ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑬-原始反射と愛着障害-

8年という歳月をかけて、なんとかようやく私なりにどういった生活を行えば、心身ともに元気で毎日を過ごしていけるのかがわかってきた昨今ですが、入院した時期の急性期の状態の時の生活と全く同じことを続けてきたわけではなく、その時の生活環境に合わせて徐々に変えていきました。その件に関しましては、養生編なるものもいずれ記事にしようと思っています。過去ブログにどんなことを行っているのかはいくつか記事があったかと思いますが、この際まとめてみようと思っていますので、気になる方がいらっしゃいましたらしばらくお待ちください。

身体のことに目を向けるようになり、セルフケアを行うことが養生生活の後押しをしてくれることとなりました。そのお陰もあり一進一退はありながらもどんどん回復し、心理面でも価値観がどんどん書き換わることとなりました。原始反射のことを知ったことから得た気づきは、スピリチュアル方面への気づきにもつながることとなり、一度スピリチュアルのことで偏っていた時期から疑問をずっと持ち続けていたことが解決されることにもなった大きな気づきを得ました。スピ方面からすれば魂レベルのお話になるように思いますが、その件は私はうまく説明できませんので今回は割愛します。多分、私の言いたい事をもっとうまくそれらと合わせて発信してくださる方がいらっしゃると思いますので…。

さて、原始反射のことを知った時と同時期に〝愛着障害〟に関しても講座を受けたり著書を読んだりしていました。その中でも『胎児性の愛着障害』のことに関して一番印象深く残ることとなり、原始反射とも関連しているのだということも知りました。といいますのも、私は自分癒しのためにTCカラーというカラーセラピーの資格を持っているので、知人や友だちにカラーセラピーの練習台になってもらっていたことがあります。その中で知り合った方で親子共々心身に不調を抱えていた人たちへ神田橋先生のいる病院を紹介したことがありました。その中にお母さんではなくお子さんがもしかしたら発達障害かも?と思うこともありましたので、一般的な精神科や心療内科に受診することで逆に発達障害じゃないのに発達障害と誤診されてしまったり、発達障害なのに発達障害ではないと誤診されてしまっている自体にも見舞われているようだったので、下手すると逆に飲まなくてもいい薬を飲まないといけなくなって、逆に状態が悪化してしまうことになると抜け出せなくなる自体に陥るだろうと思い、どうせ病院に行くのであれば神田橋先生のところへ行ってみるのもいいのでは?とすすめたことがありました。身体アプローチの講座も受けてくださったのですが、一時期状態が良くなったもののまた状態が悪くなってしまったことから、受診をしようと思われたようでした。受診後に連絡があり、神田橋先生の見解を教えてくださったのですが、先生のお話では、発達障害ではなく親子共々お母さんのおなかの中にいる時の状態がよくなかったからだといったことをいわれ、その頃の状態が代々連鎖しているだけだということだったようです。その話を聞いた時に、ああ、やっぱり神田橋先生をすすめてよかったなぁと思うことになりました。この知人のことから自分のケースと照らし合わせて考えるようになりましたが、私の場合には、神田橋先生へ初めて診察を受けた時、即答で〝発達障害〟だねとハッキリいわれました。だけど、知人の場合には親子共々発達障害といったことはいわれなかったということ。ただ知人の成育歴の話を聞いたりすると、厳格なお母様に育てられていた様子で厳しいというより虐待ともいえるような扱い方で育てられていたようでした。だから、母親を恨んでいたこともあったといった話も知人から聞いたことがありました。だからって、その知人は反社会的な人でもないし、元ヤンキーでもなかったみたいですし、ごく普通の真面目に暮らしている大人の女性だったのですね。そんな知人とは違って、私は虐待を受け育ったわけではなく、他の子たちよりは厳しめでしたが、躾のために叩かれて育ったわけではありません。ある程度の躾の範囲で両親に怒られたことがあるだけです。ただ父がお酒に溺れる人だったし、父のカッコ悪い面はみたことがありました。なのでそういった面では父親はそんなに良い父親とはいえなかったかもしれません。ただ、それなりに父は父親の役割は果たしてくれていたと今なら思えます。それに両親が夜中に喧嘩していることは知っていました。でもそういうのは、どの家庭にでもよくあることだと思うし、うちの家が特殊な家庭環境だったとはいえないと思うのです。ですので、機能不全家族とまでいかない、ごくありきたりな一般家庭で私は育ったとは思われ、私の場合には、誤学習していたことが確かにありますが、環境要因だけが原因で2次的な障害になったともいえないと思うようになりました。ただ、愛着障害の著書を読んだと同時期に、仕事やプライベートの対人関係のゴタゴタで、体調が著しく悪くなったことから、それまでに自分なりに治っていたと思っていた愛着の不具合が完全に治っていなかったことにも気がつくことになりました。ようは眠った状態であったことを思い知ることになったわけです。その時期は、やっと長年困っていた人格障害を治そうと思っていた時でもありました。結果、ゴタゴタがあったことで私は統合できたようなのですが、それでも、何かが起きると解離なのか霊的なものなのか、一言では説明できないようなことは起きていたので、治っていなかったのだと思います。

