ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-09-24

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-09-24 13:08:03 | ひとりごと

 

量じゃないし、器だし

私は母にいろいろダメだしされ、

おバカでドジでマヌケな何にも考えてない楽天的な子だと思われてたと思う

これは勝手な私の「思いこみ」ってやつで

母は私のことをどう考えていたのかは正直わからない。

幼い頃、ジュースを飲むのに、母が一つ下の弟と私に

「好きなコップを選んでもっておいで」といったら

弟は背は低いけれど量はいっぱい入りそうな太めのコップ

私は飾りがついた細い丈の高いコップを持ってきたらしい。

その様子をみて、母は弟のコップは量がたくさんはいることを

ちゃんとわかって選んでいるんだなと思ったらしい。

それにくらべ、私は細いけど背が高いコップのほうが

量がはいると思っているんだなと母は思ったらしい。

実際は同じ高さでジュースをいれたら、

弟の選んだ方が量がたくさんはいるコップだった。

まぁ、私はおバカだったから、

単純に高さだけで量がはいると思ってたのかもしれない。

ただ、当時のことは自分では記憶にないので、なんともいえないけど、

なんだか、そういう風に子どもをみるのは

良く悪くもそういうことが

優越感や劣等感を感じることに繋がるのだなと思う。



母はそれぞれのコップをみて、姉の私をたて

「おねぇちゃんだから少し多くコップにいれてあげるね」

といい、弟のジュースの高さより高く注いだそうだ。

私は、真に受ける子なので、大喜びで飲んだということ。

弟は、頭のいい子だったので、母が私をたて

自分のジュースの高さより多く注がれていても

何もいわず黙って飲んでいたことを

私が大人になった時に私に教えてくれた。。。。。


お母さん、メッチャ私のこと馬鹿にしとーやん!

正直心の中で傷つきモヤモヤしながらも

その時は自虐ネタとして私の脳みそに収納された。

で、最近気がついたのだ。

幼少期のころ、確かにジュースは好きで、たくさん飲みたかったのかもしれない。

でも、多分私は、たくさん量がはいるコップというより

沢山はいりそうな、自分の好きな形やデザインのコップで飲みたかったのかもしれない!

そんなことに気がついたら、めちゃくちゃ自分は腑に落ちた。

そして、いつか母がまたそういうことをいったら言い返そうと思っている。

(忘れていなければ… 笑)

母は私や弟の見立てるのが上手いのは確かだと思う

でも、母に欠けていることは

みんな同じように物事を捉えて選ぶと思っている。

母は量がたくさん入ることで選ぶかもしれないけれど

器が大事な人もいるのだ。

そういう「人との違い」を感じる力は母は弱いと思う。

(まぁ、私の母なので…)

もし、その幼少期に、私と弟のコップの選び方を母の思い込みのままにせず

もう少し突っ込んで「なぜそのコップを選んだのか」を

私や弟に聞いてみてくれていたら、

私と弟の選び方の基準や違いを知れたのではないかと思う。

母にとっては、バカだなーと思いつつ、可愛さ余って

「おねぇちゃんだからちょっと多くいれるね」

というなんというか、母なりの愛情だったのかもしれないけれど

そういうことで私に優越感を与えるのはちょっと違うよねって今の私は思う。

もし、あの時、母がもう少し突っ込んで私と弟に聞いてくれ

それぞれが選んだコップに同じ高さでジュースを注いでみて、

そのジュースが同じ容量のコップにいれてみるなどして

お互いのジュースの量がどれくらい違うのかとかしてもらえてたなら

私にとって勉強になったし、

「おねぇちゃんだから」って、わざわざいってもらわなくてもすむし

容量を知る学びにもなったと思うんだけどなぁとも思う。



母は私の子育てに散々口を出してくる

家庭生活での学びは算数や数学に繋がることが多いのだから

勉強することも大切だけど、

普段の生活の中で実体験したくさん学べるのだと教えてくれたわりには

自分の思い込みで人をみて判断されていた。

そして、母さん、私という人間を少しあなどっておりませんか?

私は実はジュースをたくさん飲むより

好きな器で飲みたい人だったかもよ。

そんなことにまた気がつきました。

またまたスッキリです!