍関係のドキュメントやドラマがあったりしました。その当時はシンクロだと思って、神様に検査に行くようにといわれているように感じていましたが、特に問題もないと思ったし、数年たつうちに自宅は盗聴されたり盗撮されてて見張られていると思ってたので、正直いうと『テレビとかつかったりまでして、遠回りな支援するんだな。心配だったら直接いえばいいし、家族にでもいって、検査させればいいじゃん。』それくらいにしか思ってなかったので、再検査に行きませんでした(苦笑)

ただ、昨年、自分をちゃんと治そうと覚悟を決めた後、断薬して漢方に切替えはじめ、自分の溜まっている感情をきちんと吐き出すようなことを行ったり、日常生活の中でストレスを抱えたり疲れてしまうと、全身の痙攣が起きたり、頭痛が酷くなったりしたので、改めて脳波や血液検査、MRIの検査をうけることになりました。自分自身の心身にでてる症状を一つ一つ帳面消ししていく事が大切だとも思ったからです。

脳波はある周波数の時に痙攣が起きました。どうやら脳波は深刻とはいえないけれども、波がでているということでした。更に詳しい検査をとのことでしたけど、それはなんだかたちきえました。

その後のMRIの造影検査で、腫瘍らしき影があるのは間違いないけれども、数年に撮影した時の影の大きさが変わっていないということで、生まれつき脳下垂体に穴があいているという結果がでました。稀に臓器に穴が空いている人はいるらしく、何も問題はありませんと脳外科の先生にいわれ腫瘍の疑いはなくなりました。

ただ、脳下垂体って10ミリ程度の大きさで私の穴は4ミリ空いているのです(=_=) 心配になっちゃうのわかっていただけますでしょうか? 大丈夫っていいきるお医者様たちは、世間一般でいわれるエビデンスに基づいたことだからそうおっしゃるのでしょうか?(ブ)その時、一緒に相方もついていってくれていて、その先生の説明に私は納得いかなくて、相方にぷんすかして文句いうので、相方はそれをたしなめてくれました。その後、神田橋先生へ結果を報告した時に、先生が私に納得するようにわかりやすく簡単に説明してくださったのを相方も一緒に聞いていたので、診察後の帰りの車の中で、相方は

「神田橋先生の説明は聞いてる俺も安心したし、わかりやすかった。お前がこの間怒ってたのはなんかわかったよ」

といってくれました。そして、

「先生の診察は俺が小さい頃お世話になっていた病院の院長先生の診察と似てる。そういう診察してくれる先生ってそんなにいないよね」

ともいっていたように思います。

身体は繋がっているのに、一つの部位だけをみて、何も問題ないといいきる医師に私は疑問を持ったし、腹がたちました。それでも不具合があっているのだから、全く関係ないわけはないよなぁと思ったのです。

その後更年期のお薬のことなどで漢方外来のある病院に行き相談しました。私の飲んでいる薬がイライラには一番適していて、それ以上の漢方はないということで、飲んでいる回数を増やしたりしてみてとアドバイスをいただきました。中医学的にみると更年期という症状に対して処方はしないのだそうです。その人の身体に現れている症状を全体的に診て処方するということでした。だから同じ病名でも、人それぞれで処方が変わるのですともおっしゃられました。その時も相方は一緒に聞いていて、私がいわんとすることを理解してくれたのは、少し嬉しく思いました。

約6年くらいにかけて、私の脳下垂体の影は腫瘍ではなく穴が空いていたということがわかりましたが、最近思うのは穴あいてたら、脳内の液体とか漏れてないのかなーと思うこともあります。そして、ことある度に起きていた痙攣は、最近おさまっています。一時期は本当に酷くて、自分の怒りを抑えるために興奮した後は、丸一日痙攣してしまうこともあったりしましたが、今は興奮しても痙攣が起こることはありません。抑制することが下手くそなので、とにかく深い深呼吸をしたり、息を細く長くはききったりして気持ちを整理できたりするようになりました。イライラしたりするときやPMS時はどうやら、イライラも落ち込みも酷くなりがちなので、漢方薬を飲み調整をしたりしており、ひと月に2~3回漢方を飲むくらいで心のバランスはとれています。

というか、今まで私どれだけ押し殺してたんだと思うくらい、リアルな生活で言いたい事いえるようになりました。罪悪感なんて全く感じなくなりました。

2次障害を治そうと思って、取り組んできた数か月後に、様々な感情が飛び出て家族を傷つけるしかなくて、それでも出さなきゃ自分が保たてないから、吐き出せるだけ吐き出すけれども、本当にぶつけたい相手が違うこともあったりして、自分を責めるしかない時期があった時は、数年前から身体のあちこち痛みが移動したり、緩和したりしていたことはありますが、関節全体が痛くて右手が使えなくなった時期もあり、両手の握力も弱くなったりして不便な生活になったこともありました。整形外科にいったりして、血液検査をうけたけれども異常はないといわれるだけで、深い検査ということにはならなくて、そこでも不信感を感じることになりました。そういう身体症状が出た後に鹿児島へ受診をした時に、線維筋痛症だとわかりました。それからはその治療もあわせて行っていましたが、食生活や生活習慣、冷え、そして自分自身を責めることをやめたり気功をするなどして、気の停滞をしないようにしていると、私の場合には、完治とはいえませんが、全身症状がでた時に比べると普通に生活できるようになっているので、痛みが出る時は自分に優しくするように心がけています。息子がお手伝いしてくれることもあるので、手が使えない時は彼をたよることにしました。それからは不思議と包丁が持てないということにはいたっていません。

心と身体は繋がっているということをよくいわれます。この数か月自分自身の心身と向き合ってきて、罪悪感という感情は、時に癌より人を蝕んでしまう得体のしれないものだよなとー思うことになりました。体験したことにしかわからない痛みや苦しみは優しい言葉かけだけでは不安はなくなりません。背中を押してもらう作業は、時にその人に勇気を与えることはありますし、助けになることもあるとは思います。ただ、人によってはその人に更なる足枷をかける単なるエゴにしかならないこともあります。一番苦しみ、悩んでいるのは本人なのだから、周囲にいる人ができることは、やさしい声掛けよりも、本人が助けて欲しいことを助けてといえる環境をつくってあげることなのではないのだろうか? 休み方や頑張らなくてもいい方法も考えたりすることも一つの方法だと思います。そして、本人がその病に呑み込まれないことなのだということも大切なことだなーと思います。

 

<頭のヌケ編終わり>