ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

ラスボス発見からのラスボス退治【後編】

心屋さん界隈や自分でも学んでいたカラーセラピーなどで、心の隙間を埋める言葉や癒される言葉を知っても、何故私は不足感が続いているのだろうと考えていました。そして、それにはワケがあることを知ったのは、昨年の6月に受講した愛着障害に関する愛甲修子さんの講座と神田橋先生の書籍から新たな視点を得ました。大人の場合には、成育歴などの経験などから言葉だけのアプローチでも心理的なケアはできますが、こじれてしまった場合には、言葉だけのアプローチでは解決しない場合があるということを知りました。

講座の受講後には、自分の愛着の問題は決着がついていたと思っていました。ただその後にけー先生の2度目の声トレの講座を受講するのにあわせ、ダイエットのお茶会に参加しました。そのお茶会で『ラスボスは母でなく私自身』だと気がつかせてもらったことから、様々な出来事が重なり、私は一度開いていた心の扉を閉ざしてしまうことになりました。併せて体調も崩してしまったので、体調を立て直し神田橋先生へ受診し先生からのアドバイスやお話を聞き、実はまだ私自身の愛着の問題は決着がついていなかったことに気がつきました。それが私の中にまだ残っていた“しこり”の正体だと気がつくことになりました。それでも、何故それを取り除けないのかは、私自身にある“恐れ”がそうさせているのだとも気がつくきっかけになります。それらは原始反射の不具合があることから気がつけなかったのではないかという考えにいたりました。その“しこり”を取り除くためには、自分だけではなく、身近な身内である母や相方にも苦しく辛い思いをする作業を協力してもらわなければならないということにも気がつきました。そして、それまでの経験で得た全ての出来事が、私の“しこり”の正体が何であるのかを気がつくことに繋がっていたんだということにも気がつきました。正に点と点が繋がり一つの線が面になり私という輪郭を取り戻した瞬間だったと思います。
私は出産時なかなか生まれず器具を使い引っ張り出され、仮死状態で生まれました。私を産んだ母自身も出産時に母体があぶないということで、母はこの世に存在しなかったかもしれないという生命の危機もあったそうです。それでも奇跡的に母体も赤ちゃんである母自身も無事で産まれたのだと母から聞きました。それに加え、自分が幼児期を振り返る中で、イヤイヤ期である第一次反抗期を未解消のままで終わったのだったのだろうと私自身の中では思っていました。去年の暮れ、酷く体調が崩れたことで神田橋先生に受診した時、
「先生私は胎児性の愛着障害だったようです。それに一次反抗期をちゃんとさせてもらえてなかったんだと思います。」
と先生へ伝えました。すると先生は
「あなたのお母さんのおっぱいの飲ませ方も下手だったのだと思うよ」
といわれました。そのことを母に伝えたら、私が生後半年になった時、弟ができたことで母乳をやめミルクに切り替えたのだと母は教えてくれました。自分の産まれる以前からのルーツを知ったことで、私の生きづらさの原因が実は大人になるまでの経験だけではなく、お腹の中にいる頃から原始反射の統合ができないまま産まれてきたのだろう、そして、原始反射の統合又は原始反射の切替えをするために子育ての中でやり直せたことを第一次反抗期も第二次反抗期でも未消化で終ってしまい大人になったのだろう。そういう答えに辿り着きました。私の精神障害が治らないのはまた別の原因があると自分では思っていますが、その前に幼い頃から感じていた生きづらさは『胎児性の愛着障害』を産まれてから成長する過程の中で統合できず、ましてや私の資質を失くしてしまうような生き方をしていたことが逆に生きづらさを増長させていたのだと思うと何もかも腑に落ちました。そして、43年間、私の愛着の不具合を統合するために他者を巻き込み行っていた問題行動などは、自分自身をより良く治すための遠回りな自己治療だったんだとも気がつきましたが、それに気がついた時には、酷く落ち込みました。

“なんでもっと早く気がつけなかったんだろう。向き合うチャンスはいくらでもあったのに、なんでちゃんと向き合わず見ないフリしてきたんだろう。そうしたら、違った生き方もできたかもしれないのに。”

