ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

食べられないことにはワケがある(私の感覚過敏編)

なぜだか私のことをいろいろご存じの方が裏で根回しして知りたがってる感満載なので(←そんなこと思ってない?イヤイヤ思ってる感を感じました(ブ)なので臭覚過敏と味覚についてのことを今日は記事にしたいと思います。

 

大人になってからは感覚過敏は大分緩和され、我慢はしているけれども生活する上で気をつければ大分マシになったと思う。ただ、鬱が酷くなったり、体調が悪いとそれらは復活する。ただ、体調が戻れば感覚過敏は楽になり生活に支障はなくなる。だからこそ、毎日朝起きて疲れをひきずってない身体になることが私にとってだけでなく、息子にとっても大切なことなのだと思う。

感覚過敏がひどくなると、私の場合は五感全てにおいて敏感になる。衣服は今だに綿でなければ着ていられない。綿でも縫糸や洋服についているタグがあるだけで痒くて着ていられないくらいだし、視覚的な過敏は、蛍光灯の光が苦手で眩しすぎると集中できず仕事の効率が下がる。そして、目が痛い。だから自宅では日中は電気をつけないことが多い。そのかわり太陽の光を浴びたり、カーテンを明るい色にしたりするなどして昼と夜の差をつけるように工夫している。

聴覚過敏については先日の記事にあげたように、大きな音は急な大きな音は苦手だ。不調な時にどうしても人の声にイライラする時は息子のイヤーマフを借りることもある。自分以外の人の咳やくしゃみを聞くと何故だかイラっとする。それは息子も同じようだ。人の多いところでは、いろいろな人たちの話が聴こえてくることが私にとって一番不便だったりする。仕事をしていた頃には、聞きたくないのに他者のコソコソ話が聞こえてしまったりすることが私にとって一番の不快の元だった。

触覚、聴覚、聴覚、視覚の過敏はグッズなどを工夫したりすれば、いくらでも工夫はできる。後は周囲の理解があるかどうかになるわけだが、理解してもらうためには、自分の不便さを他者に伝え自分自身で工夫するほかない。自分の環境を自分自身で整えることも仕事に含まれていると私は思うからだ。それよりてっとり早いのは身体が元気になることがグッズを使用するための必要経費がいらなくなる近道のように思う。日常における不快指数がぐっと下がることで日中活動がさらに豊かになるのだから、感覚過敏がなくなったほうが自分自身の不調を長引かせないようになると私は思う。ただ、これがなかなか自分の場合には治ってくれない。自分自身を取り戻したことによって、五感の過敏が再燃したような気がする今日この頃だったりする。それでも、感覚過敏は自分にとってマイナスな面だけでもないことがわかっているので、プラマイ“0”だとも思っている。

五感の中で私が今だに一番困るのは、味覚だと思っていたが大人になって臭覚なのだと気がついた。臭覚過敏が過ぎることで食べられないものが多い。例えば、小さな紙パックの牛乳は紙の匂いが牛乳にうつってることが多い。大きな紙パックの場合にはさほど感じないのだが小さな紙パックになると匂いが凝縮されてうつっているように感じる。だからなのか、不味くて飲めない。一般的な人に一番わかりやすいと思われるのは、電車などの中で販売されている熱々のお茶がわかりやすいと思う。あれは、ひどく臭い。あの臭いがわからない人っているのだろうか? 最近ではペットボトルのお茶もあたたかいものが購入できるようになったことで、電車の中で販売されているお茶を買う事はほぼないが、まだ温かいペットボトルのお茶がなかった当時は、コップ付の透明の容器にはいった熱々のお茶はプラスチックの容器の匂いがうつって不味くて飲むのが苦手だった。(ペットボトルでさえ、時間がたてば臭いを感じるのだが…)

その当時はプラスチックの味がするといってたように思う。私の場合はプラスチックの容器に熱々のものがはいった状態の飲み物食べ物は臭いがうつってしまうのを感じてしまうようで、どんなに元は美味しいものでもその臭いで台無しになってしまい、食べられない。我慢して食べなさいっていわれると本当に辛い。

