ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今日はいい天気です。

遠くに見える山は白く霞んでいるけれど…。

今日もゆっくり休もうと思います。

 

三角港にある〝海のピラミッド〟の中。見上げるとアンモナイトみたいなのです。

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耳や目を休めるということで

得られる心地よさを

感じられるようになったのは

急性期の頃に何度か利用した

保護室のお陰です。

一度入院したことで

自分自身の現状を認めなければならない

事態になりました。

ようは『頑張らない』ことや

現状を越えられないなら

『逃げてもいい』という選択肢もあるということを

知ったことは今ではよかったと思っています。

〝頑張ることが正義〟だと思っていた

当時の私には強制終了というカタチで

認めざるを得なかったわけです。

その日を境に気持ちを切り替えて

身体を治すことにしたのです。

その場しのぎの癒しでは

人は病んでいくだけなことにも

気がつくきっかけになりました。

そして、なぜ自分がそうならざるを

得なかったのかも今ならわかります。

だけど、あんなやり方はないと思う(怒)

 

こんなことをブログで公言すると

必ず登場してくるのが

『頑張ることが正義』と思っている人々と

『頑張ることは悪』という仲間たちが

対立することになるわけですね。ハイ。

で、私はどちらともに一度振り切れたと思います。

で、結果的に、どっちも〝アリ〟で

とどのつまり、使い分けれることが可能だと

気がついたわけです。

それは、生き方の選択肢が増えた

ということにもなるのだと思います。

私の場合には、頑張ってたから身体が壊れたのです。

1人でなんとかしようとしてたから。

自分1人で何もかもを抱え込もうとしてたから。

今の自分ではできないことは

是が非でも1人でする必要はない

誰かに手伝ってもらってもいい。

そういうことを今たくさん練習しています。

 

ただ、元気になってくると

現状を突破するためには、

頑張らないといけない場面だって

当然あります。

が、しかし、人それぞれにキャパの違いがあるからこそ

そこを、どうするかを決めるのは自分なんです。

その時、どこをみて決めるのかで

行き先が随分変わってしまうのですが…。

それが、最短ルートになるのか

回り道になるのかは

一度体験してみなければわからないのです。

そして、同じルートでも

その人それぞれの背負っている物事で

その道が平坦に思えるのか

凸凹に思えるのかも変わります。

だからこそ、苦楽というものは

経験して初めてわかることだと思います。

 

最近、思うのは〝頑張ること正義〟

だと思ってる人々は

もしかしたら〝頑張れてるつもり〟なだけで

実際には自分自身の頑張ってる許容範囲まで

満たされてないんじゃないかと

思ったりするのです。

だってですねキャパシティを越えるくらい

頑張らないとやってけなかったから

強制終了が来たんだと思うんです。

いろんなところに不調がきてるのを

誤魔化し誤魔化しやってるだけだということ。

ということは、強制終了が来ない人の場合には

あきらかにどこかでガス抜きはできてる訳です

ということは、

強制終了がきちゃうタイプの人からすれば

そんなに頑張ってはないのかもしれない。

ただ、その〝頑張る許容範囲〟というのは

〝自己評価〟と〝他者評価〟は

確実に乖離していることが多いと思われるので

やっぱり、それこそ

自己満の域になるのだといえると思います。

だから、他人がとやかく

口出す筋合いもないわけです。

でも、強制終了を

わざわざ起こさせるように仕向けるような

認知行動療法はヒトデナシ療法だと思っています。

回りくどい言い回しはただ単に保身です。

自分が被害をあわないように

誰かを使ってコントロールしてるのが

現代社会だと私は肌身で感じています。

互いの秘密を握りしめあって

その秘密をばらされたくなくて

仲間うちで忖度してることは

絆といえるのでしょうか?

そして、そういったことで

誰かをコントロールしてることに

気がついていない人も

たくさんいらっしゃると思います。

無自覚だからって許されるのか?

それこそ、された人にとっては

〝恨みの種〟にしかなりません。

その仕組みを知るまでは…。

だからこそ、私は人を恨まないようにするには

どう自分の中で処理をすればいいのか

模索してきた10年でした。

他者を恨まずに自分の中だけで

みえない物事を打ち消すエネルギーが

本人の中で一体どれだけのなのか

想像したことがありますか?

経験した人にしか絶対わからない感情だと思います。

それくらい、怒りのエネルギーの昇華は

半端ないからです。

だからこそ、自分に向き合えない

自己受容ができない人は避けると思います。

そして、自己受容出来ていない人々が

〝頑張ること〟か〝頑張らないこと〟の

どちらか片方を主張しているなぁと

思ったりします。

どちらもアリ。でもどちらも認められないのは

己の許容範囲に自覚がないことを

証明しているようなものだなぁと

そんなことを思ったりします。

だからこそ、やってみなきゃわからない。

止まることも進むことも、どちらとも…。

 

その場しのぎの小さな嘘は

洋服の綻びと同じ

 

きょうはこのへんで