ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

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明日は秋分の日ですね。

しかも後3か月弱で今年が終ってしまう

そんな時期になりましたね。

今年は去年に比べると肌寒い気がします。

私と息子は夏の疲れがでているのか

季節の変わり目でなのかもありますし

身体を切り替える準備を

身体がはじめているような気がします。

睡眠が乱れているので

この乱れを徐々に冬時間の眠りに

変えていけたらいいなーと思います。

 

はてさて、ブログの記事がなかなか

アップできないのは

ネタはあってもそれを文章化するのが

難しいことがあるので

そういう時はブログの記事は

アップせずにいました。

今日やっとPCにむかっているというワケです。

多分、疲れているのと

脳みそが整理している感じです。←個人的見解

グルグルしてるっていうのではなく

停滞しているという感じです。

私は元々何かを考えながら生活するのが

当たり前の年月を長年続けていました。

が、どうやら今に集中できる感覚を

掴めてきたような気がしています。

(まだ、そんな“気”がしているだけですが…)

そんな只今脳みそ絶賛停滞中な時は

身体を動かしてみようと思い

畳の上で身体を動かすのもおっくうなので

昨日はプールに行きました。

実の所、お魚時代の頃を思い出してみようと

思った深くもなく浅ーい理由があるからです。

先日鹿児島の受診の時に

神田橋先生から栗本啓司さんの著書

「人間脳の根っこを育てる」という著書を読み

ヒントを得て新しい体操を考えたということで

『進化の体操』なるものを教えていただきました。

(そのうち著書がでるらしいので、お買い求めください。)

診察室のベットの上でご指導いただき

身体を動かしたのですが

元々身体を動かすのが得意ではないので

とても苦労しました。

で、その体操をやってる途中で

すでに私は車酔いの状態になってしまい

その日の夜までそれは続きました。

車に乗ってなくても車酔いの状態になると

臭覚過敏が増すんですね。私の場合。

で、この状態になるときって

胸椎だか背骨だかの4番目か5番目あたりが

圧迫されたり、動いたときに

車酔いの状態に私はなるようなんです。

バランスボールにうつ伏せになって

胸に圧がかかるようにのると

車酔いの状態になるのです。

なので、その部分が圧迫されないように

バランスボールにうつ伏せでのると

車酔いの状態ではなくなる不思議体験を

私はしているのですが、

これ、私だけなんでしょうか?

で、その状態と同じ感覚になったのが

“進化の体操”の時でした。

時代が変わるごとに動きが変わるのですが

爬虫類の時代には尻尾が欲しくなりました(笑)

尻尾あると、なんかうまく動ける感じがするのです。

『尻尾ほしーっ!』て。そんな感情がでてきました。

で、その時代になって

私は車酔いの状態になったワケです。

頭あげれないし。

で、進化の体操の一番はじめから躓いたので

お魚時代に戻ってふりかえってみようと思ったので

プールで泳ぐことにしました。

陸で身体を動かすのは下手なのですが、

泳ぐのは得意なのです。

で、久しぶりに真面目に泳いだら

感覚を覚えているようだし、

重力もかからない状態だから

関節が弛んだ状態で動かせることに気がつきました。

床などで動く時は、意識しても出来ない動きがあるのですが

水の中だと、考えながら身体を動かすことが

容易にできるみたいなのですね。

多分、水の中にはいっているから

ボディーイメージがつかみやすいからというのも

あるのかもしれませんし

お水の中にいると安心する体質だから

身体が弛みやすいっていうのもあるみたいです。

それに、自分がどこに力をいれているのかも

掴み易いことに気がつきました。

これまで、こんなこと気がつかなかったのですけど

どんな所を意識するのかとか

自分のどんな意識のどの部分に焦点をあてるのか

で、自分の身体のことに気がつけないんだと

思い知ることになりました。

(これ、恥ずかしいですね。)

自分もそうなんですが

思考停止している人というのは

権威のある人や凄いっていわれる指導者の感覚に

忠実になりすぎていたり

それが正しい人の動きや感覚なのだと思っていて

自分の感覚を大切にしていない人が

多いなーと思うんです。

私自身も昔はそうだったのですが

栗本さんの著書を読んだり

講座や個人指導などでご指導いただいたりして

栗本さんには、常にいわれてました。

「それ本当?(その感覚本当に感じてる?)」

だから、私も自分の感じた感覚は

感じたままの感覚を大切にしながら

自分の感覚を疑うということも

大切なことだと思って自分の感覚も疑うことは

心がけていたのです。

だって、人間だし生まれ育った環境は違うのですし

生活環境が違えば身体の感覚器官の発達は

かなり差がでますし。

だから、みんなと同じ動きができなかったり

そういった感覚にならない自分が

おかしいと思うのはなんか違うよなーと

私は思うのですね。

感覚が違うけど辿る方向性や過程は同じ。

ようするに、発達の台本の目次は同じでも

その物語の中は1人1人違って当たり前なわけです。

だから、同じ感覚になることはないはずなのに

そこに捉われてしまってて

指導者の感覚が正しいと思ってしまうのは

ちょっと危ない価値観だなーと思ったわけです。

それは、去年受けた某講座の時からずっと思っていました。

人との感覚の違いは当たり前だし

それを否定されてきたのが私たちであるのだから

こんな不具合をいっぱい抱えてしまっている

それが、発達障害という障害になっているケースもある。

世間一般でいわれている『障害とは?』

本来どこにあるのかを改めて問われているのではないか?

そう思う今日この頃です。

あっ。また話がずれた。

で、お魚時代は快適です!

が、泳いでいる時に

息をはいても息がはいってこなくて

呼吸が浅い状態の時に似てて

ああ、私やっぱり、

呼吸下手なんだなーと思いました。

無意識が凸凹ってなんだかなー(*_*)

トホホ(+_+)