幼い頃、味噌汁が嫌いだった。自分では味噌味が苦手なのだと思っていた。でも味噌味でも食べられるものはあった。味噌汁だけがすごく苦手だった。就職先の寮で自炊していた時同じ部屋の友だちがつくってくれたお味噌汁を残すのは悪いと思い、しぶしぶ食べてみたらすごく美味しくて、何が違うんだろうと思ったら、器が陶器のお茶碗にだと美味しいことに気がついた。それに気がついた時、食べる事が好きな私がみんなが好きな学校給食が何故苦手だったのか紐解けた。学校給食の器はプラスチックだったからだ。他にも給食が苦手な理由はあるが、この器が原因だったということは目から鱗だった。そういえば、母に

「お母さん、今日の弁当は弁当箱の味がして美味しくなかった。」

と文句をいっていたことも思い出した(苦笑)母も敏感な人なので、時々食材に容器の匂いがうつっていることを気がつく時がある。私は更に敏感だったので、少しの違いで母の料理にも文句をいっていた。

「今日はいつもと味が違う」

「今日の〇〇は冷蔵庫の味がする」

「土の味がする」等

いろんなことをいってた(苦笑)可愛げのない子どもだったなーと思う。それは今だに変わっていない。母の作る稲荷寿司の皮が一度冷凍したものをつくったお稲荷さんなのか、炊いたばかりの稲荷揚げの皮なのかわかってしまう。最近は黙って食べるようにしているが、私は美味しいと食べる量が違うから、言わなくてもバレてしまう。母もそんな私によくつきあってくれていたなーと今だからこそ思う。我儘といわれていたのはそういうこともあったからだったんだろうと今ならわかる。

こんな状況だから、外食先はかなり冒険することになる。一般のファミレスの食材はおそらくパッキングされたものを解凍し温められたものだったりするだろうし、冷凍保存されたものを解凍し温めたり、火を通していると思われる味というか匂いがするので、私には不味くて食べられないことが多くなってしまう。決してファミレスが悪いわけではない。逆に失礼だなと思う。だからそういったところでは、無難な味を選ぶようにしている。そうすれば残すこともないからだ。

そういえばこんな話も思い出した。以前息子が通っていたセンターにいたカナータイプのお子さんの先輩母さんが

「うちの子、柵で買った刺身は食べるけど、あらかじめ切ってパックされている刺身はなぜか食べないんだよね。なんでかなー。」

といわれたので、

「あ、それ、プラスチックの匂いがうつってるからだと思います。」

と答えたことがある。今思うと、それだけでもない。刺身の下にしかれている大根のツマの匂いなどもうつっているだろうし、まな板を消毒のためにアルコール除菌とかされていたり、魚をさばいた人の技量で刺身の匂いが変わることもあるからだ。魚のしめかたやさばき方で刺身の匂いも味もかなり違うのはパックのお刺身しか食べたことのない人達にはわからないことなのだろうか? 相方は山育ちなので全くわからないという。私は新鮮な魚を食べて育ってきたので、正直いうと、パックの刺身を食べられるようになるまでに数年かかった。

臭覚過敏があることで厄介なのは、いくら美味しい飲食店でもお客様で香水を使っていらっしゃったり、化粧品の匂いがキツイ人、喫煙する人が食事をする場所にいると、食べられなくなってしまう。本当にこれが一番最悪だ。味が全部化粧品や香水の匂いで台無しになってしまうから、これまた厄介だ。アロマも匂いに酔ってしまうこともあるので、使う時は注意している。それだけで普段はない頭痛がおこることもあるからだ。

とまぁ、ネタはいくらでもでてはくるのだが、こんなふうにまとめるとなんだかとっても敏感な人のようになってしまうのでなんだかなー私って思ってしまう。

ただ、発達障害の有無に限らず感覚過敏があることでの弊害がその人に多大なストレスになってしまうこともあり、特に子どもたちの場合には保護者など周囲の大人が気がついてあげることでそのストレスを軽減できることもあると思う。食べられないことには絶対とはいわないけれどもちゃんとワケがあるし、本当に偏食なのか、アレルギーがあって食べられないのか、感覚過敏なのか、そういった視点を持つことも大切にしてもらえたらと思う。ただ、私が思うのはやはり身体の状態によって感覚過敏はひっこんだりでたりする風邪のようなものであるから、普段から身体を整えるということが大きな意味で感覚過敏への対策なのだと思ったりしている昨今である。