ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

発達援助と自助努力のマリアージュ③

過去記事を織り交ぜながら記事を綴っております。しばらく続くかも。

さてでは、私なりの自助努力で意識的に変えることでできたことなどを織り交ぜた話でした。が、私は元々悪い子を隠していたので、体裁をとりつくろう自分自身も嫌でした。今はできない自分も人にみせたりして恥ずかしがらずに、わからない時は誰かに頼るようになりましたが、昔からずっと普通の人を目指していたことと、それが息子を育てるためには必要だと思って“常識のある普通のお母さん”も目指していたこともあったので、成人支援も受けていました。とにかく努力すれば変われるハズって思いこんでいたりもしたのです。『できないことをできるようになる』それが自己成長だと思い勘違いしていたことが私を更に追い込むことにもなったように思います。その当時は、同じ発達障害の友だちや講座などで同じ学びをしていた先輩母さんに、わからないことは聞いたリすることもあったりしました。で、ある時先輩母さんに質問したことが後々誤学習につながってしまう事態になったことも実はありました(苦笑)

それはどんなことかというと、講演会や勉強会へ行くのにJRを利用していました。佐賀へよく行っていたのですが、佐賀へ行くには鳥栖駅で乗り換えないといけません。土地勘もないし、その当時はまだパカパカ携帯の時代だったので、自宅で一旦調べたものを打ち出すなどして持っていくか、駅の時刻表などをみて調べるか、駅の窓口で聞くことで乗る電車や時刻を確認していました。それでも、私は不安が強かったので、イチイチ駅員さんに聞いて電車に乗るようにしていました(笑)そうしないと、本当にわけわからない方向へいくことになってしまったりするので、私にとってはとっても大切な作業でした。鳥栖駅から佐賀への乗り換えはその当時、特急か各駅に停車する電車に乗り換えるのですが、地元以外の土地の駅名って難しかったりしませんか?私はそれでよくわけわからなくて往生したのですね。で、各駅停車の行き先が『肥前山口』という電車が止まっているけれども、『肥前』は佐賀だとわかっていても『山口』がくっついてたことで、もう胸がざわざわしぱなしなわけですよ。『山口ってあの山口まで行くの?まさかー』って心の中で何回も不安がリフレインしちゃうわけです(笑)なので、本当にこれが佐賀市内へ辿り着くのかどうかをよく駅員さんへ確認していたのです(笑)※今はしっかり覚えているので大丈夫ですよ。で、そのことを先輩母さんへ軽く話してみたわけです。そしたら「普通は聞かないのよ」って言われちゃったワケです(苦笑)で、その時に自分の中では結構ショックをうけてしまったので、恥ずかしいことだったのだとも知ることになったのですね。。。それも自己否定の材料になりました。そんなことから、更にどうしたら間違わないかどうしたら人に聞かずに自分1人でできるようになるのかという努力をすることになりました(苦笑)で、ここ最近の私は自分のわからないことや不安なことを抱えたまま行動するよりも、羞恥心が薄い自分の資質を活かし、わからない時はわかる人に聞く事にしました。もちろん、自分でできる限り工夫はしますが、携帯のネット検索をするのに、都会の場合電池の消耗がかなり早いようなので、都会の場合には、大事な局面で携帯を使えるように、聞きまくるようにしました。だって、田舎者の旅行者だし(笑)わからなくて当然だし聞くのは普通だよなって気がついたことがありました。それからはわからないことを聞く事は全然恥ずかしいことでもないのだと思えるようになりました。

下記の過去記事は、2年前の音楽のイベントの後に気がついたことです。

___________________

2016年4月12日 20:14 UTC+09

 
誰かや何かになろうとしても

なれないんだから

人間様にもなれないんだし

普通にはなれないんだから

もう人間になれなくても

人間らしくなくても

普通じゃなくても

妖怪扱いされても

私が今の私を面白がって

毎日楽しいなら

ワクワクな毎日なら

それでいいじゃん!

たとえ生まれ変わっても

今の顔や心と身体や境遇

生きてきた道のりは一度きり

前世の償いもしなくていいし

来世の自分のために

お利口な生き方しなくていい

今世の私が幸せかどうかが

基準でいいじゃんと思う

こんな顔して歌ってる

自分に照れつつも

いい顔してんなぁと自画自賛*(^o^)/*

 _________________

 

音楽のイベントの時に私が歌っている時の写真をいただいた時に感じたことになります。(写真は勘弁してください)私は幼い頃から、自分の顔や体型にコンプレックスがあったからか大人になってだんだん自撮りが苦手になってしまいました。後、黒歴史があることで自分を罪人扱いしていたこともあり、自分の顔出しはしたくなくて写真を撮られることがいつの間にか苦手になってしまったということもあるんですね。でも、この時の写真をみたときに自分でいうのもなんですが、本当にいい顔をして歌ってる顔だったんです。あー気持ちよさそうに歌ってるなーってそう思いました。

この時にやっとあきらめたんですよね。世間一般でいわれている常識のある普通の人になること。私はどんなに頑張っても人と価値観が同じではなくて、違うようにしか感じる事ができないのだということや共感できないこともあるし、人とは違う多方向から物事をみてしまう癖がついてしまったことから生み出されてしまう、葛藤にさいなまれることになってしまい墓穴を掘って自分に溜めてしまっていたり、人とうまく関われなくなってしまうことになっていたので、ああ、もう無理だ。降参します。認めます。私は普通にはなれません。ということがやっと身に染みた時でもありました。が、まだこの時は、自助努力だけでは難しい現実があることを思い知ることに気がついてない時期ですが、またそのお話は別の時にでも…。

④へ続く