ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

呪いからの解放①

ミレニアムベビー辺りに生まれたお子さんたちは、その当時の予想では、早期発見・早期療育、平成19年度から始まった特別支援教育の制度などの恩恵に恵まれ、この子たちが成人を迎える頃には、その制度のお陰でどんなタイプのお子さんの未来も明るくなるであろう、障害は治らないけれども改善はする。発達はするのだから。その為の早期発見・早期療育・早期介入だと、私は思っていました。というか思い込んでいたというのが正しいのかもしれません。

あれから12年が経ちました。我が家はその制度が始まったばかりの頃に、早期発見・早期療育・早期介入の波に乗ることができ、しかもその当時は全国的にも珍しかったであろう、公的な療育機関でありながら、自閉症に特化した支援を受けることができた稀な存在でした。うちの場合には、小学校入学するまで、私の一存で息子の発達の遅れを受け止められなかった時期は、民間の知育教育で半年ほど習っていたり、自閉症が発覚してからは、佐賀のそれいゆの方で発達検査を受け療育も半年ほど通っていたことがありました。その流れの中で、地域の支援を受けられることとなり、療育機関でみっちり、自閉症に特化された療育を受けました。それはそれは、自閉症スペクトラムの子どもたいの特性を踏まえた支援の数々を受け、また、親も障害の特性や支援の内容を理解するための勉強会などもありました。本当に手厚い支援を受けることができました。その恩恵のおかげで、私にとっては発達障害への理解や支援の方法、息子にとっては、構造化された支援の中で、スケジュールや手順書に沿って見て動くといったことや、どんな人にも要求できるようになる…etcなどの土台ができたのは、感謝するほかありません。しかも公的機関になりますから、負担額は所得に応じた金額で受けることができたわけですから、本当にものすごくラッキーな立場だったと思います。当時それいゆさんの幼児期のプリスクールの金額は民間でしたので、かなり高額でした。しかも、施設が新しく建て替えられた上での特化した通園施設でしたので、その当時は、夢のような通園施設だったと思います。ただ、全ての先生たちが自閉症ことを理解できていたわけでもなく、支援のことも学びながらの方が当時は多かったので、担当の先生がどの先生になるのかは、大きく左右されたであろうと思います。ただ、園長先生がいらっしゃったりしたので、その差もさほどなかったであろうとは思いますが、保護者同士の間では、依怙贔屓だとかなんとかそういった話がなかったわけではありませんでした。うちは、担任の先生に恵まれたことが少なかったのです。でも、私は園で行っていた療育の方法を自腹切って学んでいましたし、自宅でも療育をする前提でしたので、園長先生との勉強会や園が行っている支援又は自閉症の特性に関して先生たちとの共通理解するための学びが将来的に私の身を助けることにもなっています。それと、担当の先生がセンスない人だったとしても、私が話し言葉のない子どもの味方になり、先生の支援に対して疑問を投げかけることができ、自分でも考えていたことはよかったなぁーと思います。それに、先々ずっと息子がセンスのある先生に恵まれることはないのだろうし、『親が子どもの理解や支援ができなくてどうするよー、学校より家庭生活の時間の方があっとう的に長いのに…。』という想いのほうが強かったのもあり、今息子と関わることに役にたっているわけですから、あの時恵まれなかったことが、主体的に考えてどうすればいいのかなど、観察をし傾向と対策を考えられるような親になれたのかもしれないので、息子への対応が支援者ありきにならなかったことや、支援者や療育に対する疑問を感じていた気持ちをないがしろにしなかったことは本当によかったなぁと思っています。

②へ続く