ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

おんなじ名前の男子女子①

私は何不自由ない一般の家庭で生まれ育ちました。それなのに何故私は、拭いきれない孤独感を抱えているのかが自分でも不思議でなりませんでした。絶対に両親が私の実の親だとわかっていても、私は拾われた子で、本当の親は別にいるといいのになぁといったことを思っていた事もありました。←ごめんねお母さんお父さん。。。

自分を紐解く作業を始めたのが、今から約5年くらい前からになると思います。この期間に出会った人たちから、良い意味でも悪い意味でもたくさんのことを受け取り、考えさせられました。

私がワタシを見失ったと自覚があるのが思春期の頃でしたので、それらを受け止め癒せる時期にきたからでしょうか? 不思議と高校進学前後のお子さんと知り合い接触する時期が続きました。その中でも保護者の方を含めておつきあいさせていただいたこともあったので、お子さんだけでなくお母様との関係性も垣間見ることとなり、自分の内側に混沌としていた感情を炙り出されるようなことになったのは言うまでもありません。

どのお子さんもお母さんとの関係や友だちとの関係の中で、自分自身の立ち位置や人との価値観の違いに迷っているのだなぁと思う話を教えてくれました。それでも、その当時の私とは全然違って、しっかり自分の意志や考えを持ったお子さんばかりでした。ただ、やっぱりどこか、ご両親のことを思って、自分の想いとは裏腹に、突き抜けられないジレンマも感じました。そういったジレンマは私も感じていたので、少しは理解もできたのです。

その出会いの中で、名字は違いますが、同じ年頃で同じ名前の男の子と女の子に出会いました。その二人は全く家庭環境が異なります。ただ共通点があって、お母さんがおそらく元ヤンキーといわれることでした。苦笑←失礼極まりませんがだって本当の事だもん。。。お母さんのタイプも家庭環境も全く違う同じ名前の男の子と女の子の共通点は学校生活が難しかったということでした。

どちらのお母さんもお子さんのことを思ってアレコレ干渉していたのでしょうし、それが母親なりの愛情だったのだと思います。私も息子がいるので、なんとなくはわかりますが、いくら自分の子どもではあっても一個人になりますから、その子を思っての親のアドバイスは、第3者からすれば、どこかちょっと過保護すぎたりしているように感じたし、子どもの主体性を大切にしてるようだけれども、自分の扱いやすいような対応をしているお子さんとの関わり方にみえました。その当時の私には、ただ、彼や彼女の話を聞いて、私が感じている話をするしかありませんでしたし、私がどうすることもできないことを思い知るしかありませんでした。2人が抱えていた満たされない思いがどのようなことかはわかりませんが、今思えば、私の抱えた孤独感の根底の部分を更に顕在化させることにもなったように思います。

②へ続く