ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

先着一名様《番外編》-読み聞かせの罠ー

本日は先日アップした『先着一名様問題』の番外編のような記事になります。『先着一名様問題』の記事は過去記事①~④をご覧ください。

 

先着一名様問題①

先着一名様問題②

先着一名様問題③

先着一名様問題④

 

 さて、上記のシリーズ化した記事が終わったくらいのタイミングの時、NHKで聞こえ方に関しての番組が放送されてたようです。ちらっと見た程度なので覚えてはいませんが、我が家に限らず世間一般の方の聞こえ方というのも人それぞれで違って聞こえているようでした。その番組をみながら思い出したことがあったので、今回番外編として記事にすることにします。

 私は本は嫌いじゃなくて好きな方ですが、うちの親は読み聞かせをしてくれるような親ではありませんでした。逆に、読み聞かせしなかったことを自慢するような親です。ハイ。ですが、私も弟もそれなりに本を読んでいたし、学校の成績も悪くはありませんでした。自分が子どもの頃は、読み聞かせしてもらえなかったけれども、自身が子どもを持った時には、メディアや学校などで、読み聞かせが推奨されていたりしたので、私もそれなりにやってみたことはありますが、子どもに障害があったこともあって、なかなかうまくいなかったので、そのうち読み聞かせはしなくなりました。

 先着1名様問題のことに気がついた時に思ったことなんですが、知的な遅れを伴っていない発達障害の人たちの中には、その読み聞かせが向かないタイプのお子さんもいるように思うのです。それはなぜかというと、読み聞かせの場合には、ゆっくりと抑揚をつけ読みますよね。でも、そのゆっくりと読み上げられるということで脳みそが拒否する人もいると思うのですね。脳みその回転に合わせた速度の読みあげ方どうかでも、インプットの仕方って違うんじゃないのだろうか?と思ったりするのです。

 なぜそんなことを思うのかというと、吃音の問題がある人には正直言って申し訳ありませんが、吃音に問題がある方の音読を聞いていると、私がオカシイのかはわかりませんが、実はとてもイライラしちゃって、本来なら机を投げ飛ばしたくくらい気持ちわるくってそれを抑制しながら実は聞いています(苦笑) で、私以外のお子さんでそういうタイプのお子さんをみかける度に心の中では、そうだよな。。。頑張って聞いてるなぁ偉いなーって。でも、吃音の問題を抱えてるお子さんだって、好きでそうなっているわけではないし、それをすることがそのお子さんにとっての練習みたいなものだからと思って我慢して聞いていました。

 で、私の場合なのですが、録画したビデオなどを観る時は1.2倍速で観たりするほうが、どうやら耳にインプットされやすいみたいなんですね。なので、1人で観る時は少しだけ速度をあげて観ることが多いのです。で、倍速をあげることで言葉の抑揚とかそういうのもフラットになったりもするし、なんていうか心地よくはいってくるのですね。それがなぜかはわからないのですけれども。

 それと、先着一名様な脳みそだからこそ、音読の仕方が毎回違うことでの不具合も起こると思うし、それが逆に同じお話も何度でも楽しめってことになる人もいるかもしれません。ただ、毎回違うように聞こえてしまうという不具合は、言葉一つ一つがインプットされづらい状況であると思うので、そうなれば、物語自体もインプットできないわけですし、言葉やその言葉をつなぐ接続詞の違いだけでも、文体の意味は変わってしまったり、言葉のイントネーション1つでも言葉の受け取り方や意味を勘違いしてしまうことから、物語の意図することに気がつきずらくなる場合もあるように思うのですね。だから、日本語なのに、呪文みたいにしか聞こえなかったもするでしょうし、どこかの国の言葉に感じてしまうこともあるように思うのです。

 ですので、読み聞かせする場合に、言語の聞き取りが下手なお子さんの場合には、そのお子さんに伝わりやすい発声で録音された音声を何度も聞かせたほうが良いんじゃないのかなぁと思うようになりました。というのも、息子が言葉に興味を持ち始めたと同時に、言葉の発音を私に確認するようになってきました。そうしたことで、一時期ひどかったおうむ返しが かなり減ってきたのです。そういった事がみうけられるようになったことで、我が家では、ホワイトボードを使い、息子が気になる言葉を視覚的に表記し、その言葉に〝ふりがな〟をふり、私が発語をし、息子もそれを見て、聞いて自身でも表記された言葉を発語できるように練習したりします。で、息子なりに腑に落ちると、その言葉をIpadでネットやyoutubeで検索したりするようになりました。そして、それらが日本語だけに留まらず、英語圏まで発展しているということになっております。

 これらは、療育先や言語療育に通って習ったわけではなく、自宅で息子と暮らしている中で辿り着いた我が家なりの言語療法です。知的な遅れを伴う自閉症の息子ですが、少しずつ一つずつ、自分なりに言葉を獲得しているようです。たどたどしかった言語の発音も大分上手になっており、単語での要求が2語文になる場面も増えてきました。彼の中で使える言葉がいっぱいになってきているからこそ、意味がわかるようでわからずイライラもやもやしたり、矛盾に感じることも増えてるんだろうなぁと思うこともありますが、手探りな日々はこれからも続きそうです。我が家の方法が同じような立場のご家庭で使える手法かどうかはわかりませんが、参考までに番外編として覚書程度に名はなりますが記事にしました。参考になれば幸いです。