その後、段階を踏んで毒出しをするたびに寝込むような日々が何度か続きました。憤慨して怒りを吐き出した後は、蛻の殻になり、酷い時は起き上がれないくらいの状態になりましたし、やっと起き上がれるようになっても、手足の関節が繋がってないような感覚が数日続くといったことになりました。誰でもいいから危害を加えたいといった気持ちにもなったことがあった時は、そんな自分をただただ抑えることで精いっぱいにもなりました。
ただ、私がなぜ事件などを起こさずにすんだのかは、それまでに私自身という人間を自分なりに認知したり自己分析したりしていたから大きな事件になることもなく、事なき得たようなものなのです。本当に。それは、私の怒りのメカニズムがどういう仕組みなのかを知っていたことが一番大きいように思います。そして、その怒りの行末をどこに向ければ一番いいのかをその時その時で行ったからだと思います。なので、安易に私に仕掛けられていただろうみえない療法は、他の人に通用すると思ったらそうはいかないと思いますので、私に試していたことが、もしあるとするのならば、他の人に試して欲しくありません。本当に大変なのです。絶対無理だと思います。本人の中で膨らんでいく怒りのエネルギーとまた別に生まれてしまう増悪のエネルギーを昇華するには、頭だけでは終わらせられない。それは体験した人にしかわからない感覚だと思います。私の場合には私自身が〝なんとしても治りたい〟といった意志があったことや友だちや家族に見捨てられることになったとしても、とにかく〝治る覚悟〟をしたから治せたのだと思うのです。

悪い事をしたら警察沙汰になり犯罪者になりうるということがわかっていても、一本の糸が切れてしまったら、本人には止められないくらいの怒りなんですね。だからこそ、その一本の糸がブチ切れないように、小さな勘違いや毒だしを日々行う必要があって、それは本人が気がついて本人が自己認知をし初めて、絡まった糸がほどけていくという感覚なのだと思うのです。そして、正義感が強ければつよいほどそれらは内側へ向かず外側へ向いてしまう行動へと化してしまうのではないのだろうか…。そんな風に思います。私の場合には、内側に向きやすいタイプなので、モロー反射が残存していたとしても、外側に向けることは暴言ぐらいで済んだのだと思います。ああ、違うや。家の中の物を投げまくったこともあったなぁ。そういえば…(苦笑)一番酷かったのは、OD(オーバードーズ)、その次は元相方を暴言を吐きながら叩く、泣き叫ぶ、家の中の物を投げまくる…etc。夜中に落ちた時は包丁を持ってみたこともありました。でも刺すことはできませんでした。だって、痛いのが苦手だし、病院に行くのもメンドクサイし、血をみるのも苦手だったからです…(苦笑)お金もなかったですし、人に迷惑をかけたくないといった気持ちがあったことも少なからずやらかす率を下げてくれたのかもしれません。とにかく、ODに関しては何度か経験がありますが、物を壊したりすることや元相方をたたいたりすることでの、後始末、部屋の片づけや叩いたことで怪我をしてしまうことでの弊害で次は思いとどまるということにもなっていたので、一度はやってみるようにしていましたが、私の場合には、負の経験をしたことで最終的に自分が後始末するのがメンドクサイとわかると、もう二度とメンドクサイことはしたくないからか、行動統制できていくこととなり、結果オーライとなりました。

ただ、私にとって身に覚えのない理不尽なことが起きた時は、誰という限定されない恨みごとが別次元で溜まっていくことになることになり、そういった自分のしたことじゃないことに対して私が後始末をしなければならないことに対する憤慨は一体全体どこにしまえばいいのかわからなかったのですが、おかげ様でただ文句をいえばいいということに気がつき、迷惑こうむった時は相手に事実を伝えることにしています。あった出来事をただ伝えるだけです。そして、それは私に対する意地悪なのですか? 過去の経験上、私は被害妄想が酷いのでこういった扱い方をされたら意地悪されているようにしか思えません。というようにしています。 そして、その時あった出来事を覚書程度にはなりますが、文字にして残すようにしました。その時に嫌だった出来事とそれに対する自分の感情を残す程度ですが、それが私自身の振り返りにもなりますので…。ああ、またずれてる。。。話しを戻します。
とにかく様々な出来事が起こることがきっかけになり、怒りのエネルギーを使って毒だしができることがわかってはいたのですが、もうですね、なんでわざわざ私の怒りがたまるようなことをするの?というような仕組まれた感覚が否めなかったことで、私の怒りは倍増することになってもいたのですが、これいらん世話なんですよね…。

ただ、この怒りのエネルギーを使うことで毒だしができるのだということに気がついたのは、2年前に行われたニキ・リンコさんと藤家寛子さんの講演会の時に、藤家さんの解離が治った時のお話を聞いたことからヒントを得ました。それなりに気をつけて制限された生活をしているのに、私の身の上に起きている解離性の人格障害だか、はたまた憑依体質だかがまた現れるようになって、治そうとしてるのになぜ治らならなかったのかがやっとわかったことで〝だから私は治らなかったんだ〟という確信を得たことから、私にとってのラスボスを対峙できると思い取組んできました。が、なんとまぁ、本当に酷かったんです。動画残っているといいんですけど。。。(ぶ)

 

LD体質な私の身体感覚について⑭-原始反射と愛着障害-へつづく