ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

朝窓を開けると肌寒さを通り越して

「さむっ」と思わず身震いするような

冬の始まりを今日は感じました。

三連休西日本のほうは

晴れ間が続くといいですね。

 

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先日三十日詣でに行きました。

ブログの読者登録をしていると

毎月1日や30日は私が忘れていても

どなたかのブログを読むことで

気がつくことになっており

忘れる事が得意な私の

仮想記憶メモリとかクリップボード

なってくださっていて

誰かが情報発信し

その情報を受け取っていることが

人がAI化してるんじゃないの?

感じることとなっています(笑)

本当にありがたいです。

感謝しています。

昨日はAIに関する講座が

ラジオで放送されていたので

たまたま聞く事ができました。

その放送を聞いていて

私が感じたのはAI化することで

今まで起こっていただろう

人災が少なくなることにはなる

ただ、使いようによっては

思考停止の人を生み出してしまう怖れはあるけど

それは、その人次第になってしまうので

結局『主体性』が大切なのかもと

改めて気がつくこととなりました。

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それはさておきまして…

神社に行くのはその時の気分で

日取はあまり気にせずに

最近は参拝するようになりました。

皆さんがネットで発信してくださる情報の

おかげ様で神社参拝して来ました。

気が向いたので御神籤をひいたら

「大吉」だったのですが

それよりも御神籤の裏側にある

『神の教』にはっとさせられました。

<その内容は ↓ 下記をご覧ください>

_______________

 

“神野心に叶えば嬉し

  暗いこころも 晴れてくる”

金をためたら、慈善をするという人は、

ためるお金に限度がないから

なかなか慈善が出来がたい。

物がなければ力で

力がなければ言葉ででも

人を慰め、人の力になってやれ。

情は人のためならず

慈善をすれば心が明るくなって

まず自分が救われる。

 

_______________

 

慈善という言葉の意味の中に

“情けや哀れみをかけること”という

意味もありますが

この場合の『慈善』の意味の捉え方が

ちょっと難しいなーと私は思いました。

この場合には『情けや哀れみをかける慈善』

とは違うよという意味で私は捉えていますが

受け取る人によっては

混乱したりするかもしれませんね。

過去の自分の場合には

いわれたこと全てを真に受けて

受け取ってきた時には

こういう場合保留事項となっていました。

今の自分の立場でこの教を解釈するなら

『托鉢』に似てるなーと思ったのですが

私は自分の身を削ったり

自分の身体を崩してまですることじゃ

ないのではないかと思っているのですね。

そして、お金をくださいってことでもなく

 

今あなたの立場で何ができますか?

どんなことならあなたにできますか?

あなたにはどんな強みがありますか?

 

といったことを問われているような

そんな気がするんですね。

そして、上記のような言葉は

時折人を戸惑わせます。

たとえ『与える』ことができる立場でも

『与えた』後の自分を

案外問われることになってる人多いと思うのです。

自分の持っているものを

他者に『与える』ということは

『手放す』ということです。

『手放す』ということは

もう自分の物事では無くなってしまいます。

もう自分の物事でなくなってしまったら

渡した人に

どのような使われ方をしようが

どのような受け取り方をされようが

そのまま捨てられてしまおうが

与えた人自身には

口出しできないことになるよなって

思うんですよね。私は。

それは、お金だろうが力だろうが

言葉だろうが

自分の手元から離れた物事に対し

他者の反応が自分の想定とは違う時

案外人ってネガティブな

反応をしていることあると思うんですよね。

私は『与えた』人によって

ムカつく人と何にも感じない人と

与えて嬉しかったと思える人と

いるんだということを

実感しています。

なので、想定外の反応をされた時に

ネガティブな気持ちになる自分を知ると

とても簡単なことに

気がつくこととなりました。

私の場合にはその人のことが

無条件で

『好き』か『嫌い』か『どーでもいい』

その三択にわけられることが

わかりました。

ネガティブになったその要因が

自分にとって何なのかということに

気がつけたことを

今こうして文章化して気がつきました。

それに合わせて私の場合には

また別件で人によってムカつく場合に

他者に甘えているのとは別にして

行動制限されることが自分にとって

とても不快なんだということを

感じる出来事もありました。

イヤハヤ、自己中と自分中心の違いって

自分中心の人の行動を『我儘』という人が

実は自己中の人なんじゃないかっても

気がつくキッカケにもなったのですよね

他者のこと考えて行動しているという人ほど

自己中だなってことにも。。。

で、自己中を昇華すれば

自分中心になれるんじゃないかということにも…

 

はー。スッキリした―。

 

 

<慈善の意味>

情けや哀れみをかけること。

特に、恵まれない人々や被害にあった人々に

経済的な援助をすること。「慈善を施す」「慈善家」

※goo辞書より