ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

ラスボス発見からのラスボス退治【前編】

今日の記事は長文です。ブログに時折り出てくる名言は、心理カウンセラーの心屋仁之助さんのブログや著書に出てくるワードを使わせてもらっています。ですが、私は世間でいわれる心屋の心理カウンセラーでもなく、ただのファンのようなものです。本日はその心屋さんを知るきっかけになったことから私の本当のラスボス退治までのことを大まかに記事しました。簡単に説明しますと『私のラスボスは自分自身』だったのですが、ラスボスが自分自身と気がつくきっかけになったのは、心屋仁之助さんのお弟子さんで去年『声トレ』でお世話になった小杉圭介さんの2度目講座の時にあわせて受講したダイエットのお茶会の時でした。ラスボスが自分自身だと気がついて驚愕したのは昨年の夏になります。それまでは、『ラスボスは母』だと信じて疑いもしませんでした。お茶会の時に紐解きをしていただいたおかげで、私に張り巡らされていた伏線が一本の糸になって、すべてがあれよあれよという間に解明されていきました。お茶会最後の10分でその伏線をとりのぞいてくれたけー先生は“コナン君なのか?”と思ったのはいうまでもありません。その時に自分だけ向き合うのだけでなく、自分以外の誰かの視点も必要だなと思ったのでした。ラスボスは小林幸子さんではなくお母さんでもなく私自身だったと気がついた体験については、まだ別の時にでも記事にしたいと思います。てか、昔のブログにかいたような気がするけどな。まっいっか。それでは、はじまりはじまりー!

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私のブログにチョコチョコでてくる、前者後者、妖怪可哀想、ゲスなどの様々なワードは、心理カウンセラーの心屋仁之助氏の著書やブログを読んでいるので、使わせてもらっています。ただ、私は心屋さんの弟子でも孫弟子でもなく、ただ、心屋氏の考え方や在り方をブログなど読んで隠れてるつもりだけど隠れてないファンです(笑)心屋さんのブログを読むようになったきっかけは、今から3年前になります。たまたまナイナイアンサーをみていたら、なんだか髭面のスーツ着たおっさんが感動ポルノといわんばかりのカウンセリングしている場面が放送されていて、『はー?なにいっちゃってんの?このおっさん』(もし、ご本人このブログ読んでいらっしゃったなら、本当にごめんなさい。)と思って、プリプリイライラしたことで、この髭面のおっさんが本当はどんな人なのかを知りたくなり、ググってでてきたご本人のブログを読んだことが心屋仁之助さんを知るきっかけになりました。
テレビの放送はあくまで短い時間で効果的に制作側が編集し放送されているものなので、放送されている話だけで私が感じた人物像を決めつけてはいけないということは気をつけていました。ナイナイアンサーで公開カウンセリングしている心屋氏をテレビの思惑とは別のカタチで誤解をし、結果的に私は心屋氏のブログを毎日読むようになりました。テレビでみたカウンセリングされている心屋氏の印象とブログで読む心屋氏の印象が全く違ったからです。それ以来、私は、テレビで流れているニュースやワイドショーなどの一方向からだけの情報は一切信じないようになりました。私たちの元へ流れてくる情報はほんの一部の情報にすぎなんだなということをこのことから気がつかせてもらったからです。それからは氏のブログを読みながら、私が付け足していた様々な常識はいらないんだと思えるようになったりしましたし、心屋では基本中の基本というか土台?ともいっていいと思うのですが“お母さんがご本尊様”ということをブログで読ませてもらうことで、ああ、やっぱり私『お母さん』の呪縛に苦しんでいるんだなという確信を得ました。毎日毎日ブログを読んでいると、気持ちがどん詰まりになったり、心がモヤモヤしたりする時にタイミングよくそのモヤモヤを紐解く魔法の言葉というか呪詛返しのような言葉がブログに落ちていて、ほっとしたり、涙があふれていたり、そーだ!そーだ!とかPCにむかって叫んだり、時には全く意味がわからなくて、頭が???でいっぱいになり逆にどん詰まりになったりしました(笑)当時、私が心屋氏に気がついた時には、すでにBeトレといわれるカウンセリングの講座もお弟子さんたちに任せるということで、隠居するといわれた時だったと思います。お金もなかった時だったので、直接カウンセリング受けなくてもどうにかならないかな?と思っていた時閃いたことが“ブログや著書だけで1人Beトレやってどこまで私は気づいて楽になれるのか?”ということを人体実験しようと思いついたのです。今だにそれを実践して早3年になりますが、イヤハヤ無料だろうが有料だろうが受け取れる時は受け取れるし、受け取れない時はどんな言葉も受け取れないんだということをこの3年で実を持って体験しました。結局受け取る人次第なんだと思い知りました。だからといって、心屋氏のいっていること全てをわかったわけでもなく、自分をたしなめたい時の御呪いにしかならない時もあります。ただ、3年前からすると本当に楽になりましたし、ブログに落ちてる言葉を読んでもモヤモヤすることが少なくなりましたし、3年前に一度目にしたことのあることでも、主体性のなかった頃の私の感じ方と今では随分受け取り方も違うこととなっています。
この年月の中でも毎日読んでいたブログを一切読まなくなったというか読めなくなった時もありました。公開カウンセリングには行ったことはありませんが、心屋氏の『歌だく』というライブには2度ほど参加しました。身体アプローチ同様に、実体験することの大切さを思い知ったので行ってよかったなーと思いました。それでも“お母さんミッション”はなかなかできずにいました。ライブに参加した後、母の日か自分の誕生日か何かの時に一度メールで母に『産んでくれてありがとう』といった内容のメールは送ったように思いますが、それでも、私の中にはまだ何かわからない母に対する思いが“しこり”になって残っていました。わかっているけど、なぜ私はなかなか楽になれないのだろう、私だけでなく氏の言葉やお弟子さんのエピソードを通した言葉やエピソードを読んでいても、なぜ自分を責める言葉にしか受け取れないのだろう。そういった漠然としたヌケなのか欠けているものを自分自身だけでなく他の人にも感じるのは何故だろう。そんなことが私の中に溢れてきました。たくさんのお弟子さんがいらっしゃり、たくさんの方を癒している心屋氏の言葉でも、私の心が埋まらないのは何故なのだろう。あとちょっとだと思うのに、なんでわからないんだろう。そんなふうにどん詰まりになったのが、昨年の秋だったと思います。そんなこんなで、去年の秋までは、ことのほか自分自身だけで心の穴を埋める作業というか、着ていた鎧を脱ぐ作業は順調にすすみ、かなり身軽になっていると思っていました。が、、、、、…
一時は“神”と思えた心屋さんの魔法の言葉が全く受け取れなくなった時期が到来します。自分でもびっくりするくらいの拗ねっぷりに自分自身が一番びっくりしたくらいです。それからが本当の意味での『ラスボス退治』となります。

 

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