ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私のコレまでのこと②

『私のこれまでのてんこ盛り割愛事情』

私は第二次ベビーブームに生まれた。
バブルの時代に私は10歳の壁といわれる時だったと思う。その10歳の壁の時代までは、自分が自分でいられたような気がする
高学年になるとまず担任が合わなかったのと、男女の身体の事、性の事、人を好きになるという事、アイドルの事…などなど 盛りだくさんになる女子は特に面倒くさいと思った。大体自分の性がどっちなのかはわかってはいても、私には女の子らしさとか全く関係なく、日焼けも爪のお手入れも全く気にならなかった。ムダ毛の処理くらいはちゃんとしてたぐらいかな。
でも私は当時下着を母が買ってくれて選んでくれていた。だからそれが当たり前だった。グンゼの白いパンツ。実はそのパンツの事で同級生になにやらいわれて恥ずかしい思いをした。
多分、その頃から同級生のいう事を気にし始めて、興味のないアイドルの雑誌買ったりしてたんだと思う。良くわかりもしなくて…
でも一度好きになると好きにはなれた。でもそれはただの憧れに過ぎなかったのだけども。
そして、中1も担任が最悪で同級生とも合わなかった。大人になれば何もかも解決するはずだと思ってた当時は早くおばあちゃんなりたかった。高校の頃は勉強するという事が意味がわからなくなり、中学の頃頑張って基礎を勉強していたおかげもあったので、なんとか高校は卒業できた。学校をサボったり、授業をボイコットするのは一部の不良といわれる人たちと私はちょっと違っていたと思うけど、不良になりたくてもそんなキャラじゃない自分と、真面目なのに不真面目な自分が混在し、そして、いわゆる女子の仲良しグループとかに巻き込まれ、結局私自身の自己愛の問題も手伝いドンドン病んでいってたと思う。
そして、その事さえも大人になれば解決すると持ち越したのだった。
高校を一応卒業でき、なんだか企業にも入り込めた。運送業で配達兼事務の仕事だったので、腰を痛めたのを理由にその会社を辞めた。
次の会社は看板屋だった。でも月曜日になると会社にいけない。1か月に半分はお休みしていたかもしれない。それでも、雇ってくださっていて、最後の方はなんとか会社に通えるようになった。ただ、何を思ったかなんだかわけわからない向上心で辞めることにした。
その次の仕事が私の人生を大きく変えてくれたように思う。ダメ元で応募した事務兼デザインのお手伝いってのに応募したら、なんか知らんけど受かった。田舎の鈍臭い感じが良かったらしい。その会社でデザインは独学やグラフィックデザインの塾で習ったり、PCはその会社で半年ぐらいで大体使えるようになった。そこでのPCのスキルが今に繋がっている。そして、私の場合は今まで経験した事のある仕事全てが未来で役立つっていう、恵まれた環境に身を置いていた事にもなる。
これを書いてて今気がついた事だけど、自分もそれなりにソコソコやれてきたのは、PCは壊れる事はあっても嘘はつかないって事だと痛感する(ここ大事です!)

このPCでの制作時代に思いっきり仕事しすぎ、元々脳みそのキャパが少ない自分がメッチャ脳みそだけ使い、脳みそをダイレクトに癒すという方向性が更に私を闇に突き落とした。
それがスピリチュアルと占いの世界だった。

 

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