ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

『弱みと強み』も1セット

数年前に映画館で『アントマン』をみた時、今どきの泥棒は頭が良くて器用で、身体能力もないとすぐ捕まってしまうよなぁー。。。。と主人公の泥棒力に関心しつつ、ダメで不器用なパパからヒーローになっていく物語に量子力学的な世界も感じることができて、至極感動した。映画を観ていただけたらわかるかと思うが、まさにこの映画は主人公の『弱みと強み』が表裏一体だということがわかるような気がした。ヒーローとして悪い組織と闘えるようになるまでには修行もある。身体の伸び縮みが上手くできるかが問われる修行はとても興味深いものだった。これをみて、私にはヒーロー業は無理そうだなぁーと心の底から思った(笑)
そんな私にも、もちろん『弱みと強み』はある。そして、その『弱みと強み』は私次第でひっくりかえすことができることをこの数年で気がついた。以前の私は、自分の弱点や、嫌なところは見ないフリをしていた。その点、強みの部分は逆に人に迷惑をかけてしまうことに繋がっていたのだな。だから嫌われることにもなったのだろうな。と考え方が変わった。まだ自分自身でも『弱みと強み』を勘違いして、私にとっての凸を抑制したり、凹のヌケを埋めるような自助努力を行っていたことが私の主体性を奪い、病んでしまうことにもなったのだと気がついてから、自己評価の『弱みと強み』を逆に考え行動してみることにした。いわゆる『ありのまま』という状態で行動してみた。もうドキドキとザワザワしぱなしだった。そして、結果的には私の場合『ありのまま』では、たちゆかない現実も味わう事となった。生活に差し障りがある場合にはやっぱり工夫は必要だった。それはどんなことかというと、人のために努力するのではなく、他者にとっても自分自身にとっても心地よいことなら、それなりの努力は必要だということだ。例えば、待ち合わせの時間に遅刻しないとか、期限は守るといったことだ。そして、それらが守れなかった場合には、言い訳をせずきちんと謝罪すること。遅れそうな場合には事前に相手に知らせることで、相手の方の時間を大切にできた経験になることもわかった。そして、私自身も罪悪感を感じずにすむこともわかったのだ。それと、一番の収穫は私自身のタイムスケジュールに余裕があるかどうかで、約束を守れないこともわかった。だからこそ、時間に余裕をもって行動したり、そのための事前準備や工夫が私の場合には必要不可欠だ。年単位かかったが、ちょっとした手間や工夫をして、ネガティブな習慣を変えることができた。そして、私の行動に対して相手がどう思うのかは『相手の課題』ということを知ってから、そんなに気にならなくなったことでも随分楽になっている。

強みに関しては、更なる努力を積むよりも心身の安定が大切なのだということがわかった。要は脳みそが快適な状態であれば、仕事ははかどるし現場で役にたつことも経験した。それは、A型作業所を卒業し、パートにはなるが一般就労をしたことで気がついた。とにかく、私なりの自助努力は体調が悪い時にでも簡単にできて、その自助努力さえストレスにならないようなことを毎日続けられることだけ取り組むことに変えた。そして、できない時は無理やりしないというスタンスが今の私の生活の土台になっている。

私はこれでも、約10年以上前に2種類の発達検査を受けたことがある。WISC‐Ⅲと田中ビネーを受けた。本当はロールシャハット検査も受けようと思ったのだが、あの当時、滲んだインクの絵をみると心が乱れることがあったので、受けることはやめた。WISC‐Ⅲは普通にテストを受けたが、楽しくて仕方がなかったし、答えられなかった質問をいつまでも覚えていたり、質問の答えの正誤が気になってしかたがなかった。そんなことをいつまでもひきづってもいた。ドンだけやねん、自分 ( ̄▽ ̄)

病院を転院した時に受けた田中ビネーは、臨床心理士の先生からの質問を聞き、答えるカタチで検査を受けた。うつ病もあった頃だったので、テストの最中に疲れてしまい、途中休憩をいれてもらわないといけないくらいに頭を使って答えていたようだ。この時話す事ができても、言葉の内容を理解し腑に落ちるまでの時差があることに気がついた。これはかなりの収穫だったと思う。自分でも驚いたくらいだった。

