ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

感覚過敏とお薬⑥-共感覚とかエンパスとかー

少し間が空いてしまいすみません。しばらくネットが使えない状態になることを思い出したので、感覚過敏とお薬のことを終わらせておこうと思います。

共感覚に関しては、私はないに等しいと思っている。文字をみても色は感じないし色がみえたりはしたことはほぼないに等しい。ただ時と場合に応じて色を感じることは稀にある。ただそれが毎日ではないという感じだ。音だと共感覚の現象といってもいいようなことは身に覚えがある。例えば、生の弦楽器の音を聞いた時、ステレオなどの音の周波数の画像がみえることがある。そして、無意識に涙がでてしまう。それも特定の楽器に限るのだが、弦楽器でもバイオリンや二胡、チェロになる。不思議とギターだと画像がみえたことがない。あとは、オカリナやケーナなど民族楽器の時は自然に鳥肌がたってしまうことがある。それらは共感覚といっていいのだろうか?
私はどちらかというと『共感覚』よりも日常的に感じていたことは『エンパス』だったのだと思うにいたっている。身体的な特性に関しては、今現在それらが役にたつことになっているので便利だなーと思えるようになった。それらが人よりも強かったことが私自身の生きづらさではなくそれらを助けてくれていたんだと思うようになれたことや、私という人間がもって生まれた身体の働きだったのだと思うにいたっている。

感情面に関しては、長年悩みの種だったことがここ数年で解決されることとなったのだが、思春期の頃、喜怒哀楽どんなことも感じすぎる体質になってしまったことから、人の中でうまくたちまわれない自分を気がつくことにもなり、集団の中でどんな自分でいればいいのか自問自答していた頃は、みんなのようになれない自分がとってもカッコ悪いと思っていた。そして、それが〝普通〟だと誤解していたことで、そんな自分を治さないといけないと思い抑制していた。そういった抑制がかえって、自己コントロールを困難にし、生きづらさに繋がっていったのだと思う。今思えば、気にしないで開き直ればよかっただけだと思えるようになり、本当に楽になった。やっと折り合いがつくようになったことで、『エンパス』はあるようだけれども、その状態に呑み込まれて自己を見失ってしまうということはなくなった。

精神的なケアも他者に手伝ってもらうことはあったが、最終的には自己解決できるようになりたいと思いケアにあたっていたので、よほどのこと以外は自己解決できるまでになれた。というか、気にならなくなったというほうがいいのかもしれない。それだけ、人のいうことにイチイチ捉われていたのだろうそう思う。感じなくなったわけではなく、眺められるようになったことが自分ではとても嬉しい。

『感覚過敏やお薬』が『共感覚やエンパス』と、どのような因果関係があるのかに関しては、正直私もよくわからない。ただ、これらの感覚は、向精神薬を服用しようがしまいが私にとっては増減したことはなかった。それだけはハッキリいえる。神田橋先生への受診が頻回になった時には、向精神薬を服用することで私の資質がつぶれてしまうから〝勿体ない〟といわれたことはある。その資質というのが『共感覚やエンパス』又はスピリチュアル界隈でいわれる『霊能力』みたいなものになると思われるが、『霊能力』っていうより『直感力が鋭い』と言い換えたい。

妄想力がすこぶる酷いことは悪いことだと思い長年苦しんでいた。現にその妄想力を扱い切れず自滅していたからだ。ただ、その妄想力が私の資質でもあったと気がついたことで、それらをどう活かせばいいのかはまだまだ課題だとも思っている。ただこれまでは、中々折り合うこともなく受け入れられずここまできた。それに、そんな資質を勘違いもしたくなかったのだ。逆にそんな自分を疑い続け戒めてきた。そして、その妄想が案外当たっていることに気がつき、それらの扱い方についてもこれからの課題だと思っている。苦行は嫌なので、楽な方法で折り合いをつけ課題をクリアしたい。

