ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

天に還る準備期間

私は介護などの方面は学んだことがないので、よくは知りません。ただ、相方が以前基金訓練で介護の資格を取得し数か月間だけ介護職の時がありました。私の母も通信でヘルパーの資格を取得後、短い期間介護の仕事をしていたことがありました。相方や母の介護の現場の話を聞いただけになりますが、少しだけ現場のことは知っています。そして、私はこれまでに認知症の方を4人ほど保護したり、支援したことがあります。それにあわせて、閉鎖病棟へ入院していた頃の話を織り交ぜた話を今日はブログの記事にしたいと思います。

母や相方は真面目な性格だったりするので、他の人よりも真面目にしっかり仕事をしていたように思います。いい加減に仕事ができない手を抜けない人達なので、他の人たちよりもおそらく現場で割に合わないことを散々やっていたと思います。というか、話しを聞いていて実際にそう思いました。母の場合には、介護の合間に行う掃除が人よりも長くかかるといっていました。どんなに早く効率よく行っても、他の人たちより時間がかかるし、みんなどうやって掃除しているのだろう。手を抜くならあの時間でできるけど…といってましたし、相方は毎日毎日なぜだか、便の処理をすることが多く、今日も便の処理だったよー。今日はまた患者さんの怪我をみつけちゃったよー。なんて日があって、その話を聞くたびに、私は相方に「そうなんだね。大変だったね。でも運がついてよかったねー!」と今思うと、相方を思いやっているようで全然思いやりのない、ポジティブな言葉で元気づけていたなーと思います。相方の場合には便の処理よりも、患者さんが少し怪我をしているのをみつけた場合にみつけた介護士さんが始末書を書かないといけなかったことや、介護中に患者さんを傷つけてしまうことになった場合にも始末書を書くことになり、自分がやったことならともかく、怪我しているのをみつけることになったことで自分が責められているようなことが何度も続いたことが重なったこともあり、介護職を数か月でやめることになりましたが、私はそれでよかったと思います。人のケアをするお仕事だからこそ、沢山の気をつかわないといけませんし、お人形じゃないのだから、いくら患者さんやご家族だろうと現場の人を敬う気持ちがない人もいたようですし、逆に感謝をしてくださる方もいらっしゃったり、相方や母になら素直に介護をさせてくださる方もいらっしゃったようですし、現場の職員にも自分さえよければいい人もいれば、仲間への気遣いを忘れない方もいらっしゃったりしたようです。二人の話を聞いていて、介護の現場程、1人で仕事をしてはいけないなー。って私はそう思いました。自分のようなタイプは潰されてしまうのではなくて、自分で自分を追い込んでしまうだろうなーと思いました。それは、閉鎖病棟へ入院いた時に一度失敗体験をしたからというのもあります。

入院中、アルツハイマー型の認知症の方や統合失調症のような症状のあるお年寄りの方と同部屋になったことがあったことがありました。病棟から自由に出入りができない病棟にいた時は、認知面や身体面もかなり落ちた認知症の方もいらっしゃったので、私は病院に治療のために入院していたのにもかかわらず、みていられなくてお世話をすることが多く、患者さんから職員と間違われることもあったりしたくらい、お節介を焼いていました。(だってみてられなくて、しょうがなかったのです…)

毎日毎日、入口付近でバックを持って家に帰ろうと思っているおばあちゃん、お風呂に入りたくないと駄々をこねるおばあちゃん、車いすにのってて服を脱ぎ始めるおばあちゃん。暴言をはきながら唾をぺっぺとはくおじいちゃん。同室のSさんは毎朝5時になると、カーテンを開けて「〇〇ちゃん、朝よ」と娘さんの名前を呼びながら私を起こしてくれました。食事やプグラムがない時間はベットに体育座りをして、ずっと童謡を歌ってたり、昔の話をしたりしたこともあります。おそらくあの頃はまだ少しだけ、記憶がマダラな時期があったと思うので、ご自身が忘れていることがぼんやりわかっていて、それが不安な様子でした。Sさんはおそらく元保育士さんか幼稚園の先生か何かをなさっていたと思います。母と年齢が近かったこともあり、看護師さんにいわれたわけでもないのに、私が勝手にお世話をしていました。でも、私のその行為がSさんが不安になると私を探すまでになったりしたので、私は自分が依存させてしまったことに気がついたりもして、そして自分をまた責めることにもなりました。Sさんとは別に、ある時は、車いすにのったおばあちゃんがまさか立てないだろうと思われていたとおもうのですが、そのまさかが私の目の前で起きそうになったので、転倒を阻止したことがありました。看護師さんたちはガラス越しにそれをみていて、なんだかバツが悪そうでした。

それ以外には、多目的ルームで思春期のカナータイプの男の子がよくお絵かきをしていて、そのお部屋にいた、おばあちゃんが突然上着を全部脱いでしまってて、男の子は目のやり場に困っていたし、どうしたらいいのかわからない状態の現場に、はちあわせた時は、おばあちゃんに服をきせ、自分が持っていた折り紙やお絵かきの道具を部屋から持ち出し、そのおばあちゃんとお絵かきしたり、折り紙を折ったりして遊んだりしたこともあります。そういった日が何日かあり、どうやら漢字が好きなんだとわかったので、OTの人に漢字のドリルがあるといいのでは?といったこともありました。お風呂に入りたくないというおばあちゃんは、きっと家族の方が一緒にいたらお風呂にはいれるかもしれませんよーって言ったこともあります。そしたら、なんだかお風呂にはいることができたようです。それはそうですよね。お家とは違う環境だし、全然知らない人に身をまかせるわけですから。不安でしょうがないだろうなーと思いました。

