ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

昨日から夜中に降り続いた雨も

今日の朝には上がり

私の住む地域では

なんの被害もありませんでした。

子どもは久しぶりに

土曜日にお出かけしたので

私は自宅で一人ゆっくりしました。

そんな日だからか

療育を始めたばかりの当時を思い出したので

今日はそのことを記事にしたいと思います。

 

子どもの視覚支援のために
家事の片手間にグッズを作っていました。
スケジュール、手順書、自立課題、コミック会話...など
子どもにわかりやすいように
あーでもない、こーでもないと試行錯誤して
寝る間も惜しんで手作りしていました。
その時に子どもの見え方で面白いと思った
エピソードをふと思い出しました。

うちの子はその当時から、こだわりは酷かったのですが
視覚支援で使う写真がこれまた微妙に違うだけで
憤慨したり、指示に従ってくれないタイプの子でした。
私が几帳面だったことも災いしたのか
整合性にとてもこだわりがある子でした。

ある日、療育センターに通う道順の手順書が
行き帰りの写真がどうも気に入らないらしく
通園の車中でグズグズするようになりました。
通園の行き帰りにある大きな建物が彼は好きだったようなので
途中経過の目標物にし
手順書の一枚にしました。
始めはよかったのですが
毎日通るたびになんだかグズグズするので
なんでかを一生懸命観察しましたら
行き帰りの建物の見え方が違うことに
気がつきました。
その時は手順書の建物の写真は
行き帰り同じ向きの建物の写真で
カードにしました。
私にとっては目印だから
まさか、行き帰りの建物の向きも
大切な情報だと思わなかったからです。
手順書のたかが一枚の写真でしたが
行き帰りの建物の見え方の違いは
彼にとってその当時は
どーでもいいことではなかったようでした。
同じ場所に建っていても
見える形は違うようにみえてしまう。
同じだけど彼にとっては
同じとはいえなかったようです。

この時から、
私は手順書の写真の撮り方には
慎重になるようになりました。
どんな見方でこの世界を切り取り
視覚情報として手がかりにしているのか
言葉で表せない子だから
インプットの仕方や見え方を
観察し手がかりを模索しました。
あの頃は、私も余裕がなく
視覚支援だけで
どうにかなると思っていたので
今の私なら、なんでグズグズしてたのかは
その建物の見え方のせいではなかった
ダミーだと気がつけますが
その当時は私の一生懸命な思いが
彼の本当に私に伝えたいことを
みえなくしていたのだと思います。
今思えば、あれは氷山の一角でした。
ただ、彼のその見え方が特殊なことで
この世界がどんな風にみえ
手がかりにしているのかは
視覚支援をする側の私が
気をつけてあげることは
忘れないようにしたいと思えたので
それはそれで役に立ちました。
息子はいつも私に何かを伝えてくれていた
でも、私がかけていた色眼鏡が
彼の本当に伝えたいことを
みえなくしていた。
かけていた色眼鏡をはずした
今の私からしたら(過去からすれば未来の私)
そんなことじゃないよ。
きっとただ、お母さんの側にいたかった
ただそれだけだけだったのよ
と思えます。
今思えば馬鹿だな私になりますが
それでも私なりに子どもを
理解しようとしていたのは
今と思いは同じなのですが
己の視点や見方の違いで
こんなにも子どもの行動の見え方が
変わってしまうものなのだなぁと
最近しみじみと感じます。
久しぶりにあの道を通ってみたら
どんな気持ちになるのだろう
そんなことを思い出した
雨上がりの土曜日です。