ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

呪いからの解放③

大変お待たせいたしました。先日からの続きになります。心苦しくなられる方は、途中で読まずに退散なさってくださいませ。スルーでお願いいたします。

 

まだ療育をはじめて間もない頃は、地元の講座や親の会などへも参加をしていましたし、様々な人と会う機会もありました。でも、私は伯母が聴覚障害者で長年一緒に暮らしたこともあることから、自閉っ子の我が子の奇妙な動きは差ほど気にならなかったし、私自身の羞恥心が薄いことから、他の保護者の方たちより受け入れ態勢はわりかし早く段階をふむことなく、スムーズに受容できただろうと思います。が、そんな私でも、息子の成長が著しく悪かった時期には落ち込むことがなかったわけではありません。ましてや、療育をはじめて間もなかった時期だからこそ、心が折れる時もあったわけです。

今現在は、いろんな体験を積み重ねてきたことで、後退する時期や安定する時期、なんにも変らない時期もあったりしたからこそ、今大きく構えていられるようになっただけなのですから、こんな私と比べたりしないでくださいね。落ち込む時期はちゃんと落ち込んでいいし、上手くいかない時ほど、がむしゃらに前を向こうとしがちになると思うのです。別に前ばかり向く必要もないなって思うし、上手くいかない時は一時休戦したりなどしてみると、新たなヒントやアイデアに気がつくこともあると思います。どん詰まりになる時ほど、ちゃんと休むことが大切だと私は思います。

そして、そういった煮詰まった時期は煮詰まった人たちへ悩み事を相談することもあると思います。で、私もそういった場で話を聞いたりしたこともあるし、保護者同士の雑談をしている時に、様々な『呪いのような言葉』を聞きました。嫌になるほど。で、私はその当時、言葉の理解が今現在のようには受け取れておらず意味もよく理解できていなかった時だったので、『なんのことを言ってるのだろう?』としか思わなかったことで、難を逃れていたのだろうとも思います(苦笑)。発達障害だったことも案外悪いことでもなかったのかもしれません(苦笑)そんな保護者同士の間でとびかっていた『呪いの言葉』の中で、私がずっと腑に落ちなかった言葉が『卒業後の魔2年間問題』でした。

まだ私たちは療育がはじまって間もないうちから、その『2年間のこと』は早い段階から考えとかないとねといったことをいう先輩母さん方が多くて、何がそんなに問題なんだろうそう思っていました。簡単に説明しますと、軽度判定の人たちにはまったく関係のないことなのですが、手帳の判定が重度から中度の人たちの場合には補助がうけられます。でも、その補助は18歳までなんですね。で、本人の年金支給は20歳からです。だから、その2年間の間、働くことのできない子どもたちだから、それまでにもらえていた補助がもらえなくなるし、施設利用するにもお金がかかる。だから、その『魔の2年間』という時期の対策を今から考えとかないとねーみたいな話だったのです。

この言葉に一時期まんまとはまっていた時期がありました。でもですね、考えてみてください。もし我が子が進学したら、それ以上のお金をはらって進学させたりするわけですよね。もらえてたものがもらえなくなるなら、子どもが施設にいっている間に自分が働けばいいといったことは考えられないのかなぁーとただ単純に私は思ったわけです。軽度判定の人たちの場合には、幼い頃から自力なことが多いのですし、公的な援助は施設利用だったり公共交通機関の割引も重度や中度判定の人たちからすれば、ほとんどありません。一般の家庭でも、高校卒業して進学した時は私たちの子ども以上のお金がかかります。何がそんなに恐いことなのだろう? そんな風に思いました。

