ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

積極奇異から孤立へ①

私が30歳前後の時、『おひとりさまブーム』があったような気がするのですが、定かではありません。その当時の私は、自分自身が発達障害があるとも思っていなかった時でした。彼氏や友だちがいても、なんともいえない孤独感を抱えていたし、みんなと一緒に食事をしたり遊んだりして楽しいけれど、それでも自分はどこか一人ぼっちな気がしてなりませんでした。そんな自分を子どもっぽいとも思っていた頃だったと思います。

その当時までの私は、1人で行動することはあっても、映画をみたり喫茶店にはいったりといった1人行動はできませんでした。やっぱり、誰かと一緒じゃないと活動できない人でした。そんな自分が常々カッコ悪いとも思っていた時の『おひとりさまブーム』だったので、私にとってはこれ幸いなブームでした。それに、私はいつも、何かが無くなってしまった時のことを考えるタイプだったからでしょうか? まだまだ三十路になったばかりだったけれど、おばあちゃんになった時の事を考えて、1人遊びができるようになっとかないとヤバイと思ったことがありまして、なんでそう思ったのかまでは覚えてないのですが、いくら仲のいい友だちがいたとしても、おばあちゃんになった時、友だちが近所に住んでいたらいいけど、友だちが遠方ならそんなに会える機会もなくなってしまうだろうし、1人暮らしになってしまったり、下手すれば老人ホームにはいったりして、友だちとは会えなくなってしまうかもしれない。ましてや、私は友だちつくるの下手だし。人間関係苦手だし。。。そんなずっと先のことを考えて途方に暮れたことが、『おひとりさまを極め楽しめるようになる』という目的を持って、それから1人行動の練習を始めました。何から始めたのかは覚えていませんが、手っ取り早かったのは、映画だったような気がします。それから、カラオケ、温泉、ファミレス、喫茶店、牛丼屋さん、ラーメン屋さん、回転寿司…etc 初めはお金を使って楽しんでいました。それから、出産と育児からの療育となり、自分自身にも発達障害があることがわかってからは、私がもともとやっていたことが、自助活動の余暇のようなものだったと思うことになり、早いうちから練習をしといてよかったなぁー。なんだかんだで、私はそれなりに自分自身のことをわかって、自助努力してたんだよなぁー昔から。そんなことを思っていましたが、どうやら、そういった努力はほとんどの人がしないことにも気がつくことになりました。ようするに、私は相当な心配性だったわけです。このようなことからも、恐怖麻痺反射の残存率がうかがえるよなぁーと思うことになっています。イヤハヤ、本当に私は怖がりな身体だったと思います。

 

②へ続く