ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

行動障害と向き合う④

身体のどこかにまだ眠っている〝怒りの根っこ〟をとりのぞくために…

 息子が落ち着きをとりもどした頃、この行動障害がはじまった頃に軽度の発達障害がある強度行動障害のあるお子さんが転校してきていたことを後日知ることとなった。その当時を振り返ってみると、息子の行動障害が一番酷かった時期が、そのお子さんから暴言をはかれたりしていたのだろうと想定できるお子さんだった。しかも、そのお子さんの事に関しては、あまり学校側からも知らされておらず、息子が5年生になった初めての授業参観へ行った時、少人数なことから5・6年生の複式学級となっていたことで発覚したのだった。

 ある日の授業参観で、教室内では個別に勉強を行っていた。うちの子は個別のスケジュールをこなしており、その時は席を外していた。私は息子が教室に戻ってくるのを待っていた時に、そのお子さんが課題にとりくみながら、先生へ暴言を吐いていた。しかも保護者の私の目の前で…。その暴言の内容が半端じゃなく、セクハラ&パワハラだったのだ。きっと家庭でもそういった関わり方しかされてこなかったのだろう…。そんな風に思い不憫に思った。同じクラスになった一つ下のうちの子たちが、その暴言をはかれている場面に遭遇したこともあった。

 何が原因かはわからないのだが、息子の行動が気にいらなかった時『〇〇死ね!』といった暴言をはかれていたことも聞いてしまった。そして、他のお子さんの保護者からも、子どもたちがそのお子さんを恐がっているといった話も聞くことになった。ただ、私は、同じ発達障害のある子どもの保護者の立場として複雑な心境になった。今思うと、おそらくそういったお子さんと過ごす毎日の中で、息子の中にもあっただろう攻撃性がトリガーになってしまったのかもしれないと思ったりもする。ただ、そんな出来事が発端となったのか、思春期になる前だったからか、第1次反抗期もなかった子だったから、第2次反抗期になると同時に第1次反抗期でもあるのか…。何が要因だったのかは定かではないが、我が子にもそういった行動障害が潜んでいたことを知るきっかけにもなり、そのお子さんの問題とは切り離した上で、我が家は息子へ起きていた行動障害を治すためにこれまで取り組んできた。

 あれから私なりに様々なことを学んだことで、みえてくるものはある。ただ、どんな状況下であっても、障害があろうがなかろうが、してはいけないことはしてはいけないと私は思うのだ。たとえ言葉が理解できなかったとしても。息子の将来を思い描いたら、我が子だからこそ向き合う他なかった。我が子をより良い行動へ導くために一体どんなことが起こっているのかを知りたいと思っても、学校側は個人情報になるので何か事が起きないと教えてはもらえないし、たとえ我が子の背景で起こっていることを知りたくても、どういった状況なのかは詳細は公にしてもらえない…。個人レベルで被害にあった場合にしか開示はされない仕組みなのだろうか? 学校生活がどんな状況なのか私はよくわからなかったし、先生方からも施設のスタッフの方からも問題行動のあるお子さんがいるといった情報提供はされたことはなかった。だから、その当時には気がつかなかったというよりも、気がつけず、我が家の場合には、息子の成長の過程だと思っていたのだ。その後、そのお子さんが小学部を卒業し不登校になり、学校や施設へいなくなった時期と同時に、息子は治療の甲斐もあって、行動障害が治まること重なっていることに後々気がつくことになった。

 

行動障害と向き合う⑤へつづく