それと、幼い頃から療育がうまくいけば障害の程度が軽くなる場合もあると思うのです。で、障害の程度が軽くなることで、手帳の判定がもし軽くなったとしたら、今まで飲んでいたお薬を飲まなくてもよかったり、本人のこだわりが強すぎるためのグッズなどの購入をしなくてもよくなったり…etcといったことで、補助をもらっていた頃よりも出費が少なくなったりするケースもあると思うのですね。それに、幼い頃は、大人になったら生活介護だろうと思っていた子が、うまく発達したことでB型なりA型なり作業所へ通所できたりして、産みだされるお金もでてくるかもしれません。なぜ、まだ、療育がはじまったばかりの頃の私たちに15年先のお金の話をするんだろう。まだ始まったばかりなのに…。その当時はそんな風に思っていながらも、主体性のなかった頃でしたので、先輩かあさんたちがいうのだから、心配しといたほうがいいのかもしれないなぁーと思っていた時もあったわけです。

そして、我が家の場合には施設入所をしたこともあったので、公的な補助金もデイサービスやショートステイなども一切使えない時期がありました。なので、余計にお金がかかることもあったわけです。二重生活になるわけですから。そんな時期もあった後、改めて一緒に暮らすことになって、しかも高校生。あの『魔の2年間』とやらがカミングスーンな域にやってきました。施設の方にその時の利用料などが大体いくらかかるから、それなりに貯蓄をしておくといいかもといったアドバイスをしていただいた時には、『そうかー。。。』とちょっとだけ考えたりもしましたが、反射的に

『フルタイムで働けば賄えますよね?』って私は答えていました。そんな私はバカなんでしょうか? それに、その数年後に世間の情勢も私たちを取り巻く環境も蓋を開けてみないとわからないと思うのですね。私はお金を貯蓄したり、回したりすることが不得意です。そういうタイプなので、周囲の人たちも貯蓄しておいたがいいよという意味を含めてのアドバイスでもあったであろうと思います。ただですね、私の場合、とても心配症すぎるので、せっかく貯蓄をしてても、誰かに盗まれてしまったらどうなるの?といった迷走状態にもなるわけです。私のような妄想タイプの人の場合には、別な諸問題がネズミ算式に増えていきどん詰まりにもなるわけです。とどのつまり、その時が来てみなければ、どうなるかわからないことを何年も前から心配してもなんか意味がないよなーって思ったわけです。しかも、我が家のことだし。。。みんなよその家のお金の心配なんかしちゃって、余裕のよっちゃんなんだな。優しいな。と思ったりもしたこともありました(爆)※心配させていたらすみません。

とにかく、リアルな先輩母さんたちに、先々の不安の種をたくさん蒔かれたことがありました。種っていうより、呪いの呪文にしか思えませんでした。損しないような方法を教えてくださることもありましたが、そんなことよりも、子どもがどんな風にすれば、他者からの援助を受けながらでも毎日を楽しみながら自分の人生を彩っていけるのか。施設だろうが自宅から通所だろうが、障害がありながらもどんな人生の選択肢があるのだろうか? そんなことのほうが私は情報として知りたかったのです。ただ、残念ながら身近な方でそういう保護者の方に出会う確率がほとんどありませんでした。1人だけになりますが私よりもだいぶ年上の方で、そのお父様のお話はとても参考になりました。後は、SNS上で知り合った先輩お母さんたちは、希望を捨ててる人はいなかったのです。だから、そんな先輩母さんたちのツブヤキを読みながら、私も頑張ってこれた時期がありました。その節はありがとうございました m(_ _)m

どんな保護者の方も我が子のためをと思って、頑張っていらっしゃるだろうとは思っています。でも、時々育て方や考え方の方向性が違うと、口きいてもらえなくなったり、あからさまな意地悪や噂をする人たちもいて、なんだよ。障害児の親だろうと健常のお家だろうとおんなじじゃん。っていうか、ムシロ健常児の親より酷いんじゃ?と思うこともありました。だから、いつの頃からか、私は自分と息子のことに集中するために、距離をおくようにしたし、精神衛生上、保護者同士の井戸端会議には人を選び、なるだけ入らない努力をしてきました。そんな悶々とした時代をすごしたこともありますが、私自身の精神障害の治療の甲斐もあり、様々な問題が解決されたおかげで、今現在は10数年に渡った呪いをまでをも解放され、全く気にならなくなりました。最強な毎日かあさんになれたような気がしていますが、定かではありませんが『その日は必ず来た』ようです。

めでたしめでたし。