ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

コミュニケーションはナマモノ

ピッチャーが投げるボールを

 

受け取るのはキャッチャーの役目

 

直球で投げたつもりのボールが

 

なんだかズレてしまっても

 

キャッチャーミットへ

 

ボールを収めて受け取ってくれる

 

コミュニケーションはキャッチボール

 

心無い直球の言葉で

 

投げかけられた事を

 

ダイレクトに受け止めるのか

 

受け取らずスルーするのかは

 

受け取る側でかなり変わる

 

自分が傷つくような

 

理不尽な言葉を投げつけられたら

 

スルーもありだと思う

 

ただ、受け止められることを

 

みないふりして

 

受け取らず自分にためるのも

 

ダイレクトに受け止めすぎるのも

 

相手の言葉を肯定することになる

 

拗ねたままだと

 

うまく受け止められなくて

 

自分を否定する材料にする

 

だから多分

 

言葉を投げかけた側も

 

それを受け取る側も

 

互いに未消化の感情のままで

 

決裂してしまうんじゃないかな?

 

1番大切な局面で試合放棄して

 

逃げる人が多いからじゃないかな?

 

喧嘩も言い合いもしないし

 

自分の思いをぶつけ合わないから。

 

喧嘩だってコミュニケーションの一つ

 

大切な人だからこそ

 

信じてるからこそ

 

聞いてもらいたいんだ

 

自分の感じたあるがままのことを。

 

今、湧き上がってきたモノを。

 

ただ、聞いてもらいたいだけ

 

私の言葉に注目せず

 

四角い窓の向こう側をみながら

 

生身じゃない電波の繋がりに

 

自分を肯定してもらうことに

 

フォーカスしてしまい

 

聞き流してしまってないかな?

 

そういったその場しのぎの

 

対応をするから

 

その時解決できるものも

 

解決できなかったりするんじゃないかな?

 

受け取れないのは

 

聞いてないといわれても仕方がない。

 

どーせわかってもらえないと思い

 

伝えようともしないから

 

めんどくさがってるから

 

同じことを繰り返してるだけなのに。

 

自分にとって大切な人だから

 

聞いてもらいたいし

 

知ってもらいたいのだから

 

意味がわからないことは

 

わからないって互いにいい合って

 

伝え合うことが呼吸するような

 

コミュニケーションに

 

なっていくんじゃないかなとそう思う

 

瞬間冷凍されたありきたりな言葉を

 

その場で取り出して

 

レンジで解凍したような

 

まぐあう言葉なんていらない

 

コミュニケーションは常に

 

生物なのだから

 

 

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