ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

終わりのないコミック会話

9年前の7月末に閉鎖病棟から退院した後、すぐ社会復帰することは無理だということで、息子と離れ離れに暮らすことになりました。学校を卒業するまでは、施設入所のままで時々自宅に帰省するといった生活スタイルになるだろう。そう思ったのと、当時息子は7歳でしたので、高校卒業まで約10年先の未来のことの理想はあっても、その当時想定することが全くできませんでした。それくらい、自分自身が病んでいたということもありますが、離れ離れで暮らすことで、母親として何ができるのかも、どうすればいいのかもわかりませんでした。

児童相談所へ相談をし、施設入所や学校への転校の手続きや施設の見学をしたりしながら、バタバタと入所日や転校することも決まり、夏休みいっぱい一緒に過ごしました。

入所日や転校する日程が決まったので、息子への予告をするために『終わりのないコミック会話』を2つ制作しました。要するに、いつまで施設にいるのか家に戻る日が来るのかわからない予告をしました。

コミック会話もSSTも本来はスケジュールや手順書では伝えられない詳細の情報を本人にわかりやすく伝えたり、予告するためなどに使用するための視覚支援です。なので、正直いって迷いました。だって、いつまでという終わりのない予告だったからです。先を見通し、不安をやわらげるためでもあるグッズなのに、それでも、全くしないよりは良いだろうと思い予告しました。今だにそれをみると、悲しくなりますが…。

夏休みが終わりまだ残暑厳しい9月の初旬、息子を連れて施設に行きました。施設の人たちへ息子と荷物を渡し「よろしくお願いします。」と伝えた後、玄関の鍵がかけられると、息子が玄関まで走ってきて泣きながら、家では、うんともすんとも言わない、母親の私のことを〝ママ〟なんてほとんど呼んだことのない息子が、ガラス越しにでも聞こえる大きな声で

「ママー!ママー!」

と何度も泣き叫びながら玄関や窓からでて追いかけようとしていました。そんな姿を見るのが辛くて、私も母もその場を足早に離れ車に戻り施設を後にしました。多分、母も涙をこらえていたと思うし、私も自分を保つことで精いっぱいで、母の顔をみることもできず、私が泣いたら母も泣いてしまうだろうからと涙をぐっとこらえました。(泣いてもよかったのに…。)帰る車の中で、母も私もほとんど会話をすることなく、自宅にもどりました。

その日の場面を思い出すと、やっぱり涙がでます。自分だけじゃなくて、何も悪くない子どもを巻き込んでしまったことや、中学になったらいずれお世話になろうと思っていた施設だったので、どうせなら、こんなカタチで預けるのではなくて、ちゃんと終わりの見えるカタチで施設へ入所することを伝えられたのにって。過ぎてしまうと、いろんなことがとめどなく溢れてきましたが、それでも、施設へ預け離れ離れで暮らしたことで、私も息子も良い意味で心身共によくなっていきましたので、結果オーライだったと思えるようにもなりました。

元気になっていくにつれて、今の自分にどんなことができるのか、周囲の人たちにどんなことをお願いすればいいのか、離れ離れの生活でも母として何が出来るのか…。一年一年過ぎる度に、課題のようなものは変わりましたし、他害をしていた時期はすごく大変な時もありました。それでも、なんとか毎回クリアすることができて、中学になると落ち着いたことで、できなかったことができるようになっていく姿をみれてすごく嬉しく思ったし、頼もしくもありました。それに、私だけが満足しているだけではなく、息子自身が嬉しそうにしていることが伝わってくるのも、喜びでもあり幸せでもありました。施設や学校生活で育まれた人との関わり方に恵まれたことで、私よりも社会性が育っていたからこそ、手元に引き取り家庭生活でしか得られないことや思い出をつくってあげたいと思ったし、私自身も完璧に元気にはなってはいないけれども、家族や周囲の人たちに助けてもらいながら、息子と暮らしていくことが私自身の治療にもなるし、そんな私との関わり方が息子にとっても必要だと思って、過ごしています。

正直いって、くじけそうになることもあります。それでも、支援者にしかできないことがあるとするなら、母親の私にしかできないことというか、私でなきゃダメなことがあって、それは誰も変わってくれないことだから、私が受け入れる覚悟をして、引き取ったのですが、どうやら私は信用されていないようです(笑)

信用されてないのであれば、信用してもらえるまで、私は私の精一杯でその瞬間に最善を尽くすだけです。それでも信用されなかったとすれば、それは私の問題ではないのだということも最近わかりました。おそらく、皆さんの期待を裏切り、息子も私もどんどん成長しているだろうと思います(笑)私や息子が成長することを困る人たちがいるとするなら、それは一体全体どういう人たちなのだろう…と思う今日この頃です。

他者の幸せや成長を喜べない存在が私たちの足枷となっていたのだということを、ただただ思い知っていますが、見守るということは確かに難しいけれど、私や息子の幸せを願うなら、どうか、私たちがヘルプカードを出すまでは見張るのではなくて、見守っていてもらえませんか?