ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

2つの式で問題を解いてみたら…なんの問題もなかった件②

 

 息子と私は親子で発達障害があるからか、変化することが苦手というより、弱いだけです。変化は受け入れられるけれども、無意識レベルで心身に負荷がかかってしまうようで、それらが慢性的な疲労化を起こしてしまうことから、二次障害が起きてしまうというようなことになっています。なので、その疲労が蓄積しない様に、我家は日々ゆるっと身体のアプローチを行っているというワケです。。はい。

 そんな変化に弱い私たち親子。息子が幼児期に受けいていた支援では、その変化に対応できるよう、ルーティン化をさせないようなスケジューリングや支援の場面での固定化をさせないようなことを幼児期から行っていたわけです。ええ。変化変化のオンパレード。ただ構造化は固定化されている状態っていうようなイメージです。なので、多分、めっちゃ負荷かかってるハズなのです。もちろん、変化が大好きなタイプのお子さんたちもいるわけです。ようは、多動な人たちや好奇心旺盛なタイプの人たちになりますが、そういう人たちにとっていは、逆にやたらめっぽう変化することを好みます。要は刺激を好むということでもあると思います。なので、そういった人たちには、変化に対応できるような場面展開は向いてるようにも思いますが、今度は刺激を求める体質だからこそ、テンションがあがりすぎたままの状態になってしまうので、ブレーカーが落ちるまで多動が続いてしまうということになると思われ、それはそれで、身体に疲れが溜まってしまうことにもなるみたいなのですよね。。。

 なんで、私や息子が変化に弱いのかを考えてみたのですが、一応変化するということはわかっているのです。でも、自分でもわからない無意識の部分で起こっているだろうことがストレスとなっているのだと思うので、不可抗力みたいなものなんじゃないかと思うのです。で、昔を振り返って失敗したなーと思ったのが、変化に対応できるようにするための、支援者の『よかれ支援』で何でもかんでも変化をつけていたなぁーと思って、実はそのことを今すごく反省しています。今なら、変化に対応できていない幼児期の場合には、逆にそういったやり方ではなく、別の方法で教えるだろうなぁと思います。なぜなら、原始反射の統合が進めんでいくどこかの段階で、自然と変化に対応できるようになるように思うからです。

※これに関しては実体験をしてないので、定かではありません。個人的見解です。

 それと、これは息子が施設入所したことでわかったことなのですが、一般家庭の生活と施設入所での生活は全く違っていて、一般家庭の生活って、毎日が変化だらけなんですね。で、施設での生活ではどうかというと、生活の変化はあまりないのです。あってもゆるやかだし、スケジュールも大まかです。人によっては、ルーティン化してると思われると思われますが、大きなルーティン化ってそんな悪いことじゃないと思うのですね。なぜかというと、スケジュールは変更になることもあるということを理解できていれば、変化は受け入れられると思われるからです。それと、固執してしまう時は案外体調が悪かったりするときだとも思うんですよね。なので、自宅以外で変化変化のオンパレードな中、本人は活動しているわけですから、自宅ぐらいでは、変化の少ない状況で疲れをとってあげることや、フェードアウトさせることが必要だと思うのですが、そういったことを一般家庭の場合には、保護者が意識してなければ、更に変化することを積み重ねてしまうだけのように思うのです。そして、そんなことに気がついて人が多いのですよね。。。我が家の場合には一度施設入所をしたので、それらがわかったので、自宅では、本人のペースで生活をしている状況です。

 それと、我家の場合、いろんなタイプのスケジュールを使う中で、変更や中止については教えていたので、それだけでも十分理解して受け入れてくれていました。変更・追加・中止を始めたばかりの頃は、何度かは暴れたこともありましたが、今ではそういうことはほとんどありません。自ら『別の日』と言えるまでになってます。何度もいいますが、重度の自閉っ子です。変更の伝え方も一回前の情報を消してあげて、新しい情報を入れるというようなことを伝えて、変更しないと、パニックになって当たり前なんですよね。変化に対応できないから、変化を教えるってこと事態、今の私からしたら『無駄なこと』のように思えてなりませんが…。ですが、支援者側からすれば、変化を楽に受け入れられるようになったほうが本人が楽になるといった〝支援者愛〟からの手厚い支援になるのですよね?きっと。はてさて、それは本当に当事者にとって、本当に必要な支援といえるの?と私は考えるようになりました。それは、『無駄な動き』ということを知ったからです。

※『無駄な動き』に関しましては灰谷氏著書『人間脳を育てる』をお読みください

 結構勘違いされているように思うのですが、スケジュールって行動統制のために使われていることが山の如しだと思うのですね。でも、私はそれはなんか違うよなぁって思っているのですね。なので、スケジュールを行動統制のために使用してる人たちとは話がかみ合わないと思いますので、あしからず…。

 私は、スケジュールって『見て動く』とか『活動の次に何があるか』を本人にお知らせするようなものだということの方が大切なように思っています。スケジュールに沿って行動できるようになることがゴールのように思われてますが、それだけじゃないんですよね。その先にもできることがあるのですけど、そこどまりな人たちがいっぱいのように思います。それよりもっと大事なことは『見て動く』と『次に何があるか』この2つを抑えていることが一番大切のように思うし、その2つが理解できていれば、スケジュールに沿った行動はできるように思うのです。なので、何度か経験を積めば、『変更・追加・中止』なども受け入れられるようになるハズなのです。なぜなら、自閉圏だからです。律儀だし、〇〇しなければならないタイプの人たちだからです。

あぁあああ、短い記事で終わるはずだったのに…。トホホ

 

2つの式で問題を解いてみたら…なんの問題もなかった件③へ続く