ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-06-16

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-06-16 06:15:32 | 私のこと

嫌われてなんぼ。嫌われていい。

最近ずっと小さい頃の事を思い出している「私ってどんな子だったかなぁ」と。
近所でも評判のなきむしでよく泣いていた。みんなでゲームして負けてばかりいて、負けそうになると「ぐちゃぐちゃって」場を乱してみんなを困らせていた 苦笑
食いしん坊だった。
遊びに出かけると家に戻る事もしないので両親からは鉄砲玉と言われていたなぁ。。。馬鹿、おデブ、ブスの三拍子が揃っていて、虐められはしなかったけど、両親からも周囲からもよく言われてたのだけど、本人が気にしてたのは「馬鹿」だけだった。
小学校3.4年くらいまでは、人とのコミュニケーションで困ったと思った事もなかったし、学校が大好きだったと思うし、本当に毎日が楽しかったような気がする。
小学校高学年になった頃からいろいろ嫌な毎日に変わっていった。担任が変わり思春期に突入する頃だから周囲の子もだんだん大人びてきて、爪や髪のお手入れをする子が増えたけど私は全く興味がなかった。
でもみんなに合わせないと、虐められるから、なんだかいつの間にか私の意志とは関係なく、みんなと同じことを好むようになった。みんなに嫌われているのもなんとなく感じたりしたし、私の同級生にはボスキャラが数名いた。同級生の女子は本当に性格の悪い人ばかりだった(そんな私も性格はよかったとはいえないf^_^;)
今思うと、性格が悪いというより、親の歪みを引き継いでいたのかもしれない。
私は周りの子より、素直で子どもらしい子どもだとよく言われた。当時を振り返ると私の場合、単純に他の子より社会性が成長してなかったのだと思う。社会性は自然に成長していくのだと思うけれど、私はみんなに合わせるので精一杯だった。
それと、小学校高学年の頃の担任の事は今でも嫌いだ。私に対するK先生の思い込みや思い入れが私を困惑させた。とても嫌だった。先生は悪い人ではなかったけど、私の個性を潰した人の中の1人だと思っている。一時期は相当恨んでいた。小学校を卒業してやっと先生と離れられると思ったけど、中学3年間、K先生に追いかけられる夢をずっと見続けた。本当に辛かった。相当嫌だった。
そして、中学一年生の担任は更に最悪だったと思う。今だに中学一年の頃の事は思い出せない事が多い。何があったのかはわからない。ほとんど覚えていない。ただ私だけではなく、中2になって理科の先生に「お前たちの顔みんな般若顔にみえる」と言われたらしいので、何かあったんだなと思う。私が覚えているのは、夏の初め先生の説教を聞きながら、窓の外の景色を眺め空が青くて綺麗で眩しかった事、その自分を含めた光景と夏のキャンプで学級委員をしてたので、なんだかしくじったようで、キャンプ場でビンタされた場面と、ホームルームの場面だけしか思い出せない。楽しかった事も嫌だった事も全然思い出せない。それに気がついたのは大人になってからだけど、綺麗にすっぽり抜けてるのが自分には不思議だった。
それに合わせて、私が人との違いにハッキリ気がついたのは中学2年生の頃、どうしてもみんなの感じ方や考え方と合わなくて

障害者と健常者の間に何かあるといいのになぁ
私は障害者でもないし健常者でもない

と思っていたけれど、そんな事は誰にも言ってはいけない事だと思って、大人になるまでずっと言わずに秘密にしていた。結構悩んでいた。今なら個性という言葉で片付けられるけれどその当時の私はみんなと違う事が悩みだった。
目立ってしまう自分を抑えるのに苦労した。目立たないなんてできない性分なのに、なるべく目立たないように振る舞うけどやっぱり目立ってしまうf^_^;)
そして同級生の女子の気持ちはさっぱりわからないし、男子と話すだけで、噂された。

「〇〇くんの事が好きなの?」

と呼び出されて聞かれた。全然全く意味がわからなかった。だって、ついこないだまで男女関係なくみんなで喋ってたじゃーん。何故そんな事で呼び出されたのかの意味がわかったのは大人になってからだった。というか、社会性が発達デコボコだったんだなと思う。他にも色々とはあるけれど長くなりすぎるので、また別の機会にブログに書こうと思う。

当時を振り返ると元々個性的な子だったけれど、成長に伴い、私は主体性のない人に育ってしまった。両親の前では我儘を言ってはいたけれど、ちゃんと反抗はできていなかったと思う。何故なら、大人は偉い人だと思っていたし、言葉では勝てなかったからだった。何を言っても理解してもらえないだろうという、勝手な思い込みもしていた。
「私の気持ちはわからない」と思い込んでたけれど、ただ単に自分の気持ちを表現できるくらいの言語体力もなかったからきちんと説明できてなかっただけだった。
それと、私は鈍感なので、
「そういえばなんだか悲しい」とか「そういえばなんだかモヤっとする」
というのが後でやってくる。誰かに何かを言われて、その場で感情の処理まで追いつかず、ただ笑って相手の言葉を認めていた事が多かった。だから、きちんと自分自身を守れていなかったという事に数年前に気がついた。で、イチイチ、今は自分の感情を大切にするようにして、相手を傷つける事になったとしても自己防衛はするように心がけている。たくさんの人に味方になってもらうより、自分自身が自分の1番の味方であれば
何も怖くもない事に気がついたからだ。私はずっと大人になったつい最近までみんなに嫌われる事が最大の悩みだった。みんなと仲良くできない事が悲しかった。でも、それも外側へ言い訳を見出していただけで、自分の事をちゃんとわかっていなかっただけだった。自分が自分のことを1番嫌いだった事はわかっていた。人と仲良くできないから友だち少ないから孤独を感じていたと勘違いしてきた。でも、実はそれは違うという事に気がつくような事があり、初めて孤独から解放された。
自分自身の良いところも悪いところも引っ括めて認めて受け入れられた時、私は私を好きになれた。そして、10年前からやってきた老後に向けての「ひとり遊び」が今とても役に立っている。小さい頃から早くおばあちゃんになりたかった。大人になれば自分の秘密は全て解決できると思っていたからだ。それはそれで間違いではなかったけれど、めっちゃ時間かかったなf^_^;) でも、おかげ様でいろんな体験もできたし、副産物も産まれたから良しとしとこう。ようやく生きる事が楽しくなってきた今日この頃です。