そうやって、入院していた時は認知症の方へのサポートをなんだかやりすぎちゃって、自分が具合が悪くなるっていうことを繰り返したこともありました。しなくていいとわかっていても、ほっておけない自分のエゴと所詮私は一患者であり、職員の方の仕事を奪っている行為だったり、一時的にしのいでも何の解決にもならないのだという無力感をその時にすごく感じることになりました。

入院生活とはまた別件で、迷子になった認知症の方を3回保護したこともあります。一度目は、会社の帰り道だったと思います。バス停まで歩いていた時、ずっと先の方でおばあさんが歩いている人、数名に声をかけていらっしゃり、なんだか困っていらっしゃるようでした。そしたら、私も声をかけられたので、初めはただ単に道を尋ねられてるだけだと思って話していたら、なんだか辻褄があわなくって、よくよくその方をみてみたら、お財布もバックも持っていらっしゃらなくて、やっと私はその方が認知症の方だと気がついたわけです。で、この時は私は無知でしたので、タクシーを呼びその方を乗せて、一緒に警察署まで送り届けました。この時だったか、後々知ることになりましたが、認知症の方を保護した場合には、みつけた場所で保護し、絶対自分の車に乗せたり、タクシーなどで連れて行ってはいけないのだそうです。そんなことしたら、誘拐とか拉致になるのだそうです。いくらいい事しても、犯罪になることもあるのだということなので、保護をした場合には安全を確保し速やかに警察署に連絡することが望ましいのだそうですので、皆さんも気をつけられてください。

その次の時は、義妹の家に用事があっていった時に、近所のおばあさんが腰かけてそこから動こうとしないということだったので、これまたほっておけなくて、そのおばあちゃんに話かけてみました。冷たくなった手をさわって、その手の薬指にビーズの指輪をつけてらっしゃってたので「かわいい指輪ですねー」とか「手がつめたくなってますね。さむくないと?」といったことを話ながら、世間話をしたりしました。帰ろうよといっても重い腰があがりそうもなかったし、そのうちに民生員さんもいらっしゃったので、「おばあちゃん、お日様も暮れるよ。テレビをみたり、ご飯を食べて寝ないとね。お家に帰ろうか?」といったら、おばあちゃんは“にこっ”と笑って、うなずき、重い腰をあげて民生員さんの車に乗り無事自宅へ戻られました。

3度目は、いつも通るひと気もお店もない道を車で走っていた時に、とぼとぼと歩いているおばあさんの姿が目にはいって、なんだか認知症のような気がすると思いながらも一度通すぎ、バックミラーをみたらなんか、山の方面に歩いていくような気がしたので引き返し、おばあさんへ声をかけてみたらビンゴだったこともありました。もうその方は目がこの世にいる方ではなかったし、手がひび割れてて手の爪が水虫で黒くなっていました。お話してもほとんどお話がかみあわない状態でしたので、一度目の失敗をふまえて、車を広い場所にとめ、警察へ連絡し、おばあさんと安全な場所で警察の方を待ち、引き渡したこともありました。とりあえず、一度目の失敗はその時にクリアできたので、もう保護することはないだろうなぁーと思ったことを今だに覚えています(笑)

父方の叔父の中で幼い頃から一番好きだった叔父がアルツハイマー型の認知症とわかった後、これが最後の帰省になるだろうということで実家に来て対面した時、その叔父が私や母にすごくヨソヨソしかったので、「叔父さん、もしかして、私のこと誰かわからない?」って聞いてみたら、「うん。わからない」といわれた時はさすがにショックでした。姪っ子の私がショックを受けるくらいだから、我が親だとするなら、どれだけなんだろうと従妹や叔母の気持ちを考えたこともありました。自分がその立場にたったならどうするだろう…。そんなことを考えたこともあります。

ただ、一つだけ私がずっと感じているのは、認知症の人に限らずどんなお年寄りの方も話がしたいんだなーって思うんです。ただ、自分の話を聞いて欲しいんだなー。誰かと手をとりあって、笑いたいんだなーって。なんの他愛もない時間を自分以外の誰かと一緒にすごしたり、しゃべりたおしたりしたいのだなー。って。そんなことを思いました。認知度が少しずつ失われていく不安な時期だからこそ、夢の世界の中にいるような毎日に移行していく間に覚えていることをまるで吐き出しながら昇華し、私の事は忘れないでねと、天に還る準備をするためなのではなかろうか?と、そんなことを最近考えたりしています。それは、次の来世のために記憶を無くしていく…それが認知症という病の姿なのかもしれないと思ったりすると、『命』に対する考え方や思いが複雑にあいからまってしまって、なんともいえない気持ちでいっぱいになります。認知症の方などに共通しているあの瞳の状態をみると、身体から魂が離れていて辛うじて身体だけ動いてような気がして、私にはとても腑に落ちるのです。(個人的見解です)

イヤハヤ。またまたとりとめのない長文とまとめですね。失礼しました(汗)