WISC‐Ⅲでは、言語性と動作性の差はあまりなかったのだが、どちらかといえば動作性優位だった。全体的に発達の凸凹もなく、数学だけが境界域だった。私は暗算が苦手で、数字に弱い。テストの時、数字の輪唱をするのに、数字が脳内に視覚的に表れる。聞いた数字をただ答えていくだけなのに、それが何故かしづらい。おそらく耳で聞いた言葉を一度映像化し、聞こえる数字と映像化された数字をマッチングし間違わないように答える癖があったからかもしれない。だからか、数が増えていくと脳内の映像の数字が虫食いのようにこぼれおちていってしまい、結局答えられなくなってしまうのだ。だから暗算も二桁以上になるとできなくなってしまう。輪唱のテストは、最後のほうでコツがわかったのだが、コツがわかった時にはテストは終了した(爆)正解幻想のこだわりやら負けん気の強さが災いした結果でもあったのだろうと思う。あの当時の自分より、今現在の方がテストの点数は高いかもしれない。が、別に頑張って伸ばそうと思ったわけではない。ここ数年『弛緩』を大切にしていたからか、いい意味で力が抜けたおかげや、長年草臥れていた脳みその状態が上手く働くようになったおかげだと思う。それに、3年前辺りから、鬱状態に陥り数日寝込むという事態になることがほとんどなくなった。一昨年の年末はしばらく寝込んだのだが、今年は寝込むことはなかった。おそらく、今現在、某界隈でいわれている家事のできるひきこもり(ブ)な状態だからなのかもしれない(笑)まぁ、私からするとそれだけではないとは思っているが、多分、周囲の人たちからはそう思われているような気もする。まっ、どう思われようが構いませんが。

後、脳みその状態が悪くなると『忘れる』頻度が更に上がってしまうようだ。大抵がPMSや季節の変わり目などに、心身の状態が悪くなりやすい。そういった時は必然的に『忘れる』確率もあがってしまう。心身のバランスを整えることに気をつかってきたお陰で、寝込むことも少なくなり、冬場は冬季うつになりやすかったり、立春がすぎ梅の花が膨らみ始める頃になると、脳みその気持ち悪さを感じはじめていたのが、去年あたりからそういった症状が改善しているような気がしている。だからこそ、テストの日の体調次第で点数の差がでるのは当たり前なのだなぁと思ったりもする。だからもう一度受けてみたかったのだが、転院先の先生に却下されたことで受けてはいない。

そういえば、WISC‐Ⅲを受けたあの当時の主治医と臨床心理士の先生に
「今は計算機があるから。大丈夫ですよ」
と勇気づけられたことがあった。それに、もうこの時は30を越えていたから、別に落ち込むこともないなと思った。最近はレジも画期的になっているし…。
このようなことにあわせて、田中ビネーでわかったのが、言語のみでの受け応えだと、問われている意味が理解しづらいことがわかった。だからテストの点数が以外に低かったんじゃないかと思ったりしている。ただ、WISC‐Ⅲでは短期記憶に不具合があるような結果だったが、田中ビネーの検査では、その不具合はみられなかったと検査後に説明された。
検査をしたことは、私を知るための大まかな指針にはなったようには思う。得意不得意なことがわかったなら、自分のできることをみつければいいだけだ。というか私の場合には、仕事のスキルとかより、仕事先や日常でのコミュニケーションに関して失敗することが多かったし、毎日休まずに仕事に通うといった、精神力の問題の方が大きかった。体力は決してないわけでも病弱だったわけでもない。健康なはずなのに、何故、毎日継続して働けないのか。ストレスが溜まったり、月曜日になると会社へ行きたくなくなるのか…。といったことのほうが私にとっての一番の課題だった。1日の疲れが翌日とれないまま、疲労が蓄積される体質なことや、エネルギーの使い方のバランスが悪いことでも、不具合が起き、それらが『やる気』のない状態だということに気がつくことになった。そして、エンパスがあることで体調不良が起きているのだと気がつき、それらが起きた時に解消するための方法を試行錯誤しているところだ。

エンパスだけでなく、五感すべてにおいて、感覚過敏は今だに健在している。これらも私にとって『弱み』なこともあるし『強み』でもある。この感覚を失くしたくていろいろやってきたのだが、もう別にいいかーと思いはじめている。何故なら、私にとってとても便利な機能だからだ。以前の私はそういった不思議な能力に憧れていたこともあった。そして、それは全然特別でもない能力なのだということにも気がついた。本来人間が持っている身体の働きであり、それが私や息子を育てる上での必要不可欠な能力なのじゃないかと思ったりもしている。傍からみれば特別な能力のように思われるだろうが、私にとっては、生きづらい現代を生き延びるための身体の働きなのだと思っている。メンドクサイことは多々あるのだが、それさえ丸ごと今は楽しむことにした。『アントマン』にはなれないが『X-MEN』の補欠ぐらいにはなれるのかもしれない(笑)

私にとっての『弱みと強み』は歳を重ねる度に、変化はしていくのだろう。身体の機能も脳みその機能も使わなければ下降していくのは、どんな人も同じだと思う。だから、自分と似たタイプの人をモデルケースにしただ辿るような生き方ではなく、そのモデルケースは青写真にして、同じ場所を通過しても、私なりの足跡を残していけたらと思う。そして、それが息子が大人になった時の何かヒントになればいいなと思っている。

 

今日はこのへんで