ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

自閉脳と一般脳②

脳のことも身体のことも私は人よりも少しだけ著書や講座から学んで得たことと実体験を通し体感していることや経験値からの話なので、学術的な話や専門的なことは正直わかってないと思います。ほとんど感覚で捉えているので、この私のブログを読んだりしても、絶対鵜呑みにしてもらいたくはありません。あくまで1個人が感じていることをブログに残しているだけですので、100人いれば100通りのうちの1人の体験を通し感じていることと思って読んでいただけましたら幸いです。

さて、「自閉脳と一般脳①」の最後で、『無意識の領域がよりよく機能するようになれば、意識をせずとも身体は勝手に動いたり、逆に少し意識することで、無意識の動きを補ってくれると考えたから』ということに辿りついたのは、身体アプローチの講座で反射のテストを実体験した時、私以外の参加者の方との違いをものすごく感じたことと、講座で学んだ動きを母に試してもらって、母にその感想を聞いたことがヒントとなりました。私は講座中に行い、ハッキリと自分のできているできてないを感じることとなりましたが、私より身体を動かせる母に、試しに2通りの動きをしてもらい感想をききました。母はどちらの動作もできていました。ただ、私からすると、少しぎこちなさを感じたので母に質問しました。

 

「お母さん、どっちがしづらかった?」

というと

「特にどっちも何も感じない」

と母がいうので、

「じゃあお母さん、意識しないとできないのはどっちだった?」

と質問を変えると

「しゃがむほうかな。」

と答えが変わったのです。

 

このことから、自分と他者の身体感覚の違いというだけではなく、集団心理や脳の機能が先読みをし、無意識に予測される動きができてしまうのが一般的な脳なのかなーといいった1つの仮説が浮かびました。反射のテストの時、想定される動きがどのようになるかテストを受ける前から(こういうことになるだろうなーといったことが頭の中に浮かんできました。)想定はしていたのですが、私の場合には、予測した動きにはならなかったのです。でも私以外の人たちほとんどが私が想定した動きができてたので、なんなのだろうと思ったのですね。先を読み意識をしたとしても身体の反応は私の予測と違った動きをみせたのに、他の人たちは予測はしてるのかしてないのかはわからないけれど、なんだかみんな同じ反応だった。それは、意識的にできているのか、無意識にできているのかでも違うし、恐怖麻痺反射の残存率が高すぎるのかでも違うだろうし、集団で行うことによって無意識が変化したりするのかも…等、他にもいろんなことを考えられるなーと思うことになりました。他にも考えられることがありますが、講座の内容を詳しくこちらで紹介することになるので、ここでは触れません。ただ、そういった体験をしたことや原始反射の講座で学んだことから、自分は意識して身体を動かすことも無意識の動きもどっちも苦手で凸凹があるということは確実なのだろうと思いました。

私は自閉症スペクトラムの診断は受けていませんが、自閉症が遺伝するということであれば、息子が自閉症スペクトラムですし、母親からの遺伝する確率が高かったと思うので私が自閉症スペクトラムではないとはいえないわけです。まーそんなことは今の私にとってどうでもいいことなのですが、以前は、私はアスペルガーなのか、それとも母が実はアスペルガーで母の躾や世間の一般常識で私はそういう性格に育ってしまったのかどうか悩んだことがありました。もし、自分が一般脳であるなら、育て方や環境要因だろう。でもアスペルガーであるなら、母は私をうまく育てたこととなる。でも、私の中にあった拭いきれない孤独感は、どのようなことをしても満たされることはなかったのです。

愛着障害や原始反射のことを学んだことがきっかけになり、その孤独感は胎児性の愛着障害だったのだと思うにいたっていますが、そうなると、アスペルガーの線はなくなってしまうのですね。ただ、感覚過敏やエンパスのような感覚は元々持っていたものなのか、発達したものかになってしまうこととなり、感覚過敏は原始反射が統合すれば、軽くなるといわれているのですよね。残存率が高いで生きづらさとなっているということなのですね。そうなると私の場合、原始反射の残存率が高くなると思っていたのです。でも、ですね、これですね、私の場合、子どもがいて母親だからこその標準装備なのだなと思うことになっています。恐怖麻痺反射は、生き延びるための反射らしいので。(間違ってたら、どなたかコメントを-)となると、私の場合無意識が偉く過敏なのか、自分の身の危険を感じると体調が悪くなったり、地震の前に目が覚めたりといったことが起きるのです。これだと、確かに生きづらいですね。震度1でも目が覚めてしまうので。震災を経験したから更に研ぎ澄まされたように思います。(嘘のようで本当の話です。。。)となると、原始反射の残存率が高いことによっての生きづらさというのが、説明できない気がするのですね。そして、原始反射の統合を行うことで感覚過敏が軽減したり、治ったりしている人たちも実際いるし、だけれども私や息子の感覚過敏は軽減されることはあっても一般的なひとたちよりは高い状態なままで、体調によってそれらが増減するということになっているのですよね。私の場合には鬱というよりホルモンバランスの影響でメンタルも左右されるので、より動物的な気もしています。

息子はバリバリな自閉っ子なので、その息子の様子をみているととても動物的なのですね。で、それらは彼にとって今は必要だからそのままのような気がすることもあります。(母親の私が未熟なので、仕方ないのですが。。。)で、自閉症の特性はいろいろありますが、その中でも共通している三つ組みといわれるものがあります。

 

〇コミュニケーション

〇社会性

〇イマジネーション

 

これら3つがそろっているかいないかで診断名が変わるようですが、現在はどうなんでしょうか? そのままなのかしら。

自閉症のことを学び始めた頃はこれを真に受けて信じていましたが、ここ最近になって、この三つ組みは診断するのにあたいしないのではないのだろうかと思うにいたっています。なんでかっていいますと、イマジネーション(想像力)は確かに得意不得意あるし、なんだか不具合は起きていたり特殊だなっと思うのですね。ただ、コミュニケーションと社会性については、本人の問題というよりも外側の問題のほうが大きいような気がするのです。それよりも、身体感覚の違いや入出力の違いとか、より身体的な不具合があることのほうが、自閉圏の人たちにとってはやっかいで深刻だったりするんじゃないかと私は思っています。

 

あっまた話がずれてて長くなってる…まっいっか。

とりあえず、今回はここまで。

③へ続く