ワタシの暮らしの忘備録

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LD体質な私の身体感覚について⑫-原始反射と愛着障害-

LD体質な私の身体感覚について⑪から少々開いてしまいました。すみません。そろそろ終盤にしたいところですが、どこまでこのシリーズの記事にしようかと考えあぐねています。といいますのも、こうした記事を書くに至ったのには、原始反射や愛着障害だけに限らず、様々な療法や身体アプローチで『●●をしたら治った』といったことを安易に発信する人たちがいて、そういう人たちの発言に迷惑することがあったからです。自分もその辺は気をつけないといけないなぁと思いながら、こうしてブログの記事にしているところです。他者へきちんと伝えるって難しいですよね。

発達障害という障害名が大々的に世間に広まり始めると同時に強く叫ばれていたのが『早期発見・早期療育』になるかと思います。あれから10年弱が経過し、それなりに世間に知られることにもなっていますし、逆に何らかの事件が起こることで発達障害だったといった事態にもなったりして、いろんな意味で社会問題化しているようにも思いますが、それとはまた別に、医療や福祉の現場がなんだかオカシナ事態になっていってるんじゃないかと、年々感じるようになっていきました。確実におかしなことになってますよね。日本しか知らないけど。私が身体のことに目を向け始めたのは約9年前になります。今思うとあの当時に講座で学んで得た知識だけで、発達障害という障害をわかった気になっていた自分が恥ずかしいくらいです。

あの頃から、自分以外の発達障害と診断を受けた当事者の人たちとの違いを比べたりはしていましたが、何かわからないけれども、ずっと〝拭いきれない違和感〟のようなものを感じていました。9年という月日の中で、自分探しや自分癒しをしながらも、その違和感の正体が一体なんだったのかも、同時に模索することとなっていたようにも思います。その正体のヒントになったのが『原始反射と愛着障害』というキーワードでもありました。
そういえば、あの当時は、発達障害の中でも軽度といわれる〝AD/HD〟や〝学習障害〟は小学校になるまでは診断しないというか診断するに値しないといわれていたように思います。それくらい慎重に診断をされていたようなのです。やはり幼児期は発達している途中の段階になりますので。ただ現在は、幼児期でもグレーゾーンのお子さんたちでも診断がついてしまっているケースもあるようなので、ああ、現場も混乱してるのかもしれないなぁとそんなことを思ったりしています。それに、超早期発見や介入も取組まれはじめた時でした。その当時の意味としましては、早期に発見することで、特性から起こるだろうトラブルを最小限にし、発達を促すための早期発見早期療育だと私は学びましたが、あれは、私の勘違いだったのでしょうか? なので、もしあの当時『原始反射と愛着障害』のことを知っていたなら、息子への発達援助の方法や捉え方も確実に違っただろうと思います。

あの当時の私は、身体のことに全く興味関心を持ち合わせていませんでしたので、幼児期までのお子さんたちのその時に表出している状態だけをみて、発達障害っぽいな?といったことを思っていました。ただ、ここ数年で身体に関してのことを学べば学ぶほど、なぜあの当時に小学校へ就学してからではないと〝要観察〟だけで経過観察をされ、診断が慎重に行われていたのかの理由が今ならとても良くわかる気がします。簡単にいいますと、就学する時点では書字できる身体にまで発達していることが前提なわけですよね。45分間椅子に座って先生の話を聞き、板書したり、指示に従って行動したり、自発的な行動もできることが前提なのだと思います。ただ、今の保育や幼稚園の現場は、身体の発達が未熟なまま、書字ができてる前提での教育がなされており、大人のいうことや集団の中で過ごせる良い子を目標にしているような、背伸びした保育がなされているんじゃないのかな? それとも保護者がそれを望んでいるのかな? とそんなことを思ったりします。

ここ最近の運動会での組体操問題などがありましたが、正直言って子どもたちの身体が組体操もできないくらいの身になっているんだということも着目しておかないと、ただ、危険なことをさせている学校や先生が悪いといった認識だけで物事を判断していることはあまりにも乱暴だと私たちは気がつかないといけないんじゃないかと思ったりもしています。あきらかに危険だと思われることはしない方がいいのかもしれません。ただ、なぜ昔はできていたことが、現代の子どもたちには危険なこととなってしまったのかということは、改めて考えてみる必要があるように思うのです。なので、ただやみくもに〝危険〟という単語でひとくくりになんでもかんでも禁止するということが後々どんなことになってしまうのかを考える時期にきているようにも思います。そういったことが、子どもたち自身が身を守るということにも繋がっていくのではないのだろうか?と思うのです。子どもたちの発達が遅れているのは、社会や学校のせいだけじゃなく、私を含め子どもたちに関わる大人1人1人の知識や常識の枠でひとくくりにした関わり方をした結果が出ているようなものでもあると思うのです。これが結果だとすれば、何をどう間違ったのだろうかは、1人1人思い当たることがあるように思いますがいかがでしょうか?

