ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

心のバリアフリー

昨日、山鹿へ行く時にラジオを聞いていると、福山雅治さんの番組が始まりましたら、9月29日から公開されている「パーフェクトレボリューション」に出演されているリリー・フランキー氏と映画の原案・企画を手掛けられた熊篠慶彦氏が出演されるということで、運転しながらも真面目にラジオを聞いていました。

FacebookのTLで流れて知っていたのもありましたし、その映画は実話で、脳性まひの男性と人格障害の女性との障害者同士の恋のお話ということで、興味があって聞きいってしまいました。

身体障害の場合って、物理的な事での不便が日常茶飯事になるわけですから、デートするのも場所を選ぶことになりますよね。必然的に。多目的トイレの有無、段差、階段、エスカレーター。どこにいくのにも段差はつきものですし、お店にはいれても、車椅子が通れるくらい通路に広さがないとお店の中移動もできませんし…。身体のどこに不具合があるのかでも人それぞれに行きたくても行けない場所もあるよなーと想像したらぞっとします。先日片手が使いづらくなっただけでも、髪を洗うのでさえ不便だったのに。。。なんだか引きこもっている自分は何様なんだと心痛いです。

ラジオでは、リリーさんのお人柄もあるからか、フランクな感じで映画のお話や障害者の恋や性のお話をされてたので、すごく自然な啓発になってていいなーと思いました。

「障害者でも同じ人間だから恋もしたけりゃセックスもしたい」

っていうのは、本当に極当たり前な話だなーって思いました。仮に知的な遅れが重度だとしても、性的欲求はあるのですね。恋をする人もいるのですよね。それに、性的欲求って肉体的な感情になると思うので、どんな人にもあってあたりまえなことだと思うのですよね。それをどう扱えばいいのか、どう処理していけばいいのかを考えている人は少なかったと思います。それを問題提議して活動してこられている中での人格障害のある女性との恋だということですから、お二人の心の動きを映画を通して感じてみたいなーとは思っています。←まだ観てない。すみません。

障害者でも身体や知的や内部障害など、様々な障害がある中で、病気を併発していたりする場合には、スキンシップやセックスも一筋縄ではいかないのだろうなぁーといった想像はできます。実際はどれだけ大変かは私にはわかりかねますが、どちらかが欲求があるのに、どうしてもそれに応えてあげることができなかったり、満たしてあげられないといったもどかしい思いは、互いに互いを傷つけることになったり、溝になってしまうこともあると思うのです。“本当はもっとこうしてもらいたい。” “本当はもっとこうしてあげたい。” でも、恥ずかしくて本当のことをいえない。そうやってすれ違っていったりすると思うのです。後、相手を思いやりすぎてことで断ることができない弊害もありますよね。それって、多分、健常者の人たちでも同じだと思うのですけど、そういう悩みをあまり人に話すことも恥ずかしくてできない。そうやって、少しずつ溝ができていっちゃうんだよなーって思ったりもします。

それに加えて、身体に障害がある方たちの場合には、相手に触れることも抱きしめることもできない場合もあるし、触れても相手に感覚的に伝わらづらい事もるような気もします。言葉じゃなくて、相手と触れ合うというだけで、互いの気持ちを確かめ合うこともできたりするし、安心もするわけでが、それがままならないのですから…。それに、どうしても性的欲求はタブーとされがちですし、どこか恥ずかしさとか、障害があるのだから性的な欲求はないのでしょ?とか、どこか別な生き物扱いされてきたように思います。自慰行為なんかもですね、発達の過程ですからその欲求を抑制することがどれだけエネルギーを使うかって話なんだと思うのですが、そこらへんないがしろにされているよなーとは思います。だから思春期はアレアレだったりイライラすることになっているとも私は思っていたりもします。そこを理解なく、タブー視したり、サポートもされてないので、そういったことは世の中全体的に変わっていけばいいのになぁーと思います。うちの息子も思春期まっただ中です。自慰行為がないわけではありませんし、障害者の自慰行為で何が大変かというのは、完全に最後までイケないことが、イライラを増幅させるとも聞いたことがあります。ですから、マナーやルールを私からではなく、同性の立場から教えてもらったりすることも大切なことだなーと思ってもいます。寝た子を起こすな的なことをいわれる方もいらっしゃいますが、本人が自慰行為などを行っているだろう様子がみられる時は、止めさせるのではなく、どうすれば皆に迷惑をかけず自分で処理をできるようになるのか、又は気軽に相談できる場所や話せる環境があるといいのにと思います。エッチなことに捉われたりする自分はオカシイんじゃないかと悩むお子さんもいると思うのですね。そういったことも話ができる環境があるかないかってとても大切なことだなーと思ったりします。

世の中にはまだまだ段差がたくさんあるし、多目的トイレだって足りないのかもしれません。ただ、私は思うのです。物質的なバリアフリーが進まないのって、私たちの心がバリアフリーではないからだって。心のバリアフリーがみんなにあれば、物質的なバリアフリーは自然に進むように思うし、物質的な段差も気にならなくなるように思ったりもしています。それでも、日本は足らない気がするけど。。。