ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

コンプリート人生卒業しませんか?

女性に生まれたからとか

男性に生まれたからとか

LGBTQだからとか

障害や病気だからとか

それらはただの違いであって

差別に使うモノではない

それらは立派な役割なんだと

何故気がつけないのだろうか?

1人の人として

夫、妻、父、母、友人としてなど

いろんな役割を果たすことや

結婚し子どもを産み育て

仕事も家事もこなす

スーパーな女になることや

仕事をバリバリこなし

家庭サービスも怠らない

大黒柱になることが

義務化されているように感じるのは

私だけなのだろうか?

一見当たり前のことのように

素敵な事柄のようにみえるけど

それらができて当たり前とか

それらをして当たり前とか

いつからそれらは

常識になったのだろうか?

そもそもそれらは

コンプリートするものなのだろうか?

私たちはいつの時代から

自分の人生において コンプリートすることに

価値を見出してしまったのだろうか?

一つ一つをただやり過ごし

少しずつ昨日に忘れ物をして

与えられてもいない課題を

闇雲に探し 、淡々とこなす毎日

加点を求め 己の役割を果たすことなく

いつの間か コンプリートだけに

囚われてしまったからこそ

自分という役に徹することを

忘れてしまったんじゃないんだろか?

そう思うことがある。

〝自分を生きる〟ということは

全てにおいて 役割を

コンプリートすることでも

地位や名誉や名声を

コンプリートすることでもない

それらがなくても

全然大丈夫だと気がつけたり

役割さえない自分でも

この世を 楽しめるようになったら

自然に魂は輝き始めるもの。

何もできない自分でも

自分の気持ちに正直に素直に

一つずつ丁寧に選ぶ 毎日の積み重ねが

己の魂を磨くことなのだと

私はそう思うんだ...

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