私の身の上に起きていた様々な怪現象がどうやら医学的な名称があり『共感覚やエンパス』だいうことを知ったのは、ここ数年のことだ。もし大昔の私なら、飛びついていただろうラべリングになるなぁと思う。昔一度スピリチュアルのことを勘違いし、のめり込んでしまった失敗体験があったことで、自分なりに色々と取り組んできたことで、それらを勘違いすることなく私の身の上に起きていることを医学的な単語に置き換えるとするなら『共感覚やエンパス』又は『直感力が鋭い』というんだなぁー。それくらい軽く受け止められるようになった。そして、それらの一般的には特殊だろう思われることを日常生活の中で使える楽しみも知り、〝使えないカード〟だと思っていたら、実は〝使えるカード〟だったという喜びを知ることになれた。
それに、発達障害の有無に関わらず、感覚過敏がある人たちは鈍磨な人もいれば過敏がある場合も全くない場合もある。その表出のスタイルがまたそれぞれなので、私に表出している特性はあくまで単なる一例にすぎないということは心に留めておいてもらいたい。勘違いしてもらいたくないのは、同じ障害があるからといって、感じている感覚や感情が金太郎飴みたいに同じではないということ。それと、発達障害の有無にかかわらず、五感のどれか1つに過敏がある人は案外いると思うのだが、どうなんだろう? 

私の感覚としては、大半の人たちがおそらくそれらの感覚は閉じてしまっているだけなようにも思う。それは何故かというと、私がまだ、自閉症スペクトラムのことを学びはじめたばかりの頃、支援者か研究者だったかどなたかは忘れたが、自閉症スペクトラムの人たちの持つ身体に表出している特性は私たち人間が本来持っていた本質を持って生まれただけで退化しているのではない。進化をしていないのだといったようなことをネットか何かの記事で読んだことを覚えている。そういった内容の記事を読み、とても共感したことを思い出した。まだその当時の私は、どんなことも自己否定の材料にしている時期で、自分を欠陥人間だと勘違いしていた。だから、私も進化したほうがいいと思い、付け足すような自助努力や感覚過敏を治すことばかりに囚われてきた数年を過ごしていた。ただ、ここ数年行っていた治療のお陰で、自己成長を促してくれるような行為そのものが、自分自身を卑下していることでもあることに気がつくこととなった。そして、過敏が鈍磨になることで、自分自身の体調の不具合がわかりづらくなったり、体調が悪くなってしまうということに見舞われることがわかってからは、一見不具合にみえる特性に対し、付け足すことや失くすことよりも日々の体調管理を気をつけることに変えることにした。感覚過敏は身体症状になるからこそ、風邪のように体調次第で出たりひっこんだり、波があることが当たり前。それらがあっても生活に支障がない状態であれば、その人にとって〝ある〟けど〝ない〟といった『治った』という状態でいいのではないか? 私は『それでいい!』と思えるようになったことで、私は更に楽になった。それ以外にも折り合えるようになったことで、私の場合、ひとまず〝クリア〟できたとも思っている。ここまでになれたのだから、体調次第で過敏が酷くなり生活がたちゆかなくなってしまうことがないよう、日頃から季節に応じたゆるっとセルフケアを行い整えることが私には必要不可欠だ思って、日々のケアをこれからも続けていきたいと思っている。

最後に…私がここまでくるのは、様々な事情が重なり40を越えた今頃になってしったことは悔やまれる。それでも、私はこれまでの経験で、私なりに得ていたものが多く、例えるとするならパズルであればピース、組紐であれば糸、文章だったら単語のように、バラバラと得ていた物事はそれぞれのヒントであり、その時の答えでもあり、そして、その1つ1つが繋がったことで、本来の私をとり戻すことができたのだから、結果オーライだと思っている。悔しいことも悲しい事も怒り狂うような日々が沢山ありすぎて、もうあんなことは二度と味わいたくない。もし、また大きな壁が立ちはだかるようなことがあった時に、今度は揺らぐことない私で、それらがクリアできるようになるための苦行だったのだろうと自分を嗜める祝辞にしようと思う(苦笑)。終わったからこそ言えることだが、もう嫌だ。二度とごめんだ! 金輪際嫌だ! お釈迦様が苦行が無駄だと思って苦行をやめた気持ちが1ミリくらいわかる気がする〝春〟を迎えることなったが、幾度となく訪れた希視念慮の中でも最上級といってもいいあの時、死なずによかったと思える日が来たことは喜びたいとおもっている


※最後まで読んでくださりありがとうございます。