うちは息子に障害があることから、幼児期の頃は、知人で保育の現場で働いていた人が数名いたので、健常児のお子さんたちの発達のことをよく聞いていました。現場でちょっとどうかなぁ?と心配されているお子さんの様子を聞いたりして、情報交換をしていたこともありました。ただ、今思うと発達障害ではなかったといえるお子さんの方が多かったかもしれないなぁと思うようになりました。といいますのも、年1回になりますが自主企画を行っていたコンディショニングの講座で個人やグループ指導で出会ったお子さんたちの様子をみたり、息子との生活、そして自分自身も原始反射の統合や愛着の不具合を治すために取り組んだ体験を通して、発達障害ではないだろう人たちが発達障害と診断を受けている事態にみまわれているような気がするということを年々強く思うようになっていきました。それは、子どもたちだけではなく成人の当事者の方も含めてです。過去ブログの記事に重複する内容にはなりますが、私は自分が発達障害かもしれない?と思い始めて診断を受けた当時には『ああ、やっぱり私は定型発達ではなかったのだ。』と思ってほっとしたことがありました。診断後にうつ病もあることがわかり、入院を期に生活習慣を改め、制限された生活をするようになったことで、AD/HDの特性といわれる〝もの忘れ〟に関してはかなり改善されることとなりました。ただ、物忘れ以外の不注意や衝動性の特性はそれなりに気をつけることで、日常生活で色濃く現われることが全くなくなった訳ではなく、睡眠不足だったり疲れが溜まってしまったりすると、風邪をひいた時のような不調のサインとして現れ波があるんだなぁと感じるようになりました。それに、身体アプローチの講座で講師をしていただいていた栗本氏には、体調の良し悪しも波があることが当たり前だといったことをアドバイスをうけたこともありました。そういわれてみると、生身の人間だからこそ、心身の状態に波があっても当然だよなぁと思うようになり、その波の振れ幅を受け入れその状態の時にどんなことをすればいいのかを自分なりに試行錯誤してきました。

私の場合には、精神障害発達障害を持つ人たちの中でも、結構、制限された生活をしているほうだと思うのです。入退院を繰り返すことがないように、かなり気をつけてきました。それでやっと毎日疲れが残らずポイントのように溜まることも少なくなり、人並みに動ける身体に追いついたのが現在です。8年かかりました。それもこれも、私次第だったことに気がついてからは一進一退しながらも治っていく経過が早くなりました。出来ない自分を認め、意識して変えていくということが時には必要だということもも気がつきました。そうしたことで、私は自分自身をとり戻すといったことにもなっていきました。

それに、福祉就労後、一度社会復帰した時に発達障害や二次障害のある私と普通の社会の中で働いていらっしゃる方たちと比較した時に、発達障害精神障害がある私と一体何が違うのだろう?と思うような人たちにたくさん出会いました。そういった経緯もあったことから、自分が本当に発達障害といえるのだろうか?と疑うようになりました。自分なりの見解にはなりますが、私の場合、自分1人の生活であれば、条件付きにはなりますが、家事をしながら仕事もするといった生活をしてもそれなりにプライベートも楽しめる生活ができるのです。ただ、私の場合、自分のことを行うことだけで精いっぱいなのに、他の家族のことまで請け負うという生活をしながら育児や仕事を行う、いわゆる生活の中で役割が増えると発達障害の負の特性が色濃く出てしまうこととなったり、体調不良にみまわれることになってしまうことから、日中活動のクオリティが下がってしまい、やる気が著しく損なわれてしまったり、元気がある時ならできることも、できなくなってしまう事態にみまわれることになってしまいます。そういった意味では健常の人たちとは違いを感じます。一般的な生活をしてもできないことはないけれども、人並みの生活をすると、無理をしすぎてしまうこととなり、ブレーカーが落ちてしまうことになるので、私なりに制限された生活のペースを乱さないことが必要不可欠なのだということがここ3年余りの生活でやっと身に染みてわかりました。

ここでいう〝制限された生活〟というのは、精神障害の判定や手帳を申請した際に知ることとなりましたが、私は自分ではできていたと思っていた一般的な生活が、なんとなくはできていても不具合を抱えながらなんとかやれていたんだといったことをこの8年の歳月で認めざるを得ませんでした。人と比べることでしか、自分のことはみえないので、内省しながら周囲の人たちを観察してきました。一度、制限された生活を始めたことで、体力は落ちたと思ったのですが、私の場合には体力がないわけではないのです。体力の使い方がチグハグなことから、エネルギーが消耗してしまうことになっていただけだったということに気がつくことになりました。無理すれば〝人並みにできる〟というだけでした。それに、制限された生活をしつつ、メンタルのことは自分なりにケアしていたので、自分自身ではメンタル的にはストレスを感じなくなったので、ストレスなんてないと思っていたのです。が、しかし、お薬を向精神薬から漢方薬に変えた時、処方されたお薬の説明をしてくださる中で『無意識レベルに感じていることもストレスになるんですよ』といったことを教えてくださったことがありました。そのお話をしてくださったことで、私の場合一番のストレスになっていることは〝無意識レベルのストレス〟を考えてみると、感覚過敏しか思い当たらなかったわけです。(感覚過敏の話は過去ブログをご覧ください)で、私の場合にはこの感覚過敏は恐怖麻痺反射と同様に『標準装備』でもあり、過敏ではあるけれど、私の身を助けてくれるなくてはならない感覚でもあるので、日々感じている〝無意識レベルのストレス〟もセットになるわけですから『標準装備』となってしまうわけです。同時多発的に出てしまう負のエネルギーを解消したり、それらを緩和させるために、自助努力や工夫をしたり、日々身体を整えているというわけです。あーーーーまた、なんか話がずれました。すみません。

まだまだ続きそう。。。トホホ


LD体質な私の身体感覚について⑬-原始反射と愛着障害-へ続く