と自分が憎くて悍ましくてこの世から消えてしまいたくなりました。そして、それを治すには、どんな状況になっても私が前に進むためには、危険でも辛く苦しくても人を傷つけることになっても、今通るしかないんだと思いその道を進むことにしました。

が、、、

(=_=)

(+_+)

(>_<)

もう本当、嫌。ド変態じゃないと絶対通れない道でした(泣)43年間勘違いもいっぱいして、たくさん誤魔化してきたからこそ、本当に辛かったし苦しかったです(涙)。なんで、私気がついちゃったのだろうと正直後悔した時もありました。気がつかなければよかった。なんで気がついたんだろう。もう嫌。そんな時期もありました。母や相方に何度にも渡って吐き出して聞いてもらったことで、どんどん楽になっていきましたが、それでも、罪悪感を感じて自分を責めたりする時もありました。大きく吐き出せた後からは、どんな言葉を伝えても罪悪感がなくなり、自分を責めることもなくなりました。本当に不思議です。今思うと私がド変態だから通れた道なんだとしか思えません(苦笑)お母さんは単なるご本尊様なだけで、そのご本尊様を握りしめたまま私はずっとゴジラばりに暴れまくっていただけだったのです。それは身体アプローチ的な人たちからいわせれば、固有受覚の不具合になるのだろうと思います。
ラスボス退治が終ったであろう現在の私がいうのもなんなのですが、あまりこの道を進むことはオススメしません。だって、本当に苦しくて辛かったから。本当に本当にしんどかったんですー(泣)死にたいくせに、死ぬかと思ったこともありました(苦笑)家族に見放されてもいいと思って家族にぶつけてきましたが、家族が不憫でならない時もありました。こんなことしなくても別にいいと思います。ただ、私の場合にはその道を通ることが最善なんだと気がついたから通ったまでです。意を決して私の中のラスボスを倒すことが私の人格を統合させることにもなったからやる他ありませんでした。だから、決して『大丈夫だよ』とは私はいいません。そして、今の私がいえるのは、少しずつ楽になっていくことで十分な人は、その時に今自分が出来ることから少しずつやっていけばおのずと新しい自分の道は切り開かれると思います。そうやって少しずつ楽になって生きながら耐性もできてきたりすると思います。1人で行わなくても誰かに手伝ってもらってもいいと思いますし、昨日までは怖かったことも今日はもしかしたら怖くなくなる日もくると思います。未知の領域へ踏み出すことだからこそ、怖れが働き、踏み出せそうなのに踏み出せないだけですから。本当に怖いなら気がつかないはずだし、未知の領域を知りたいとは思わないと思います。だからこそ、繰り返すのです。それは自分自身の本能がそうさせていると思うので、無理やりその領域を知る必要も無理やり思い出す必要も私はないと思います。それでも何か変えたいということであれば、自分自身のどんなところから“怖れ”が生じているのかを、過去を振り返ったりしながら気がついたことを片っ端からやっていけばいいのかもしれません。ただ、私のように何十年もに渡って同じことを繰り返し人を変え場所を変え様々なことで他者を巻き込みそれがまた自分への罪悪感として残ってしまっているとするのであれば、私が通ったような危険な道を通ったほうが良い人ももいるかもしれません。が、それは見守りそばで支えてくれる身内又は支えてくれる人がいるかどうかにはなるように思います。だから、それができる人はやればいいし、難しい人はしなくていいと思います。

私の場合には、自分自身の今世の課題をクリアできたと思うような体験をしたり、自分の生と死に対することも自分なりに気がついたこともあり、この世に輪廻転生があるとするのであれば、私はもうこの世といわれる場所に人として二度と生まれ変わりたくないからこそ、あえて危険な道を歩いただけです。正直もういいんです。二度とごめんです。イヤハヤ。これ以外ににも他には理由があるので、もう人類には本当に生まれてきたくないんです。ああ、なんで気がついちゃったのかなー。。。
本当に。。。まったく。ワタシったら。。。(苦笑)

そして、辛くて苦しかった日々の先に辿り着きみえている景色は、私が想像した景色とは全く違いました。これから続くこの先にどんなことが待っているのかはわかりませんが、私が選んだ道はもうすでに幸せに満ち溢れていたのだと思い知る日々を今噛みしめています。

 

END

 

乱文ですが最後まで読んでくださりありがとうございます。